5 思い出のシチュー
急いでエミリーちゃんが待っている、中庭に向かう。
大きな木の下にあるベンチに、エミリーちゃんは座っていた。
俺が駆け寄ると、立ち上がって頭を下げる。
「来てくださってありがとうございます」
「いや、大丈夫だよ。どうしたの?」
普段より低い声で訊ねる。いい格好をしたい!
「あの、……実は好意を伝えてくれる人がいるのですが、断っても聞いてくれず、後をつけられたり、待ち伏せされたりするようになりまして」
これは彼氏のふりをしてくださいってことか? 解決後に本当の彼氏になってくださいって展開か?
妄想していると、エミリーちゃんは言葉を続ける。
「それで私、言ったんです。好きな人がいるって」
エミリーちゃんは顔を真っ赤にして上目遣いで俺を見つめる。
胸が早鐘を打つ。バクバクと拍動する胸を押さえた。
「それで、……アンディさんに彼氏のフリをお願いできないでしょうか?」
「え? アンディ?」
エミリーちゃんは耳まで染めて何度も頷く。
いや、わかるよ。うちのアンディを好きになるなんて、エミリーちゃんは見る目がある。アンディは見た目も良ければ全く擦れていなくて明るく優しい。アンディを好きになってくれるのは嬉しいが、期待していただけに少し沈む。俺じゃなかったのか……。
「わかった。俺からアンディに話してみるよ。エミリーちゃんは一人暮らし?」
「いえ、両親と兄と住んでいます」
「一人じゃないなら家は安全かな。待ち伏せや後をつけられるなら、今日は俺が送っていくよ」
「あ、ありがとうございます!」
エミリーちゃんは表情をパッと明るくして、頭を下げた。
騎士団本部を出てエミリーちゃんの家へ向かう。
「あのさ、騎士団に突き出した方が安心じゃない?」
「えっと、兄の友達なので、あまり騒ぎにはしたくないので」
「じゃあ家族は知らないの?」
エミリーちゃんは小さく頷いた。
「アンディに彼氏の振りは頼むけど、エミリーちゃんとアンディに危害を加えるようなら捕まえるから。エミリーちゃんが家族を思うように、俺だってアンディが大切だから」
「はい、それでお願いします」
騎士団本部を出てから、ずっと尾行をされていた。エミリーちゃんは気付いていないようだが、俺がいなかったら彼女に声をかけていたかもしれない。
エミリーちゃんに名前を聞き、ノリス・フォスターと知る。
エミリーちゃんの家に着き、彼女が家に入るのを見届けて俺は寮に向かって歩き出した。
ノリスは俺の後をつけてくる。
ゆっくり歩いたり止まってみたりしても、襲ってくる様子はない。一定の距離を保って、ただついてくる。
剣を身につけている騎士を相手に、無理なことはするはずないか。
騎士団の寮に入ると、相手は踵を返した。
部屋の扉を開くと明かりがついていて、アンディの靴もある。
「ただいま」
「お兄ちゃんおかえり」
アンディが嬉しさを隠しきれないといった表情で出迎えてくれる。
「いいことがあったのか?」
「えっ? わかるの?」
顔に全部出ているのに、アンディは隠していたようだ。
「今日のシチューがすごく美味しくできたんだ! 一緒に食べよう」
アンディが急かすように俺の腕を引く。よっぽどの自信作なのだろう。食べるのが楽しみだ。
アンディが器に注いでいる間に、剣ホルダーを外して隊服から部屋着に着替える。
「母さん、エナさんただいま」
リビングのチェストの上に飾られている、家族四人で撮った写真と、形見のブレスレットに声をかけてからイスに座る。
今日のメニューはパンとシチューとサラダ。
「「いただきます」」
声を揃えてシチューをスプーンで掬うと、アンディが目を輝かせて感想を待っている。
くすりと笑って口に含んだ。
懐かしい味に目を丸くする。
家族四人で最後に食べたシチューと同じ味がする。
涙が溢れて頬を伝う。
「え? 美味しくなかった?!」
