1.夕暮れの宝石姫
空は次第に橙色に染まり、町の影が活気溢れる広場に長く伸び行く。世界がさよならを告げるこの時間帯が、わたしの仕事時間である。
「いらっしゃいませー」
「おぉ、近くで見ると本当によく映えるねぇ。まるで宝石の」
「あーそれはどうもー。それでいくつ買いますか?」
「え?えっと、黄昏の宝珠4つで」
「ありがとうございましたー。それでは次の方ー」
代金を素早く受け取り、次の客を呼ぶ。
短い勝負時間に雑談を挟もうとしてくる客を捌くのも手慣れてきたと思う。
この店は夕暮れのパン屋さんと呼ばれている。朝が勝負の普通のパン屋とは違い、夕方のみ開店する変わったスタイルで営業しているのだ。
そうしている理由は、ただ一つ。売り子であるわたしの髪の色が、夕日の光を受けると宝石のように美しい輝きを纏わすからだ。それを利用した限定商法を母親が思い付き、これがなかなか反響を呼んでいる。今ではわたしは"夕暮れの宝石姫"なんて巷で噂されるくらいの有名人である。
なお、わたしは髪は綺麗でも顔は平凡、そして愛嬌も持ち合わせていない。これが本当のカミ頼み。これでは客に飽きられた瞬間に終わりなので、稼げる内に稼がないといけない。
「宝石姫!黄昏の宝珠3つください!」
「はい、ありがとうございます」
売れる。
「私も黄昏の宝珠を3つ!子供が大好きで」
「はぁい3つどうもー」
売れる。
「ぼ、僕はお嬢ちゃんがほしぐげぇっ」
「うわあ……」
気味の悪いおじさんが列の整備をしてくれていた衛兵さんに連れていかれる。衛兵さんいつもありがとう。
「黄昏の宝珠を買えるだけ全部!」
「御一家族10個までとなってます。毎度~」
飛ぶように売れ、つい笑顔になる。愛想は無いけど現金には忠実だった。やっぱ笑顔は心からしてこそどうたらこうたら。
流行開始から2年くらい経つけど、未だにお客は増え続けている。隣町からも、そのまた隣の村からも噂を聞き付けて人が来るものだから、最早この店は観光資源と見なしても差し支え無いと言える。
「すみませんが、黄昏の宝珠の残りが僅かなので、お一人様お一つまででお願いします」
メイン商品の『黄昏の宝珠』に関しては、売れすぎて来てくれたお客全員に行き渡らないのが基本となっている。
夕焼け空に見立てた黄金色のパン。雲のようなシナモン入り生クリーム。そして、その上に君臨する夕日を模した輪切りのオレンジ。
生地に含まれる殺人的なバターの量を知れば、来店する貴婦人方は卒倒するだろう。そうと知らなければ味も中々悪くない。痛みやすいクリームと果実を問題なく使用できるのも短時間売りの利点であり、他の店との差別化が容易なのである。
これらの戦略を考えたのも母であり、わたしが得意になるところではないけれど。
まあ、商品名だけは何とかわたしの意見を通せた。父は『サラブレッド』(サラはわたしの名前)とか論外なダジャレネームを提案してきたし、母は『サラちゃんの愛情マシマシトキメキパン』とか、わたしは最後にオレンジを乗っけるだけしかしてないのにわたしの名前を入れるなだしていうか意味不明に長すぎるしお客さんが言うの躊躇うしわたしの名前を入れるな。というツッコミどころ満載の名付け会議の末、悩まされたわたしが時間をかけて何とかそれっぽい名前を付けるに至ったのである。
少なくとも両親の案よりは売り上げに貢献していると信じたい。お母さんが『まだ12歳なのに、ちょっとおませさんねぇ』とわたしの名付けに何か言いたげだったのが未だにちょっと気になってはいるけど。14歳の今でも良い名前だと自負しているし、細かいことは置いておき。
そんなことを考えている内に、あっという間のラスト一個だ。
「いらっしゃいませ」
「あの、本当に一人一つまでなのか?」
ギリギリ最後の一つに間に合ったお客は、フードを被った少年だった。わたしと同い年くらいな気がする。うちの客としては珍しい層だ。
「はい。そうです」
手短に答える。幸運にも最後の一つを手に入れられるというのに、少年は浮かない顔だ。
「本当の本当に?」
「まあ、これしかもう残ってないので」
こっちだって無限にあるならまだ売りたいのよ、とばかりに空になったケースの山を見せる。
少年は一瞬前のめりになり、それでも無いものは無いと理性で理解したらしく、あぁ、と玉ねぎみたいにショボくれた。
「一つだと駄目なんですか?」
「ああ、明日が婚約者の誕生日で、一緒に食べる為に買いに来たんだ」
「明日ですか?だったら明日買いに来てください。日持ちしませんよこれ」
「日持ち?あ」
口を開けたまま固まる。全く考えてなかったと顔に書かれていた。婚約者が居ると言うし、世間知らずな良家のお坊ちゃんのようだ。
まあ、身分が高かろうが関係無い。
「あの、買うんですか?買わないんですか?店じまいしたいので早く決めてください」
「え、あ、買う、買おう。評判通りの味か確かめないと」
ハッと我に返った少年は、反射的に応じたようだ。その時フードの中からこぼれた髪が金の輝きを放ったのが何となく印象的だった。
あまり来たお客の顔を覚えていないわたしの記憶に確かな染みを残し、彼はフードを深く被り直して去って行ったのだった。