5.相談
ルナと飲んだジュースは美味しかった。正直特段味が良いわけではない普通のリンゴジュースだったけど、友達と一緒というのがプラス要素として大きかったのだろう。
半分くらい飲んだ所でルナがわたしのコップをチラチラと見ているのに気付き、ルナもリンゴジュースが飲みたいのだと思った。ルナが頼んだオレンジジュースとの交換を持ち掛けると、素早い頷きが返って来た。
それで交換したのは良いんだけど、よく冷えたジュースを飲んでいるはずなのに、ルナの頬がみるみる赤くなっていったのは何事だったのか。もしかしたらあのリンゴジュースには人の頬をリンゴ色に変える面白飲料だったのかもしれない。だとしたら、わたしもあんな風になってたのかなー、頬っぺたまで夕暮れ色な夕暮れの宝石姫、とかなんとか想像して楽しくなる。
「こんにちは。今日は前よりも楽しそうだね」
「いらっしゃ……ぁい」
話しかけられて、そういえば売り子の最中だったと思い出す。慣れてくると売り子も無意識の作業と化してしまうのだった。
相手の顔を見ると、2度の印象的な遭遇で流石に覚えた金髪フード少年であった。ぼったくった後ろめたさが少なからずあり、それを取り繕う暇も無くおかしな返事になる。
ていうかまた来たのか。ちゃんと営業時間に来たのは偉いけど、暇なのかな?
「何か良いことあった?」
「いえ、別に」
あなたからぼったくった金で友達と遊んできました、なんて言えない。ここはいつもの雑対応モードに切り替えてしのごう。
「そうか。僕の方はお陰様で婚約者に喜んで貰えてね。今日はそのお礼をと思って」
「それは良かったですね。今日はまだ在庫があるので10個まで買えますよ」
前回の法外な取引は全く恨まれていないようだった。ので、ちゃっかり売り上げに貢献してもらおうと言い出せる辺り、自分も汚い大人に近づいているなと思う。
「それなら10個いただこう。……それと、できればまた相談に乗って欲しいんだけど」
「え、相談?」
箱に崩れないよう丁寧に黄昏の宝珠を詰めていたら、よく分からないことを言われた。何で私が、ていうか"また"って前に相談されたことあったっけ?適当に相手してるから覚えてない。
「また婚約者のことについて少し、ね。君は僕の周りにいる他の人間と違って、気を遣わずに話をしてくれるから、すごく話しやすいんだ。あ、言ってなかったし他の人には秘密にして欲しいんだけど、僕はそこそこ身分の高い家の生まれで、周りが中々厳しい意見をくれなくて。だから君に相談したいんだけど、駄目かな?」
「えぇ~~~……」
前回は憂鬱に曇っていた碧い瞳が、人懐っこそうな光に揺れている。
身分の話は今更として、面倒くさい。後、話が長い。普段ならさっさと捌けてもらうところだけど、大金をせしめてしまっている手前無下にはしづらい。金払いの良い客はこうなると扱いが難しかった。
ただ、今この場で相談に乗ることだけは不可能な行列が彼の後ろにできているので、その上での対応となると出来ることは限られてくる。
「……分かりました。では、明日の朝、うちに来てください。それなら時間もそれなりに取れますから」
もっと良い対応があったのかもしれないけど、残念ながらわたしの頭で短時間で考え付く妥協案はこれしかなかった。またわたしの優雅な朝が削られるな、と溜息を吐く。
「分かった。すまない、忙しい時にこんなに居座ってしまって。ほんの気持ちだけど、お釣りは要らない」
「いえいえお客様の為ですから全然お気になさらず今後も御贔屓に!」
やっぱり金払いの良い客は神様だ、と早口になった。本来大銀貨1枚のところ、その10倍にあたる金貨1枚での支払いは、明日の憂いなど何も感じさせなくするのに十分であった。
《665年9月5日》
さて、明くる朝。
わたしは家の居間のソファーで、かの貴族少年と向き合っていた。
彼は『レオ』と名乗った。
