第8話 新たな仕事
町の視察という名目の観光を終わらせ、馬車で屋敷に戻ると日も落ちて夜の庭園に咲く花が何とも上品な雰囲気を漂わせていた。メイドが出迎えてくれたのでそのままダイニングへと向かうと夕食が用意されていた。
向こうの世界では味わえない味。そして貴族の気分。ミードも用意されていて気分は上々だ。そんな事を考えていると領主に領地はどうだったか? と尋ねられたので、ライリーは答えた。
「素晴らしい領地ですね。人々も本当に幸せそうに暮らしていますし、理想的なところですね。前の世界にいる時はこういうところで暮らしたいなと思っていました」
「それはよかった。気に入ってくれてなによりだ。君、アレを」
そういうとメイドが一本の鍵を差し出してきた。
「こちらは今朝、話にあった空き家の鍵でしょうか?」
「そうだ。掃除と家具の搬入と心ばかりの食料も置いておいた。必要ならメイドと料理人も何人か連れて行っていいぞ」
「ありがとうございます。そこまでして頂くのも悪い気がしますが」
「娘が気に入った男というのもあるが、仕事に夢中になりだすと家のことは出来なくなってくるだろうからな。ギルドで誰かを雇うという方法もあるが?」
「それもいいかもしれませんね。それこそ領地経営をするには人手も増やした方がいいかもしれませんし」
「領地経営のことなら人手は足りているぞ。農地の開拓や製薬工場の建設はもう終わっているし、都市開発もこれ以上する事はない」
「となると、私がこの領地のために出来る事とは何があるのでしょうか?」
「君にやってもらいたい事は主に魔族との交渉だな。それと商売も出来るならやってもらいたい」
「魔族との交渉ですか? ソフィアから少し聞いた感じだとどうやら何か企んでいるようですね」
「そう。彼らはこの平和な世に混沌をもたらしたいようで、貴族の暗殺を企てたり官僚をそそのかして混乱を招こうとする。不自由の無い生活を送っているはずの官僚が魔が差してしまうというのも困ったものだが」
「となると、その官僚も三〇〇年前の地位ある人間が贅沢三昧していた頃を羨んでのことでしょう。この国のシステムだと、そんな事をしても一つも良い事は無いというのに」
「だろう? 実はここに問題があるわけだ。この貪欲さというのが我々には理解できないんだ。昔と比べて貧富の差がなくなり、飢える事も無くなった。
お金が欲しければすぐに必要な分が稼げる仕事が見つかる。これ以上、何を望むというんだ?」
「私のいた世界だと、貧富の差はどこにでもあり、金持ちは贅沢品を見せびらかしては羨ましがられるというのはよくありました。
でも、この貧富の差がある事で金持ちの中には、いつも心の中に貧しくなったらどうしようという不安を抱えているという人もいました。そういう人は世の中にあるお金全てが自分のものになっても不安だったりするようでしたね」
「なるほど。この国のように確実に金が入ってくるというシステムが無かったらそういう不安が芽生える事があるのか」
「そういう事です。金持ちよりお金を持っていない人の方が圧倒的に多いわけですからいつも比較して不安になるんですね。
その富を独占したいという官僚や貴族は美術品やお金に変えられるものの保管数がとりわけ多かったりするのではないでしょうか?」
「言われてみればそうだな。屋敷に行っても自慢げに美術品を自慢していたな」
「あとは、権力を求めるというものがあります。私のいた世界では人の上に立つという事に気分を良くするタイプの人がどこにでもいましたが、この世界ではどうなのでしょうか?」
「この国では領地の運営に必要な資金は全ての貴族に平等に支給されている。それも全て国が計算して支出するから貴族はみな似たような生活を送っている。
あの貴族だけが贅沢をしているとかそういうのはない。貴族の階級が違っているから生活が違うとかも無いし、何かの特権があるわけでもない。特に意味のない肩書のようなものだ」
「となると、確かに人の上に立って気分が良くなるという要素は少ないように思われます。しかし、人の上に立って気分が良くなるという人は肩書が第一のアイデンティティだったりします。
昔の書物に出てくる権威主義者の振る舞いに憧れを抱いているのは荒々しい人生に憧れているのかもしれません」
「言われてみればそうだ。魔族領の魔族たちは権威主義の者が多いし、金を多く得る事を至上の喜びとしている者も多い。だから欲望の強い人間をその気にさせやすいから面倒な事になっているという事か」
「そういうことでしょう。私もまさかこの世界にそんな闇があるとは思いもしませんでしたが」
「やはり君は交渉役に適任だな。もう一つの商売というのはその魔族領の商人との取引なんだ」
「そうなんですか? 人類の敵みたいなものかと思いましたが?」
「魔族の中にも人間に友好的なのはたくさんいるんだ。私の領にもモンスターがたくさんいるだろう。その中には魔族もいるし、魔族にも平和主義者はいくらでもいる。
今、この領で流通しているものの中には魔族領で生産できても、こちらでは材料の関係で生産できないものも多い。その場合、向こうで作ったものを買うしかない」
「そういう事なんですね。ある程度、魔族の考えが分からないとおかしな商品をつかまされても困るから私が選ばれたということですか」
「そう。君のもといた世界の知識はそういうところで役に立つという事も今日の話を聞いて分かった。店については既にあるのでそこへ行って仕入れの確認をしてほしい。
商品についての実際の交渉は、交渉をする日に知らせるので店に来てほしい」
「わかりました。その時は魔族領の銘品をじっくりと眺めるとしましょう」
「では明日から頼む。さて、今日は新たな世界の門出の祝いも兼ねてどんどん飲むといい」
そう言われて豪華な食事に舌鼓を打っているとソフィアの様子が少しおかしい事に気が付いたが、酔いが回りすぎて何も考えられなくなってきたので客間に戻って眠る事にした。