聖なる日の恋人は幸せに
「いらっしゃいませ~」
「ケーキ、ケーキはいかがですか~」
クリスマスイブの夜更け。
俺はバイトのコンビニで、バイト仲間の中田さんと一緒に店頭でクリスマスケーキを売っている。
「はあ。寒いっすね」
「そうね。手が冷たくなっちゃったよ」
中田さんは、ハーっとひと息、両手に息を吹きかけた。
ヒートテックの重ね着をしているとはいえ、寒風吹きすさぶ中に俺たちはもう二時間こうして突っ立っている。ダウンコートでも着込んでいるならまだしも、着ているのは薄っぺらい『なんちゃってサンタクロース』コス。ご丁寧に頭にはトナカイのサンタ帽まで被っている。
「売れないねえ」
そんな愚痴をこぼしていた。
「本当に売れないもんだね。……あっ」
ふいに中田さんが近づいてきて、どきりとする。
な、なんだ?
「三宅君。鼻の頭、真っ赤」
そのとき、中田さんが面白そうに俺の鼻の頭をちょこんと突っついた。
「ふふ。本当に赤鼻のトナカイさんみたい」
「そんなんじゃないっすよ」
俺は横を向く。しかし。
か、可愛い……。
心臓がバクバクと動悸を打つ。
小柄だけどメリハリのきいたボディは色っぽく、ストレートのロングヘアは手入れが行き届いていて艶がある。チープなサンタコスも中田さんはセンス良く着こなしている。
俺は胸の鼓動が気づかれやしないか気になっている。
実は、俺は中田さんに片想いしている。
中田さんは俺より一つ年上の大学の先輩だが、俺の方がバイト歴は三ヶ月長い。普段、同じシフトに入ることも多いので、年上だが可愛い中田さんに俺は次第に恋心が募っていた。
「ありがとうございましたー」
なんとか最後のひとつを残すところまで売り切ると、俺は言った。
「中田さん、もう時間だからあがりましょう」
「そうね」
そして、バックヤードに戻り、店長に報告する。
「お疲れさま。いやあ、今日、バイトに入ってもらって助かったよ。クリスマスは学生さんは何やかや言って入ってくれないからね~。あ、残ったケーキ、良かったら持って帰って」
「え? いいんですか?」
「ああ。遠慮なく。と言っても、一個しかないから、二人で相談してよ」
店長はそう言うと、またレジへと戻って行った。
「三宅君、持って帰る?」
「中田さんに譲りますよ」
「ええっ、本当にいいの?」
「もちろんですよ」
「わーい、いただきます」
子どものように喜ぶ中田さんを見つめながら、その無邪気な笑顔に、いっそ俺はケーキになりたくなった。中田さんの家にお持ち帰りしてもらえるなんて、羨ましい。
「じゃ、お疲れ様ー」
スリムな黒いパンツとホワイトダウンに着替えた中田さんがそう言って店を出ようとした時、俺はとっさに言ったのだ。
「な、中田さん!」
「何?」
中田さんが振り返った。
長い髪がふわり揺れた。
「こ、これから予定はありますか?」
「え? 何もないけど」
「お、俺、俺と……」
「ん?」
小首を傾げて、中田さんが問いかけるように瞳を瞬かせるが、俺は言葉が出てこない。
「い、一緒にどこか……どこかに」
ダメだ。
こんな真夜中に近い時間帯にどこ行くって言うんだ。
そう一人テンパっていたときだったのだ。
中田さんは言った。
「三宅君。今からクリパしようか?」
「え?」
「三宅君もケーキ食べたいよね。一緒に食べない? こんな大きなケーキ、一人で食べるのは寂しいわ」
中田さんは俺の目をじっと見つめながら
「私の家、この近くなの。良かったらおいでよ」
そう言ってニコリ、笑った。
それは、天使の笑みだった。
◇◆◇
「お、お邪魔します」
中田さんのアパートはコンビニから徒歩五分のところにあった。
そう言えば、コンビニバイトも家から近いからという理由で決めた、と聞いたことがある。
「そこらへんてきとーに座って」
中田さんの部屋は八畳の1Kだった。すっきりと掃除が行き届いていて、ベッドに大きな茶色いテディベアのぬいぐるみがあるところなど中田さんらしいなと俺は思った。
「あっ、ぬいぐるみなんて、子どもっぽいと思っているでしょ?」
中田さんはコートを脱ぐと突然そう言い出した。俺はぎくりとする。
「そ、そんなこと思ってないっすよ」
「うそ。今、じっと見てたじゃない」
「誤解ですって」
中田さんらしいな、なんて思ったことは、口が裂けても言えない。
子どもっぽいとは思わない。ただ何というか、こういうほわほわしたガーリーなものが似合う感じなのだ。
「クリパなんていつぶりだわー。珈琲と紅茶、どっちがいい?」
