7.集う
うーん……、失敗したかなあ。
サラが蔵書館に二日連続で来ない時は幾度もあれど、三日以上連続は無かった。それが、大体二週間。大幅な記録更新がなおも続いていた。何かあったと考えて然るべしだ。
やっぱ、指を舐めさせたのが良くなかったかな。美味しそうに顔を緩めていたのとは裏腹に、実はわたしの身体から出る猛毒の過剰摂取の果てにルナはずっと寝込んでいるのだ。
なんて、そうだとしたら、このパン屋一瞬で営業停止になっている。だから毒路線はないと信じたい。……そもそも人間の指から毒が出るなんてあり得ないのにそんな発想をしてしまうなんて、結構わたしは参っているのかもしれない。
本当にどうして急に蔵書館に来なくなったのか。会う方法が無い以上知る由も無い。
日に日にモヤモヤだけが募り、昨日は仕事中はルナのことを考えているだけでいつの間にかパンが売り切れていた。便利だけど仕事スキップの為にルナのことを考えているわけじゃないのよ。
「こんにちは、サラさん」
「あ、いらっしゃいレオさん」
わたしが1日で最も(物理的に)輝ける時間帯が終わりに差し掛かろうというその時。ルナとは逆に会う頻度が高くなっているレオが今日も店に来た。前に相談に乗った時は全然役に立てなかったし、もう店には来ないものと思っていたのに、二日に一回は来ている気がする。
しかも、黄昏の宝珠ではなく、申し訳程度に販売しているものの売れ残りがちな他のパンをたくさん買ってくれるようになり、地味にとても助かっている。売れ残るって愚痴を言ったのは他でもないわたしだけど。
注文を聞き、それらを袋に詰めていく。
「色々買ってくれるの、本当に助かります」
「お礼なんていいよ。ここのパンはどれも美味しいし、何より色々頼めば話をする時間が稼げるから」
ふっ、と笑みを浮かべながら気になることを言うレオ。
行列に並んで、お金を払ってまでわたしと会話がしたいの?わたしは絶対夕暮れの宝石姫とは会話したくないけど。愛想ないし、最近は仕事ぶりからして適当だし。
「わたしと会話したいだなんて。時間とお金が有り余ってると変なことを思い付くんですね」
「?変じゃないと思うけど。君は話していて楽しいし、客観的に見て超有名人の君と仲良くできるのは優越感もあるね」
「そーですか。はい準備ができたのでお代」
勝手に仲良しさんになられても困る。レオのことは嫌いじゃないけど、親密になるとお金のやり取りがし辛くなる。適切に距離を取った方がいい。友達なら、わたしには既にルナが。……。
「はい、代金はそのまま受け取っておいて」
「え、すごく多いですけど」
安物のパンの詰め合わせが金貨一枚と引き換えられる。最初のぼったくりのせいで彼の金銭感覚を壊しちゃったのかな?
「明日の朝、君の家に行かせてくれ」
「え、あー……」
耳元で囁かれ、その為の金貨か、と納得した。
懲りずにまた相談したいのか。前回のことがあるのにまだわたしを頼るなんて、よほど彼の周りには相談相手が不足しているらしい。身分が高いというのも難儀なものなのかもしれない。
まあ、貰える物が貰えるなら、わたしとしては構わない。今回はルナから貰ったヒントもあるし、前回よりは役に立てるかもしれない。
《665年9月21日》
というわけで、2週間ぶりにレオを家に招き入れた。相変わらずの溢れる気品で、こんな家じゃなくてもう少しオシャレなお店で待ち合わせた方が良いんじゃないかとかどうでもいいことが過る。彼は気にしてなさそうだから、わたしが出歩かなくて済むこのスタイルの方が望ましくはあるんだけど。
「で、今日も前回と同じ悩みですか?」
まだ何も聞いてないけど、また婚約者絡みの愚痴が溢れるのを予想する。しかし、レオはわたしの目をまっすぐ見て、いや、と否定した。
「今日は僕の悩みを聞いて貰うために来たんじゃないよ」
「え?違うんですか?じゃあ何をしに?」
「君が悩んでいるように見えたから、相談に乗れたらと思って」
「えっ!?」
予想外中の予想外が飛び出した。まさかわたしが相談する側だなんて。確かに現在進行形で悩んではいるけど、他人にバレるほど顔に出ているとは思いもしなかった。
「あれ、違ったかな?」
「いえ、悩んでは、います。バレてるのに驚いただけで。ていうかどういう神経してればお金を多めに出して時間を割いてまで他人の相談に乗ろうってなるんですか?理解不能すぎて、ふざけてるとしか思えないですよ」
不可解すぎて、裏があるとしか思えない。相手は貴族だ。一度その権謀術数に絡め取られれば、無学なわたしは成す術もない。今だって、感情的に『ふざけてるとしか思えない』なんて返してしまい、読み合いのステージにすら上がれていない。
そんなわたしにレオはクスリと笑い、余裕ある声で答えてくる。
「何だか警戒されてるみたいだけど、心配は要らないよ。僕は複雑に物事を考えるのは苦手な方なんだ。お金はこうして君が渋らず家に呼んでくれるようにするためのただの手段だし。友達の悩みに付き添いたいというのはおかしな感覚ではないだろう?」
