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3.読友

 パン屋の娘の朝は遅い。でも、実は普段はそこまで遅くない。

 太陽が上りきる前にわたしは王都の舗装された道を進む。ひたすらまっすぐ、進む。市場の果物の匂いに釣られて少し直線が歪む。普段甘い匂いに包まれて生活しているせいか、果物の酸っぱい匂いが時たま恋しくなる。

 そういう匂いを楽しみながら堂々と歩いていても、わたしが周りに見られることはない。こうして出歩く時は基本黒髪のウィッグを付けているので、ただの冴えない平民少女にしか見えないのだ。見られないと気楽なのもあるけど、夕方にしか姿を拝めない夕暮れの宝石姫の神秘性を保つためというのが一番の理由だ。

 続く工芸区域は暑いので、足早に進む。途中でジュース屋を見つけ、財布の重さを思い出し寄ろうか思案するも、行列の長さを敬遠し止めておいた。暑いのは分かるけど、暑い中、行列に並んでまで飲み物を買うのは本末転倒ではないだろうか。もしかして、それほどの味なのか。横を通りすぎながら、帰りに空いていたら寄ってみるのはいいかもしれないと頭の片隅にメモしておく。


「おおー、何度見ても大きいな」


 更に進み続けて王城が目の前にそびえ立つ。これ以上進めば平民は当然捕縛されるだろう。わたしはそうならないよう、雑な感動だけ残し、身体の向きを右に回し、また少し進む。

 そこには、この王都で二番目に大きい建造物が待ち構えていた。此処こそが、わたしの今日の目的地にして日々の憩いの場所。


 『神律蔵書館(しんりつぞうしょかん)


 この国を管理する『女神ナクラマクラーシャ』の権能により生み出された特別な施設である。

 知恵と平和を司る神であるナクラマクラーシャは、この国『ロータシア』の民に言葉の力を授けた。そのお陰で、わたしたちは他国で暮らすよりも、言語の習得能力が格別に高い。女神は、言葉を皆が正しく扱えてこそ真の平和が成し得る、と考えているらしい。

 そして、言葉を駆使し、日々を綴り、より言葉に対する理解を深めよ、と全ての民に日記帳を与えるのだ。

 ちなみに、貴族は日記を書くことを義務化されているが、平民は別に義務ではない。書くにしても毎日律儀に書かなくていいし、何かとその辺緩い。わたしも面白いことがあったら書いてみようかな、程度の気持ちであり、未だに一冊目が最後まで書ききれてない。

 書いたから偉いということもない。

 ただ、日記帳を一冊全て埋めると、それはこの蔵書館に未来永劫保存されることになる。自分の生きた証が、死んだ後も誰かに見てもらえるというのは、少なからず生きる希望・死への不安の軽減になるものだ。ここには、良き人生を送った人、失意無念の中にその幕を下ろした人、そして未来を綴るために今を頑張るたくさんの人の記憶と想いが、詰まってる。

 ……なんて言うと、とても尊い施設のように感じるけど。

 わたしがここに通うのは、単なる暇潰しのためだった。そこに死者を悼む気持ちなど一切ない。それどころか、どこかの誰かが昔どこで何をしたかを延々と綴った日記は、パラパラと最初の数ページだけを読んで『"ハズレ"だ』の一言で閉じるのが常である。わたしは、常に"アタリ"を求めて日記帳の群れに飛び込むのだ。



 中は平日の昼間だけあって人は少なく、静謐な空気に満たされている。立ち並ぶ書棚は、所々物理法則を破っているとしか思えない配列を成していて、神様の建築センスは人には理解しがたいものなのだと、格の違いをまず見せつけられる。天井のアーチに沿ってしまわれている日記が落ちてこない理由を考えるのはもう止めた。最近では日記が宙を飛んでいることもあるし、思考停止していこう。


「さて、前の続き読もっと。――あったあった、アルーグレイ伯爵の『猫とまた旅日記』!」


 わたしは最近見つけたアタリの日記を手に取り、近くの窓際の椅子に座った。高級そうなソファーもあるけど、あれはすぐ眠気に襲われる罠なので使わない。

 この日記は、飼い猫と世界を旅をするアルーグレイ伯爵の、笑いあり涙ありの日々を綴ったものだ。この日記の肝は、なんと、彼の愛猫は人の言葉を理解し喋ることができるのだ。知能も高く、伯爵が病気になった時には健気に看病をし、三日月の夜には一緒に歌を歌って星が流れ落ちるのを待つなどする。

