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6.逃亡者

 どれにしようかなー。テーブルに並べられた日記を腕を組みながら見る。

 日記は基本的に外見の違いはほとんど無く、表表紙と背表紙に◯◯日記というタイトルと著者名が書かれている部分だけが異なる。

 ただ、たまに凝った紋様が刻まれているものもあって、そういう拘りの強いものは内容も凝っていて面白かったりするのだ。

 今目の前にある日記の半分がウェルガモット夫人のもので、それぞれが独特の絵が刺繍されていてとても目立つ。金糸の貴族女性と銀糸の執事男性がお互いの腰に手を添えて見つめ合っている様子が描かれたものを手に取り、開いてみる。


「良い選択ね。それはこの中でも特に読みやすくてオススメよ」


 隣でわたしの選択を待っていたルナが、いつもよりも浮わついた調子で言う。

 今机に並んでいる日記は、全てルナに集めてもらったものだ。

 わたしが『オススメの恋愛小説ない?』って聞いたら、すごい勢いで蔵書館を駆け巡って持ってきてくれた。雪の日にはしゃぐ子犬みたいで、見ていてとても愉快だった。


「まさか、サラが恋愛小説に興味を持つなんてね。とても良いことだわ。でも、急に興味を持つなんて、何かあったの?」


 ルナはソワソワしていた。まさかわたしが恋愛小説の登場人物みたいな心境にいると思ってないだろうね?期待には応えられないよ。


「いやあねぇ。ただ知り合いが『婚約者と仲良くしないといけない』って言ってたのがどうしてなのかなと思ってさ。それって恋愛小説に出てくるような意味での"好き"なのかもって思い付いたわけだよ」

「婚約者と仲良く……?」


 ルナの眉間に皺が寄る。期待した答えではなかったから、にしてはものすごい皺である。


「どうしたのルナ?せっかくの綺麗な顔がもったいない」

「!!き、きれい」


 あ、皺が消えた。わたしの軽い言葉一つでこの反応。相変わらず表情が豊かな子だ。


「いや、えと。実は私もそういう人に思い当たる節が合って」

「へー意外と婚約者と仲良くしたい人っているんだね」

「でも、それはサラが考えるような理由からじゃないわ。彼が婚約者と仲良くしたいのは、その婚約者のことを恐れているからなのよ」


 ルナは溜息を吐き、疲れたように肩を沈める。その輪郭の表面を(さら)う空気が、なんだか冷たい。


「恐れている、ねぇ。別にそんなの相手から距離を取って暮らしていけばいいと思うけど」

「そうよね。私も同感よ」


 ルナの簡素な同意で会話の糸が途切れる。ルナはこの話が好きじゃないみたいだ。

 わたしは今の話をレオと照らし合わせてみる。長い付き合いではないけど、どことなく臆病そうな彼なら他人に恐れを抱くのもあり得そうに思える。肝心の何に恐れているかは見当も付かないけど、とにかくその婚約相手はとても恐ろしい性格をしているのだろう。


「何がそんなに恐いんだろうねぇ?たとえば、近くにいる人を食べたくなるとか?」

「っ!?ふぇっ!!?」


 ポツリとしたわたしの呟きに、ルナが跳び上がった。ほんの"たとえば"にそこまで恐がらなくても。


「そういう小説あったじゃん。ウェルガモット夫人の短編集の、甘いお菓子で誘惑して子供を食べちゃう老婆の話」

「あ、そ、そうね。あったわね……」


 はぁ、びっくりした、と胸に手を当てて息を吐くルナは一体何ぞや。あの話は子供向けの教訓みたいな内容だからそんなホラーでも無いのに、割と恐がりなのかな。


「まあまあ、人間を食べようとする人間なんて実際に居るわけでもないし、恐がらなくてもいいよ。人間なんて食べても美味しくないと思うし」

「……それは相手によるんじゃないかしら?」

「え?」

「いやだってその、人によって人生の中で食べてきたものが違うわけだし、身を置く生活空間とかそういう染み付いた匂い的なアレがアレかもだし」

「ふむ……?」


 ルナはこんなくだらない話にも、しっかりとした反論を用いてきた。一理あり、短絡的なわたしとの教養の差が出ている。最後の方は曖昧で目がグルグルしてたのは謎だけど。


「確かに、人間全員が同じ味で等しく不味いっていうのは変だね」

「そこ納得するのね」

「ルナの理論だと、わたし結構美味しい方かも」

「そうね」

「え、そこ納得するの?」

「あ、いえ気にしないで」


 パン屋だから良い味が染み付いていてもおかしくないと思って言ったんだけど、ルナはわたしがパン屋であることは知らないはずだ。なのに、なんの切れ間も無く肯定されたものだから驚いた。


「もしかして、実はルナってわたしの家のこと知ってる?」

「え?何も知らないけれど」

「だよねぇ。安心した」

「その辺有耶無耶よね、私たち」

「そうだね」


 相手の家のことなんて全く知らないまま、のらりくらりと一年近く一緒に居る。ルナが話したく無さそうなのに合わせてる。ただ蔵書館で一緒に小説を探して読むだけの関係。ずっとこのままなのも悪くない。

 でも、もう少しくらい、共有するものが増えても悪いことにはならないとも最近は思う。

 わたしとルナの小説しかない森の木漏れ日に揺れるのもいいけど、そこを少し切り開けば、そこには輝かしい青空が覗ける気がするのだ。バランスを保つ為にルナに合わせていた最初とは違って、わたしのことを話すだけなら環境破壊にはならないという信頼が築けている。

