第32話 農場の夜
農場に併設された宿泊所は中世によくある感じの作りをしており、木のぬくもりが感じられる造りになっている。木の壁に木のテーブル。そこに置かれた質素なガラスケースに入った蝋燭は哀愁を感じさせる。
だが、この暑い夜にソフィアと魔法士の三人で集まり、この蝋燭を見ていると何かがやって来そうな雰囲気になる。とはいえ、魔法のある世界なので、みんな幽霊が見えるのが普通ではないのかと思ったのでソフィアに尋ねた。
「俺のいた世界では幽霊は見えない人の方がほとんどだったんだが、この世界じゃほとんどみんな見えるから怖いとかそういうのはないんだよな?」
「魔族領には見えない人の方が多いところがあるって聞いたよ。中途半端な場所にある地域で幽霊が見える人が極端に少ないところがあるんだって。
魔法も使えない人がほとんどで工業製品の生産が主な産業というところがあるんだ。
その地域は他から隔離されたような山の中にあって、外の人との交流も必要最小限だから余計にそうなっているみたい」
「君も何か聞いたことないか?」
魔法士にも尋ねてみた。
「そうですねえ。前に魔族領の荒野にある渓谷に行ったんですが、そこは昔、かなり激しい戦いが長く続いた戦場だったんです。
その渓谷は通過するだけでも数日はかかるんですけど、岩陰で休んでいる時にガタガタ音がするので何だろうと思って覗いてみるとスケルトンが体を揺らして音を出していました。
なので、そんなに揺らしたら骨が粉になって無くなるんじゃないの? って言ったら”こうやって揺らしたらたまに驚いた人間が面白い飛び上がり方をするからしているんだぜ!”と言っていました。あの渓谷も見えない人が時々は来ているみたいです」
「良い趣味をしてるな。もしかしたら……。いやなんでもない」
そんな話をしていると少し強めの心地よい夜風がカーテンを揺らし、農場で作られた氷で冷やしたミードが入ったグラスを伝う水滴が床に散った。
床を見ても暗いのでよく見えなかったが、見上げた時にコミカルな感じの丸くて白い幽霊が現れた。
「こんばんは。旅人さん達。夜の海にいたんだけど退屈だから誰かいないかなって来てみたらあなたたちがいたの」
「この世界の幽霊は初めて見たな。こんばんは。そりゃ夜の海は誰もいないし退屈だろう。俺はそれもまた良いなと思って一人で見ていた事もあったけどな」
「ところで吸い寄せられるように来たんだけど、何かしようとしていたの?」
「俺が前にいた世界では幽霊が見えない人がほとんどだったからこの世界じゃどうなのか気になってな。こんな可愛いのが現れるとは思わなかったが」
「可愛い? 儚げな感じに見えるけど?」
「私は顔色が悪くて青ざめて見えますね」
どうやらソフィアと魔法士の二人には違う姿に見えるようだ。
「まあ、こういうのは人によって見え方が違うって言うからな。同じ見え方に出来たりしないか?」
「じゃあ、私があなたのイメージを読み取ってこの二人にも同じように見えるようにしてみるね。……これでどう?」
「あれ? 可愛いね」
「可愛いですね。ライリーさんにはこう見えていたんですね」
「ねえ、同じ見え方にする分、エネルギーを使うから何かエネルギー源になる魔道具か何かないの?」
魔法士が収納魔法で格納していた杖を取り出した。
「この杖でいいですか? 私の杖は魔力を王国で補充する事が出来るものなので沢山、使えますよ」
「ありがとう。これでしばらくこの姿を見せられるの。見え方だけだからそんなにエネルギーを使う事はないから心配いらないの」
「さて、来てもらっても何を話せばいいものか?」
「そうねえ。この近くに民家があるんだけど、そこでここの農場主が密会をしているのをよく見るの。その話とかどう?」
「いいですね。聞きたいです」
「ここに来るときに馬と話していたんだが、そのままだな」
「その家はねえ。若い夫婦が住んでいるんだけど、夫の方は冒険者で出稼ぎに行っている事が多いの。この辺りはこの農場が管理している農地がほとんどだからこういう人もいるの」