 なんと摩訶不思議な猫ちゃんであろうか。いくら言葉の国でも猫まで喋るなんて神様も粋なことをするなあ。

 ……とか馬鹿正直に感動するのは初心者である。

 わたしは端からこれが事実であると信じていない。そして、伯爵の妄想100%であると分かった上で、この味わい深い嘘日記に読み浸っている。

 たまに居るのだ、嘘の人生を面白おかしく文字に表現できる人間が。こういう現実を置き去りにしネタに走った日記がわたしにとって"アタリ"なのだ。

 蔵書館のこのような楽しみ方を教えてくれた母は、これら妄想ネタ日記を"小説"と呼ぶと教えてくれた。今では小説漁りは有り余るわたしの時間を満たす最高の趣味となっている。

 というわけで小説を読んでいこう。

 前回は、動物の国(そんなものは実在しないのに、実在する化のようによく描かれている)を訪れて自分も猫になってしまった伯爵が路地裏に入り込んだ所で、わたしの現実が時間切れとなってしまっていた。続きが気になり、仕事中もベッドで眠りに落ちるまでの僅かな時間も、続きはどうなるんだろうとわたしなりに想像を膨らませるのがそれはそれで楽しいものだった。

 わたしの予想では、路地裏で行われる猫の集会に参加し、楽しくお喋りをすることになっていた。猫好きの伯爵なら、きっとそういう願望もあるだろうし、この予想には自信があった。さてさて正解は……。


「おぉ、そうきたかぁ……」


 残念ながら予想は全然違った。思ったよりも深刻な展開になり、息が詰まった。

 予想と違っても、この人ならそれを越えた面白い展開を書いてくれるから、安心して読み進められるというものだ。

 このまま結末まで一気に読みきってしまおう、そう顔を埋めるように日記に集中する。しかし、丁度その時、わたしの前に人影が現れる。

 

「まったく、こんな昼間から働きもせず蔵書館に居るなんて、良いご身分ですこと」


 棘を突き立てるような声が、耳に届く。ああ、来てしまったか。わたしは、口元を緩めながら目を瞑り。


「おお、その声は我が友、ルナではないか」


 低めの声を調子付けて、顔を上げた。

 長い黒髪に紫の瞳。本人談では安物だがかなり質のいい青のワンピース。1年前にこの蔵書館で会って仲良くなった少女ルナが、少しキツそうな印象のある吊り目を柔らかく下げながら、微笑んでいた。


「ウェルガモット夫人の短編集にある『山月日記』ね」

「ふっ、その通り」


 普通なら通じない小説の一説を使った戯れが通じることが嬉しい。この無数にある日記の中から同じものを共有できる相手が居るのはとても恵まれていると思う。

 ルナはこの前わたしが薦めた日記を左手に抱え、空いた右手でふわりとワンピースの裾を浮かせながら優雅にわたしの隣の椅子に座った。


「今日は久しぶりに1日ゆっくりできるの」

「それは良いね。わたしはこの天気だと午後から忙しくなるよ」


 椅子の上にスミレの花が生けられているかのような凛とした居ずまいだ。一つ一つの所作の洗練具合もそうだし、家が王城の近くみたいだし、貴族のご令嬢なんだと思う。

 お互いの素性については深く詮索しない暗黙の了解があるので、詳しくは知らないし怒られない限り平民として扱うけど。

 わたしが夕暮れの宝石姫などと呼ばれているのも、秘密だ。友達になら隠さなくても良いとは思うけど、ルナだけ素性を隠しているというのも収まりが悪いし、これでいい。

 他にルナについて知っていることといえば、日記の趣味くらいだ。これが非常に重要で、これだけ知っていれば十分でもある。

 ルナの趣味はわたしと似ているところもあり、違うところもある。それはとても素晴らしい事だと思っている。趣味が合っている小説は躊躇いなくオススメし、感想を言い合える。そして、趣味が違うということは、せっかく見つけた小説がわたしには合わなくても、ルナの好みではあるかもしれないと、ガッカリせずに済む。そう思えば、数ある日記の中から小説と呼べるものを探す砂金取りの如き作業のやる気も2倍なのである。