 ただ、普通に教えるんじゃ味気無いよね。ここはちょっとした戯れを添えてみよう。


「ルナ。わたしが何の仕事してるか、当ててみてよ」

「え、そんなのヒントも無しに分かるわけないでしょ」

「もちろんヒントはあるよ。はい」

「え」


 ルナの口元に右手の人差し指を突き付ける。ルナは大きく目を見開く。


「食べて。は違うか。舐めるなどどうぞ」

「うぇあ」


 見開くどころか目の色が変わったようにすら見える。あー、説明不足で困惑させちゃったか。


「ルナの言うことの証明だよ。食べてきたものとか生活環境で人の味が変わるんでしょ?だったらわたしの味でわたしの仕事を判断してみて」

「なにこれ夢?」


 ルナがぽけー、と口を呆けさせている。急な思い付きだけど流れ的にはそんなに変じゃないと思ったんだけどな。あ、お嬢様的には平民の指なんて舐めれないとかはあるか。これまで気安くしすぎて貴族なことを忘れかけていたよ。


「嫌ならいいけど。止めとく?」

「やるらゅ、るやる」


 なんだやるのか。舌がなんか絡まってるみたいだけど、そんなので味がちゃんと分かるのかな?そこも含めてこの検証の結果が楽しみだ。

 指を更に近づける。赤くふくらかな唇にちょんと当てると、ぴくん、とルナの全身が揺れた。それから唇の赤が弾けたように、頬をも染める。


「くすぐったい?」

「ふぇ、と……。くすっぐたいとっ、いうか、いやうんく、すぐたい」


 まともに喋れなくなるくらいくすぐったいらしい。思えばわたしも人に唇を触られたことなんてないから、加減とかよく分からない。

 まあ、唇を触ることが目的じゃないから、さっさと突っ込んでしまえ。待っていてもルナの方から動くことは無さそうだし。


「むんぅ……」


 第二関節より先の部分に呻き声が振動する。深く突っ込みすぎて苦しいのかもしれない、そう心配して指を引こうとしたところに、ねろり、と舌が絡み付いてくる。思っていたよりも生々しい感触に、うひ、と声が出そうになるのをなんとか抑えた。言い出したわたしが嫌そうにするのは良くない。

 ルナは指の腹を執拗に舐めてくる。その目尻が徐々に垂れ落ちていくのが見て取れて、そんなに美味しいのかと自分の才能?を知る。


「んっ……」

「美味しいかい?」

「…………」


 相当集中しているらしく、わたしの言葉に返事は無い。随分本気で当てに来てるみたいだ。

 わたしも口の中の如何にも体内な(ぬく)たさに慣れてきたので、もう心行くまでどうぞと指を委ねる。

 一生懸命に舌を動かして口元をうにゅうにゅさせているルナはかわいいと思う。


「同じところばっかり舐めてたら味無くならない?」

「んず……」


 あ、吸い込まれた。根本まですっぽりとルナの口内に収まってしまった。

 指先が喉の近くまで届いていて今度こそ苦しいんじゃないかと心配になるけど、そんなこともなさそうだ。むしろさっきまでよりも舌の動きが激化していく。


「ちゅぅ…………。るむ」


 あんまり舐められると指紋が無くなっちゃうよー。


「……」

「…………」


 ……あれ?いつ終わるの、これ。わたしがここまで、って言うまでずっとこうしているつもりなのかな?どうしよ、この状態で小説を読むのは難しいし、ルナとお喋りもできないし、他にやること無いかな?

 駄目だ、動けない以上何もできない。こうしてわたしはここで永遠の時を生きることになるのだ。ルナと一緒に居られるならそんな永遠も悪くないかもしれない。かっこ完。

 そんな自分の日記のオチを思い浮かべて。……やっぱ長いなあ。


「えいっ」

「うぷぁっ」


 右手の人差し指を差し出すのにもいい加減疲れを帯びてきたので、それ以外の指で、頬っぺたをむぎゅっ。強制終了のお時間だ。

 てか、頬っぺたあっつ。人間の身体って舌を使いすぎると頬っぺたが加熱される構造なの?


「こんなに熱くなるなら、冬にやればよかったね」

「あ……」


 ほっぺたを撫でながら、そっと人差し指を引き抜く。濡れた指が外の空気に触れ、すぅっと冷える。水とは違う張り付くような不思議な感触。ルナの物だったそれをわたしが貰い受けるというのもまた不思議な感じ。いや、あれだけ熱心に舐め回されたら、むしろわたしの身体の一部がルナに侵略されたと言うべきか。なんにせよ、共有するものを増やす目的が予想外の形で果たされた。身体の一部を共有するというのは言葉にすると何だかすごいことのような気がする。

 で、それは良いこととして。

 もうルナの口は自由になったんだけど。名残惜しそうに小さく開かれたそれは、未だに何も発することなく。……プルプル震え出して?


「ルナ?どうし」

「ふぁああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!」


 叫んで。

 消えた。

 消えたレベルの猛ダッシュ。呆気に取られて、取り残される。


「えぇ…………?どこへ?」


 理解が及ばないわたしは、しばらく身動きができなかった。

 一体、何だと言うのだ。わたしの仕事を当ててもらうだけの話だったはずなのに、ルナはどうして行ってしまった?


 それから帰らなければいけないギリギリまでその場で待つもルナが戻って来ることはなく。


 それどころか、次の日も、そのまた次の日も蔵書館にルナが現れることはなかった。

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