フードを外したその素顔を見れば、なるほど質素なこの家には不似合いな気品を醸し出している。髪が綺麗なだけのなんちゃって姫のわたしと並べば営業妨害になりかねない。あー、その為のフードか。いやそこまで考えてはないか。
ともかく、この貴族坊っちゃんの接待が今からのわたしの仕事なわけだけど。
「で、相談とは?」
家で一番良い紅茶を啜りながら、早速本題に取りかかる。婚約者がどうとか言ってたけど、詳しくは何も聞いていない。
「……どうすれば婚約者と仲良くなれるかな?」
「?仲良く無いんですか?」
「恥ずかしながら僕の力不足で、彼女は僕に全然興味を持ってくれていないんだ」
「へー……」
貴族がわざわざ自分でうちにパンを買いに来て、二人きりで食べるようとするくらいなのだから、そこはうまく行っているものと思っていた。
でも、ご機嫌取りの行動だったと考えればそれはそれで納得できるものがあった。
で、だ。お悩みは単純なもので理解できたけど。
「その婚約者と仲良くなりたいのなら、その人をよく知る人物に聞くべきでは?知らない人へのアプローチのアドバイスなんてできませんよ」
「そ、そこは普遍的なもので構わないから、とにかく君の意見が聞きたいんだ。女性としてこういうのが嬉しい、みたいなのを聞かせてくれ」
「女性として、ねぇ……」
懇願されたので、気は乗らないけど考えてみる。月並みなものしか浮かばない。恋愛小説などというドマイナージャンルを好むルナだったら少しは味のある答えを返せたのかもしれないけど、わたしには理解できない分野だった。
「うーん、わたしがあなたの婚約者なら、あなたは理想的な結婚相手だと思いますけど」
「!?本当か!?い、いや、具体的にどういうところが理想的なんだ?」
「だって、お金持ちですし」
至極当然の話だった。結婚相手はお金をたくさん持っていて、かつ継稼能力があればいい。レオの能力は知らないけど、世間知らずなのを除けば真面目で将来の安定性もあると見受けられる。
それさえあれば仲良くなんてなくて良いし、レオの婚約者も既にレオを生涯の相手として認めていて、これ以上仲良くしたりする気はないんじゃないかと思う。
「お、おか、ね……。僕の取り柄ってそれしか無いのか……」
当然のことを言っただけなのに、レオは衝撃でヒビが入ったみたいに崩れ落ちた。
「お金は重要ですよ。それに、仲良くする相手なんて別に婚約者じゃなくても他のお友達を作ればいいですし、馴れ合う気の無い相手に無理に歩み寄ろうとすると逆効果になるかもしれませんよ」
「……確かに君が言っていることは一般的には正論なのだろうが、僕には事情が。ううむ、でもこれを話すわけには……」
「話してくれなくても結構ですけど。その場合、これ以上わたしから言えることは無くなりますね」
貴族の言い辛い事情なんて面倒事の臭いしかしないので、むしろ話してくれない方が良い。まさかこの如何で国が滅ぶわけでもあるまいし。仮に国が滅ぶにしても、首を突っ込む気は毛頭ないけど。
「うぐ……。……君は口は堅いかい?」
「やわかいです。パン屋なので」
上手いこと言ってやったと口元が緩む。レオは、ははっ、なんだそれ……、と失笑を浮かべていた。パン屋ジョークがウケないとは、これだから貴族様は。
ともあれ、貴族のいざこざに踏み込みたくないという意思は伝わったらしい。
レオは紅茶を飲み干して家から出て行った。
最後に、相談に乗ってくれてありがとう、と言った顔は、うちに来た時よりも少し重くなっているように見えた。せっかく昨日は顔色が良くなっていたのに、勿体無い。
うーむ、失敗したかなー。でも、口が堅いと言ったところでロクなことにならなかった気がする。上客の信頼を失うのと、信頼を得過ぎて負担が増えるのは、どちらがマシか。まあ、過ぎたことだし、考えても仕方ないか。これで良かったと思うしかない。
……それにしても、婚約者と仲良くしないといけない理由って何なんだろうな。巻き込まれたくはないけど、今になってそれが気になりだしていた。ただの野次馬精神ってやつだ。