「へえ。俺の居た世界の庄屋みたいなもんだな。地域の農地の大部分を管理していたりしたぞ」
「そんなとこ。それでね、妻は若いのに旦那がいなけりゃそれはもう毎日、辛いってわけよ。せっかく結婚したのに満たされない毎日が続くんだから」
「それは辛いよね。どうして結婚したんだろう」
「それはね、妻はとんでもなく依存心が強いタイプの人なの。もう結婚前は構ってくれないと物陰からじっと見つめてそれしかしない日があったり、ある時は旦那が話しかけても何日か無視したり。
とにかく結婚するしかないように仕向けていったの」
「まあ、まだマシな方だろう。本当にヤバいのは……」
「待って、ライリーがいた世界の気が滅入る人の話はまだだって」
「そんな事が続いたある日の事。農場主が従業員が足りないので補充のために近隣の家を回って誰か農場で働いてくれないかと尋ねていたの。
そんな時、この家の妻を農場主が一目惚れしちゃったの。農場主も妻がいるから不倫になるんだけど、お互い、何か惹かれるものがあったのね。旦那はいつもいないし毎晩、会うようになったの」
「まあ、よくある話だが、性癖がアレなんだろうな」
「そう、この妻は欲求不満を拗らせて男を鞭打つのを想像していたのね。農場主の方は生まれた時からチヤホヤされていた権力者だから罵られるという事を知らなかった。
だから毎晩、あの家からは鞭打つ音とか何か詰まったようなうめき声が聞こえるの。楽しんでいるようだから別に良いと思うけどね」
「それなら、この先も続けるんだろうな。旦那に言いようのない不満を抱えた妻にそれを解消したい農場主。もうピッタリだ。
さっき、言いそびれたがこの場合、本当にヤバいのは農場主の妻だな。この妻と不倫しているのを知っているんだろ?」
「そうなの。農場主の妻は不倫している事を知っているどころか、旦那が商取引に行くと南方の町に行っては娼婦を何人も買っている事というも知っているのね。なのに、家では良い妻を常に演じている。
この妻はというと、昼間に旦那が農場を視察している時とか、遠方に商談に行っている時とかに男の従業員と、気弱な娘を集めて、それはもう贅を尽くした宴と……この先は話せないような事をいつもしているの」
「それじゃあ、旦那さんのお金と権力で好き放題しているって訳ですか?」
「そうなの。豪華というより悲惨な宴ね。欲望以外の何も見えないの。私は霊体だから余計に強く感じるし見えるの。中には見ている事に興奮している人を見る事に興奮を覚える人とかもいるのね」
「見てみたい気もするな。今日はやってないのか?」
「今日はしてないね。旦那も居るし。密会している家にも旦那が今日は居るの」
「何ともタイミングが悪かったみたいだな」
「それにね、この農場主は魔族とも取引をしているからあなたたちには見られたくないものがあるのね。だから邸宅から離れないの」
「そりゃあんな立派な馬車で来ればわかるよな。魔族領には似たような馬車はないんだろ?」
「あるよ。使われている技術は違うけどこの農場にも少し小さいくらいの大きさのがあるの。でも魔族領で作られたものは四頭以上で引いてるのが普通だから馬の数で遠くから見ても王国製なのがよく見れば分かるの。
普通は意識しなくてもいい事だから後ろめたい事があるから気を付けて見ているってことなの」
「となると、実は俺たちは来るべくして来たって感じか?」
「う~ん。この農場で何かするって指示は無いから放っておいてもいいんじゃない?」
「魔族との取引って言っても媚薬とか、それの引き換えに高級な果物を渡したりとかだから王国軍がどうにかしないといけない事はないと思うの。あなたたちが居た街の憲兵には目をつけられているけど賄賂を渡して誤魔化しているくらいね。
あの夫婦は欲望に忠実なだけだから都合が悪くなれば逃げるだろうし特に心配はないと思うの」
「ならいいか。夜も更けて来たのでそろそろ休もう。話してくれてありがとう」
「私も話せて楽しかったの。じゃあ、またね」
そう言うと、窓からどこかへ行った。ソフィアと魔法士ももう眠いというので部屋に戻り寝る事にした。




