13 ストーカー確保
終業時間になって、食堂へエミリーちゃんを迎えに行き、騎士団本部を出る。
辺りに気を配りながら歩き始め、今日もノリスを見つけられなかった。
「二日続けていないな」
「諦めたのかな?」
俺が漏らせば、アンディは首を傾けた。エミリーちゃんが胸を撫で下ろしたのがわかった。
「まだ二日だし、安心はできないよ」
そう言えば、エミリーちゃんは表情を曇らせる。
「何があっても、僕たちが守ります」
アンディが純粋無垢に笑えば、エミリーちゃんは頬を染めて「ありがとうございます」と頷いた。
今日も何事もなくエミリーちゃんを送り届けられるな、と思っていたのに、ノリスはエミリーちゃんの家の前にいた。
「エミリーおかえり」
俺とアンディは視界に入っていないとでもいうように、ノリスはエミリーちゃんに笑顔を向ける。
エミリーちゃんは不安からか、服の胸元をキツく握る。その手は震えていた。
俺とアンディがいれば、コソコソとついてきていただけなのに、なぜ急に姿を見せたのか。
上機嫌に笑っているのも不気味で、胸の辺りがゾワゾワとする。
アンディがエミリーちゃんを庇うように、彼女を自分の背に隠す。
ノリスはそれに気分を害したのか、苦虫を噛み潰したような表情をアンディに向けた。敵意の籠った視線を突き刺すように。
アンディはスンと鼻を鳴らして、表情を固くする。
「この匂いはなんですか? なんであなたから匂うんですか?」
普段のアンディからは想像もできないほど、怒気を含んだ声だった。
匂い? アンディは何を嗅ぎとった?
「落ち着け、どうしたんだ?」
俺がアンディの肩を叩けば、アンディは歯を食いしばって冷静になろうと耐える。
「微かだけど同じ匂いがするんだ。切り裂かれたところから匂った、甘ったるくて花が熟れたような匂い」
エミリーちゃんが両手で口元を押さえ、ヒッと喉を引きつらせた。
俺も言葉が出てこなかった。
ノリスは黒髪黒目の女性ヴァンパイアではない。なぜノリスからそんな匂いがするんだ?
「エミリー? 可愛い顔を見せて欲しな」
アンディの言葉を無視して、ノリスはアンディの後ろにいるエミリーちゃんに話しかける。
「今日はいいものを持ってきたんだ。エミリーはヴァンパイアが好きなんだろ? だから俺の告白を断った。俺がヴァンパイアになったら、付き合ってくれるか?」
人間がヴァンパイアになんてなれるわけないだろ。コスプレでもするのか?
俺はノリスの言っていることが理解できなくて、眉間に皺を刻む。
ノリスが胸のポケットから、錠剤の入った透明な袋を出した。
「これで俺はヴァンパイアになれる」
心底嬉しそうにノリスは笑う。
「それ! それから匂う!」
アンディが指を差して声を上げた。
ヴァンパイアになる薬? 俺はそんなものがあるなんて知らなかった。種族を変える薬なんて、合法的に作っているわけがない。
「違法ドラッグ?」
アンディが剣の柄を握る。俺も倣った。
「まだ使ってないよな?」
「エミリーにヴァンパイアになるところを見てほしくて。帰ってくるまで待ってたんだ」
相変わらずエミリーちゃんにしか声を向けない。
「それを渡してください。所持と使用では、刑の重さが変わります」
「エミリー、早く見てくれよ」
ノリスはアンディの言葉も無視して、エミリーちゃんに話しかける。エミリーちゃんはアンディの後ろで、カタカタと震えていた。ノリスは常軌を逸している。
「俺もアンディも、お前が薬を飲むよりも早く斬れる。エミリーちゃんはそれを望んでいない。エミリーちゃんを想っているなら、それをこちらに渡してくれ」
エミリーちゃんは兄の友人であるノリスのことを考えて、騎士団ではなく俺たちに相談したんだ。エミリーちゃんの前で斬りたくなんかない。
「エミリー、ヴァンパイアが好きだろ? 今から変わるから」
ノリスが袋を空けると、エミリーちゃんが「違います!」と叫んだ。
俺とアンディは剣を抜きかけたところで動きを止める。
エミリーちゃんは震える足を一歩前に出して、アンディの隣に立った。
「違います。私はヴァンパイアが好きなのではありません」
エミリーちゃんはもう一度否定する。ノリスは首を傾けた。心底不思議そうな顔で口を開く。
「じゃあなんでヴァンパイアといるんだ?」
「私はヴァンパイアではなくて、アンディさんが好きなんです。だからノリスさんがヴァンパイアになったとしても、お付き合いはできません。だからその薬をスタンさんとアンディさんに渡してください。飲まないでください! お願いします」
エミリーちゃんは涙を流しながら叫んだ。
「嘘だろ? そんなはずないよな? ヴァンパイアになれば、エミリーと一緒にいられるはずなんだ。……そうか、お前がいなくなればいいのか」
ノリスがアンディを睨みつける。
話が通じない。
エミリーちゃんはノリスのことを心配して、薬の服用を止めている。泣いているのだって、ノリスを案じているからだ。ノリスに恐怖を感じていた時には、涙なんて流していなかった。
先ほどまではエミリーちゃんだったが、今はアンディにしか目を向けていない。視野が狭くなっているのだろう。
アンディはエミリーちゃんを再び背に隠した。
ノリスは顔を赤くして震える。アンディはわざと怒らせたんだ。
アンディが気を引いている今しかない。
俺は体勢を低くして、ノリスの足首を蹴って足を払った。バランスを崩したノリスが転倒する。俺はのしかかることで、ノリスの背中を押さえつけた。
「アンディ、薬を取れ」
アンディが袋を引っ張るが、ノリスはなかなか離そうとしない。
「アンディ、一度手を離せ」
袋が破けて薬が散らばる可能性を考慮して、アンディが離したタイミングでノリスの手首を掴む。ノリスの手を思いっきり地面に叩きつけた。
「うっ! あっああ!」
痛みに叫び声を上げ、ノリスの手から力が抜けた。掴んでいた袋が地面に落ち、すかさずアンディが拾う。
騒ぎを聞きつけた誰かが通報したのか、騎士が集まってきた。
「違法ドラッグを所持していました。入手経路を調べてください。違法ドラッグは一度ルプス副隊長に確認を取ってもらい、どうするか指示に従います」
アンディが伝えると、ノリスは両脇を抱えられて連行された。
「すみません、こんな大ごとになるなんて思っていなくて」
エミリーちゃんが暗い表情で頭を下げた。
「エミリーちゃんが謝ることじゃない。ノリスが選んだんだ」
「エミリーさん、ゆっくり休んでください」
アンディの言葉にエミリーちゃんは微かに頷いた。
「ノリスは捕まったけど、まだ金髪で緑色の瞳を狙う犯人は捕まっていない。明日からも迎えに来るから」
「はい、ありがとうございます」
エミリーちゃんは家に向かって歩き出すが、フラフラとして足取りが怪しい。
「アンディ、支えて連れて行ってあげろよ」
「あっ、うん。エミリーさん掴まってください」
「ありがとうございます」
エミリーちゃんは遠慮がちにアンディの腕を掴んだ。家までの短い距離を、寄り添って歩く。
エミリーちゃんが家に入ったのを確認して、俺たちは騎士団本部に向かって全速力で走った。