 二人で並んで座り、それぞれ日記を読む。こうなるとわたしたちの間に会話は無くなり、時間だけが心地よく肌を撫でていく。


「「……」」


 文字の流れが、呼吸に寄り添うようにわたしの内側へと取り込まれていく。良い小説というのは、読むものではなく、吸うものなのだ。アルーグレイ伯爵が飲む紅茶の香りも、ニャオンティウス(伯爵の愛猫の名前)の額の匂いも、この小説に付録しているように感じられる。

 気付けばこの巻の締めのシーンに入っていて、しんみりと冷えた空気が鼻を通る。読み終わるのがもったいなくて、一瞬意識して息を吸う。紫色の花が頭の中に咲き誇る香りがした。この小説にはそんなものは一切出てきていない。

 ああ、そうか。思い出した。紫の花が咲いているのは、わたしの隣の椅子だ。ルナがいつもと違う香水を付けているのに、今気が付いた。


「ルナ、香水変えたんだね」

「えっ!?あ、えぇ……」


 小説に没頭しているところに急に話しかけたせいで、大分と驚かせてしまったようだ。悪いことをした、いや、でも先にわたしの集中を途切れさせたのはルナに原因があるのだから、おあいこだ。……うーん、それは無理があるか。


「気になった?悪かったわね。ちょっと暑くなってきたから、香りが強めに出てしまったのね」


 わたしが謝るより先にルナに謝られてしまった。貴族のお嬢様なのに、わたしよりも先に謝るなんて、不思議な子だ。


「あー、暑いよねぇ。いつの間にか日差しが直撃だ。ていうか、あっつー……」


 窓際の席は明るいけど、これがあるから油断できない。その熱に気付いてしまうと、読書どころではなくなる。

 黒いウィッグは熱くなりやすく、最早全身が自分の汗でべっしょりとなっていた。いつ顎から汗が滴って日記を汚してもおかしくないレベルだ。

 応急処置として、袖で顔を拭う。それから涼しさを求めて、一旦日記を置いてから、服の襟をパタパタ引っ張って風を送る。涼しくなくもない程度のささやかな風だ。どう考えてもさっさと陰に移動するのが賢い選択だった。

 そういう意味を込めた目線をルナに送る。ルナと目が合った。そして合わなくなった。慌てたように目を逸らされたのだ。なんで?


「どうしたの?このままだと蒸しパンになっちゃうし、移動しようよ」

「あ、えぇ……」


 わたしが席を立つと、ルナも合わせて立ち上がる。陰に身を翻すと、襟元の風が格段に涼しくなり、パタパタし甲斐があるね。


「……」


 ルナはとととっ、と静かにわたしの横に並ぶ。そして静かに、やっぱりわたしを見ている。さっき目が合ったのはルナが先にわたしを見ていたからで、つまりはどういうことだろうか?


「何か言いたいのなら、言えばいいのに」

「んぇ」


 回りくどいのは面倒なので、ルナの正面に足を滑らせて向き合った。ぎょっと身を強張らせた彼女はまたも俯いて目を逸らしたので、しゃがんで視線を追いかける。


「よっ」

「うぅ……」


 あ、今度は上に逃げた。上に逃げられると、わたしの方が背が低いのでどうしようもない。後ろに回って膝裏にカックンと入れてみれば、うーん流石に不敬罪。それはそれとして反応が気になったので、脳内の"ルナといつかしてみたいことリスト"に載せるだけ載せて、その案は保留にする。

 残る案は……。"敢えて逆に戦法"くらいか。首が折れそうなくらいに上にのけ反っているルナを元の状態に戻すため、わたしはしゃがんで待つことにした。


「おおー、この角度から人を見る事って少ないから、なんか新鮮。おーおー」

「え、なになに?」


 わたしがすらりと伸びたルナの塔を見上げながら第一の感想を呟くと、あっさりとルナと目を合わせることに成功した。罠とは知らずにチョロいやつめ。


「ほ、ほんとに何なの?」

「それはこっちのセリフなんだけど」


 現状どうみても怪しいのはわたしの方だが、元々はルナに口を開かせるためにやっていることなのだ。別に女の子を下から見上げる趣味があるわけではない。やってみた感じ眺めは悪くは無かったから趣味にする案も今後要検討。