うろたえるアンディに、俺は首を振った。
「めちゃくちゃ美味い! 母さんのシチューだ」
「よかった。お兄ちゃんにそう言ってもらえて。完全に再現できているか、少し不安だったから。お母さんのシチューの隠し味は、チーズとハチミツだったみたい」
「美味すぎてどんなけでも食べられそう」
「まだあるからいっぱい食べてよ。……お父さんにも食べてもらいたいな」
「そうだな」
少しもの寂しい気持ちになるが、シチューを食べれば口いっぱいに幸せな味が広がり、自然と頬が緩む。
「研究所の健康診断はどうだった?」
「身長が伸びてた!」
アンディは顔いっぱいで喜びを表す。
そういえば最近目線が変わらなくなってきたような気がする。アンディの成長は嬉しいが、俺よりはデカくなるなよ、と願ってしまう。
「どれくらいあった?」
「一七六センチだよ」
すでに抜かれていた。俺は今回の健康診断で一七五センチだった。弟に抜かれて肩を落とす。
「久しぶりにアリスト博士に会えて嬉しかったな。お昼ご飯も一緒に食べたよ」
「そうか、よかったな」
アリスト・ドットレーン博士は、王都に住み始めてからアンディの担当をしている。ヴァンパイアを専門に研究している人だ。アンディの体液で、短命のハーフを救う研究もしている。
アンディはアリスト博士に懐いていた。
「お兄ちゃんは今日どんな仕事をしていたの?」
「……資料庫の整理」
「僕たちの仕事が暇なのは、いいことだよね」
アンディもジュリアと同じようなことを言って、満足そうに頷く。
「あっ、でも、エミリーちゃんに頼まれごとをした」
「エミリーさんって騎士団の食堂で働いてる?」
俺は頷いて、ことのあらましを話した。エミリーちゃんがアンディのことが好きということは省いて。それは本人の許可もなしに言えない。
「なんで僕なんだろ?」
アンディは首を傾ける。
「同じ年だからじゃないか?」
当たり障りのない理由を考えて言えば、アンディは「そっか」と納得したように頷いた。
「僕は大丈夫だよ。エミリーさんにはお礼をしたいし」
「お礼?」
「うん、食事を準備してくれている時に話しかけてくれるんだけど、その時に『シチューを甘くするのにいい食材を教えてください』って聞いたら、ハチミツを勧めてくれた。だからこのシチューは、エミリーさんのおかげで出来たんだ」
アンディは屈託のない顔で笑う。
「そうか、俺もお礼を言わないと。アンディがエミリーちゃんといる時、俺も距離をとって控えているからな」
「わかった。いい彼氏役になれるように頑張るぞ!」
拳を握って意気込むアンディだが、少し心配ではある。
俺もアンディも王都に来てからは剣ばかり握っていた。女の子とデートなんてしとこともない。アンディに彼氏役が務まるのだろうか?
エミリーちゃんは可愛いし、アンディは兄の欲目を抜きにしても良い子なんだ。アンディがエミリーちゃんをどう思っているかはわからないが、二人がうまくいって欲しいと思う。
アンディにおかわりをよそってもらい、腹がパンパンになるまで食べた。
「「ごちそうさま」」
苦しくて動けず、背もたれに身体を預けて上を向く。アンディが食器を運んでくれた。
「ちょっと休憩したら俺が洗うから、置いておいて」
「わかった。僕は先にシャワーを浴びるね」
アンディがシャワー室に消え、俺はしばらく腹を押さえながら動けなかった。
アンディが戻ってくると、俺は重い腰を上げた。食器を洗い、シャワーを浴びる。
俺がシャワーを出るとアンディはリビングにはおらず、自室に篭ったようだ。俺も部屋に入る。ベッドと本棚しかない質素な部屋だ。
騎士団の寮は二人部屋といっても、個室が用意されている。一緒に生活をするのはアンディだし、気を遣わなくていいから楽だ。
時計に目を向けると、夜の八時。
ベッドで横になると、眠気に襲われる。早いが眠ってしまおう、と瞼を下ろした。