1 惨劇
「ねぇ、お兄ちゃん。スタンお兄ちゃん起きて!」
遠慮のない力で身体を揺すられ、無理矢理起こされた。まだ眠たい目を擦る。
「どうした? トイレか? もう六歳なんだから、一人で行けるようになれよ」
部屋も暗いし、窓からは大きな白い月がよく見えた。
俺を起こした弟のアンディに目を向ける。
アンディは不安気に眉を下げ、白い顔からは血の気が引いていた。カタカタと震えるアンディに、只事じゃないと飛び起きる。
「何があった?」
「怖い」
アンディの尖った耳がピクピクと動く。
人間とヴァンパイアのハーフであるアンディは、俺たち人間より感覚が鋭い。何が聞こえているのだろうか。
「大丈夫だ。俺がそばにいる!」
アンディをキツく抱きしめる。八歳の俺にできることなんて知れているが、アンディを安心させたい。
天真爛漫で明るい性格のアンディが、こんなに沈んでいるなんておかしい。
俺の腕の中で、アンディが深呼吸を繰り返す。
「何が怖いんだ?」
極力優しい声で聞けば、アンディは震える手で窓を指差した。
外? 微かに声が聞こえる。
俺がベッドから降りると、アンディは俺の袖を掴んでついてきた。
窓に近付いて外を見る。
父さんが村人の喉を掴み、片手で持ち上げていた。
村人が血飛沫を上げると、手を離して落とす。
驚愕にヒュッと喉が鳴る。心臓がバクバクと鳴り響き、頭の中が真っ白になった。
人が何人も横たわっている。地面は血液を吸い込み、黒く変色していた。
全員、父さんがやったのか?
優しい父さんがなんで?
数時間前には、母さんの作ったシチューを家族四人で食べた。男三人で風呂に入り、誰が一番長く潜っていられるか、と競い合った。
俺とアンディが眠る時には頭を撫でてくれた。
俺と父さんに血の繋がりはなくても、アンディと変わらず愛情を注いでくれた。
俺の記憶と、目の前の惨劇が結び付かず、呆然と立ち尽くす。
少し肌寒いのに嫌な汗が止まらず、服が肌に張り付いていた。
「お兄ちゃん……」
アンディの声は震えていた。
俺はアンディの手を握る。
俺がしっかりしなければ。俺はアンディの兄なんだから。
ゆっくりと階段を登る音が聞こえた。
俺はアンディの前に出る。
ぎぃぎぃと床を軋ませて、俺たちの部屋の前で止まった。
扉が開く。隣に住んでいる、母さんの友達のエナさんだった。血液で服をどす黒く染めている。
「に、げて……」
涙を流しながら俺とアンディに告げると、エナさんはその場に倒れ込んだ。瞳は固く閉ざされ、ピクリとも動かない。
「あ、あっ……」
アンディの歯がガチガチと鳴り、俺は慌ててアンディの目を覆う。
「目を閉じて、俺に捕まって。ゆっくり進むぞ」
アンディが頷くと目から手を離し、アンディを背中にしがみつかせた。
震える足を叱咤して、横たわるエナさんの脇を通って部屋を出る。
「エナさんも父さんにやられたのか?」
「わかんない。血の匂いがキツくて、他の匂いがしなくて」
アンディは首を振る。
「母さん……。アンディ、母さんを探そう」
アンディが頷き、手を握って階段を降りる。
家の中はしんと静まり返っていて、人の気配はない。
「外に出るぞ」
「う、うん……」
窓から見た光景を思い出して、息が詰まる。ドアノブを掴んだまま、動けない。この扉を開けるのが怖い。
「お兄ちゃん……」
アンディのか細い声で我に返る。アンディの存在が、唯一の救いだ。俺がアンディを守って、母さんを見つけるんだ。
奥歯に力を込めて意気込む。
「行くぞ」
扉を開くと、途中で何かに当たった。半分ほどしか開かず、隙間から外に出る。
「母さん!」
扉を塞いでいたのは、探そうとしていた母さんだった。身体をくの字に折り曲げて、横たわっている。裂けた服から血液が流れていた。
「お母さん!」
アンディが「止まって」と傷口を押さえるけれど、すぐにアンディの手を真っ赤に染める。
「母さん!」
俺が叫んで手を握ると、体温が驚くほど低かった。
「嫌だよ、母さん」
「お母さん、死んじゃヤダ!」
俺とアンディは涙と鼻水でグチャグチャな顔で、母さんに向かって叫び続けた。喉は引き裂かれたように痛み、声が枯れても「母さん」と呼び続けた。