「言いにくいなら、わたしが当ててみせようか。合ってたら白状してね」

「なんでそんな話に……」

「いいじゃん。ちょっとしたお遊びだよ。わたしがどれくらいルナのこと理解してるか的な」

「サラが私を理解」


 その瞬間、ルナの頬が色付いて見えた。これでも渋られたらもう詮索は止めようかと思ったけど、ノってくれたみたいだ。日記を読んでばかりで、たまには遊びらしい遊びもしてみたくなったのかもしれない。


「分かったわ、当てられたら、観念する」


 観念って、どれだけ言いにくいことなのか。それは貴重なヒントになるとしても、難問だねこれ。ヒントが少なすぎる。さっきも言った通りルナのことは日記の趣味位しか知らないのだ。当てれる気がしない。ヒント、欲しいなヒント。ちょっと揺さぶれば引き出せないだろうか。例えば、言いにくいことといえば。


「もしかしてわたしに対する不平不満?」

「……!!」


 ルナの頭が全力で横にブンブンと振られた。不平不満は違うらしい。安心と、あまりに必死に頭で否定を表現された面白さにわたしの心もゆらゆら心地よく揺れる。


「それは良かった。それに、良いヒントになったよ」

「あ、つい……」


 ヒントになっていたことに今気が付いたらしい。わたしなんかに簡単に揺さぶられているようで、貴族社会をやっていけるのかなこの子。


「さて、後何かヒント無かったかな。ん、そういえば」

「もう何を言われても反応しないから……。って、なに!?」


 ちょっと不貞腐れてるルナに構わず、その首元に顔を近づけてみた。やはり紫色の花がイメージされる匂いの根源は、ここだった。


「すんすん」

「うそ、バレた……!?」


 変えたばかりのこの香水はヒントに違いない。いつもと違う香水を付けていることは元から分かりきっていたから、別に顔を近づける必要は無かったけど、良い香りなので近くで戴いてみた。パン屋は香水と相性が悪くて使えないから、ちょっと羨ましくもある。


「もう終わりよぉ……」


 顔を離すと、ルナはふるふる涙目を震わせていた。バレたとか言ってたし、やはりここにヒントが隠されていたみたいだ。気分はまるでミステリー物小説の主人公だ。これで事件の全貌は丸裸である。


「ふふっ、ルナさん。わたしの目はごまかせませんよ」

「お願いだから見逃してぇ……」

「泣いても駄目です。この香水が何よりの証拠です」

「え、香水?」

「ずばり、貴女が言いたかったことは」


 わたしは探偵になりきり、ルナをズビシと指差す。


「昨日がルナの誕生日だったんだね!」

「!っごめんなさ……ふぇ?あ、えぇ、そうよ?」


 ――決まった。思ってた反応と違う気がするけど、推理は完璧だったようだ。

 決め手となった香水は、きっと誕生日プレゼントだ。言いにくそうにしていたのは、わたしに誕生日を教えていなかったのが気まずいからだろう。

 誕生日という発想を得られたのは同じく昨日が誕生日だった婚約者を持つ金髪フード少年がまだ心の隅に居たお陰だけど、概ねわたしの名推理として扱おう。


「自分からはもうすぐ誕生日ですって言いにくいもんね」

「あはははは……。……そーね」


 なんかルナの笑い声が乾いていた。あれだけ渋ったのを言い当てられたのに、どういう心の持ちようだろう。そういえば、ルナはミステリー系統はお好みでは無かったか。

 それじゃ、ミステリーごっこはここまでにして。1日遅れでもちゃんとお祝いしておきたい。


「よし、それじゃあわたしが何か奢ってあげよう」

「え、別にいいわよそんなの」

「いいのいいの、昨日丁度臨時収入があったし」


 貴族の令嬢に奢るにしては心許ないかもしれないけど。そんな素性は知らないことで。


「来る途中で気になるジュース屋があったから、そこ行ってみない?」

「ん……。サラが気になる店は、気になるかも」


 普通の友達として、誕生日を祝う。思えば蔵書館の外で二人で何かをするのは初めてのことで、浮くんじゃないかってくらい足が軽やかに踊った。

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