……如何にも本心めいて言ってくるから、余計疑わしくなる。これまでのレオの言動を思えば、本気でわたしを友達と思って心配してくれているとしても何らおかしいところはない。ただ、貴族というのは頭の良い人種だ。その頭脳を使えば、わたしを騙すなんて簡単なことだ。それは、たとえ騙されていたとしても抗う意味が無いのと同義でもあるけど。
「……そうですね」
「うん。だから、僕で良ければ君の心の負担を軽くするのを手伝わせてほしい」
「そういうことなら。ただ、その前に一つ確認させて欲しいんですけど」
「うん?何だい」
もしかしたら有耶無耶に出来ないかなーなんて打算を込めて、話を持ち出す。ちょっと気になってた事への答え合わせだ。
「レオさんが婚約者と仲良くしなければいけない理由って、その婚約者の事を恐れているからですか?」
「……どうしてそれを?」
レオの眉がピクリと跳ねる。どうやら正解っぽい。流石はルナの意見なだけあって、的を射ている。
「前回の相談への対応がこちらとしても不完全燃焼だったので、あの後友達に話したんですよ。あ、レオさん個人の事はちゃんと暈していたので心配しないでくださいね?それで、彼女の知り合いの婚約者も仲良くしようとその知り合いに近づいてくるらしくて。その知り合い、婚約者に恐れられてるらしいんです」
「なるほど……。うん、僕は確かに彼女のことを恐れているよ」
ハッキリと認めた。前回言うのを渋った理由は、ひとえに恥ずかしかったから、ってところか。あ。貴族ともあろう者が婚約者が恐いなんて情けない、そういう風潮が貴族の中にはあるのかもしれない。
「そういうことだったなら、前回わたしも変なことに巻き込まれると恐れる必要は無かったですね。……ところで、その私の友達も貴族なんですけど、彼女の知り合いがあなたの婚約者なんてことはないですよね?」
少し気が楽になり、ふと思いついたことを口に出してみた。ルナもレオも私と同い年くらいに見えて、だったらルナの知り合いも歳が近い可能性がある。歳が近いなら、ルナの知り合いとレオの婚約者が同一人物である可能性も無くはない。
「どうだろう……。君の友達が僕の婚約者の知り合いなら、少しは顔に見覚えがあるかもしれないけど、その子の特徴は?」
「うーんと、ちょっと大人びてて、でも話をしていると表情がコロコロ変わって面白いですね」
「……それだとちょっと分からないな。もっと直接的な外見で説明してほしい」
「外見は、肌がきめ細やかできれいで、わたしより少し背が高くて、髪が腰くらいの長さで黒くて、瞳は紫色です」
思い浮かべるルナの姿。改めて、ルナってすごく美人だなあ。……しばらく会ってなくて記憶が曖昧になっているせいもあるかもしれない。
「瞳が、紫……?でも髪が黒、いや、彼女が出歩くなら軽い変装は当然するか……」
「あ、もしかして思い当たる人が居ましたか?」
「居るには居る。……そんな偶然があるかという点が否定したがってるけど。差し支えなければ、その友達の名前を教えてくれないか?僕の予想が当たっていれば、その子自身が僕の――」
レオが何かを言い切る直前。
バァン!!!
と何かがぶつかったような大きな音が響き、話が遮られる。
玄関だ。呼び鈴を鳴らすことも無く、玄関のドアを何者かが勢いよく開いて、ズカズカとこちらへ向かって来ているのが見えた。
まさか、不法侵入!?貴族が一人で出歩いていても安全なくらいに治安が良いこの王都で、本当にまさかだ。
……って、よく見たらその人、すごく身なりの良い少女なんだけど?ルナと同じの紫の瞳に、月の綺麗な夜空を濾したカーテンような美しい紫色の髪。とても悪人には見えないというか、この人もしかして……。
「ヴィクタレオン殿下。このような所に居られるとは、一体どういうおつもりですか?」
「ラ、ラクシュルナ……。君がどうしてここに」
……レオの婚約者なんじゃ、と推測したのを遥かに上回るやり取りが行われた。
ヴィクタレオン、え?それにラクシュルナって、え?それって、この国の王子と公爵令嬢の名前じゃ?レオ、って王子だったの!?思いっきり殿下とか呼ばれてたし!?
「ええ??ええええええぇぇぇぇ!!!???」
「うるさいわよ平民!あなたには後できっちり話があるから、今は黙ってなさい!!」
「?ご、ごめんなさい?」
めちゃくちゃ怒ってる。なんで?王子様って平民の家に来ちゃいけないの?
……いや、そんなことより、もっと気になることが。この子、すごくルナに似てる。瞳の色だけじゃなくて、顔の輪郭とか、声とか。違うところが髪の色しか見当たらないレベルで似てる。いやでもそんなわけ、そうだとしたらレオがさっき言った通りそんな偶然あるか案件だ。
……駄目だ、混乱してきて頭が回らない。こういう時は一旦甘いものを食べて、紅茶を啜る。それが一番だとお母さんがよく言っていることだ。