気を取り直したのか、中田さんは明るく俺にそう問いかけてきた。
「えーと、珈琲」
「ミルクとお砂糖は?」
「ブラックで」
「オッケー」
そう言いながら、テキパキと小さなキッチンに立つ。
「ケーキ、お店でもらえて得したね」
ケーキは6号の苺のショートケーキ。白い生クリームで彩られ、大粒の苺と柊の飾りだけが乗ったシンプルで大きなケーキだ。
ケーキの他にも店でチキンに唐揚げ、サンドイッチ、ポテチやクッキーなどを買ってきたので炬燵に並べた。
「電気、消すね」
中田さんの言葉に一瞬、ドキリとする。
ライターの火ををつけ、ケーキに乗せた五本の細長い蝋燭に火が灯ると、炬燵の上だけがぼんやりと明るい。
「「メリークリスマス!」」
どちらからともなく、二人の声が揃った。
それから、切り分けたケーキをフォークでつつきながら、中田さんとふたりきりの『クリスマスパーティー』が始まった。
「店長って、三歳になる娘さんがいるって知ってました?」
「えー!? まだ二十台前半そこそこでしょ」
「熱烈な恋愛結婚だったらしいっすよ」
「結婚て言えば金曜日シフトの咲ちゃんのハナシ、三宅君、知ってる? 最近、すごいイケメンの年上のカレシができて、結婚したいの一点張りなの」
「イケメンのカレシですか。彼女も可愛いですもんね」
「いいなぁ。可愛い娘は」
大袈裟に中田さんが溜息をついた。
伏し目がちの睫毛が長く、綺麗だ。
「中田さんだって……」
「私が何?」
「あ。最近、店、お客が増えたと思いませんか?」
「そうそう。接客が大変になったわよね」
そうやって俺の恋心はうやむやに誤魔化すと、バイトの愚痴、大学の講義やサークルの話、友人の恋バナなど話は尽きなかった。
その夜も更けてきた頃。
「三宅君、珈琲のおかわりは?……あ、いいものがあったんだった」
「いいもの?」
「これこれ」
そう言って中田さんが出してきたのは、一本の赤ワインだった。
「この前、友だちが泊まりにきたときに置いていったの。半分飲んじゃったけど、美味しかったのよ。ほら、飲んで飲んで」
勧められるままグラスをあおる。
「美味いっすねー!」
「でしょ? でしょ」
すっきりとした飲み心地に俺は杯を重ねた。
何だか頭がくらくらしてきた。ふとワインのラベルを見ると、意外とアルコール度数が高い。回らない頭でも分かる。
これはやばい。やばすぎる。実は俺は、酒に弱い体質なのだ。
呂律も怪しいままに、俺の口は勝手に動いていた。
「……中田さん。中田さんはなんでそんなに可愛いんですかぁ」
「三宅君、やだ。酔ったの?」
中田さんの声がどこか遠くから聞こえてきた。
体がふわふわとして気分がよく、今ならどんなことでも平気で言えてしまいそうな気がする。
「こんな夜更けに男連れ込んで……許されると思ってるんですか」
俺の目は据わっている。
俺は何を言ってるんだ。
よりにもよって中田さん相手に……。
そして。
あろうことか俺は。
俺は中田さんをその場に押し倒したのだ……!
「中田さん……。俺……俺……」
中田さんの顔を間近に見下ろしながら、俺は急に言葉が続かなくなった。
あともう少し。もう少し。もう少しで想いを伝えられるはずなのに。どうしたんだ、俺は。
俺は……。
次の瞬間、俺の意識は暗転した。
俺はその場に突っ伏し、眠りに吸い込まれていった。
そんな俺に夢かうつつか、中田さんが薄いブランケットをそっと掛けてくれたような気がしていた。
◇◆◇
中田さん……
中田さん……
暗闇の中、中田さんの姿を探す。
その時、一条の光がさした。
「……三宅君」
俺を呼ぶ優しい声に、俺は無意識に手を伸ばす。
「三宅君。おはよう」
……あれ? ここ、は。
寝ぼけ眼で俺は事態を確認しようとした。
服は昨夜のまま、俺は炬燵の中にいた。
軽い頭痛を感じる。
間違いなくこれは二日酔いだ。
昨夜の自分の失態を思い出して、俺は真っ青になった。
「中田さん。お、俺……」
「あの程度で酔っ払うなんて、三宅君、お酒弱すぎ」
「すみません……」
昨夜の自分の醜態を思い返すにつけ、身悶えする。
「朝ご飯、食べていくよね?」
しかし、中田さんは何事もなかったように言った。
「はい、歯ブラシとタオル」
そう言って、新しい歯ブラシと白いタオルを手渡してくれた。
俺が慣れない洗面所でまごついている間に、炬燵の上にはトーストと生野菜サラダ、コーンクリームのカップスープにカフェオレが二人分、並んでいた。
「いただきます」
とりあえず分厚いトーストを囓る。
それは、ふわふわの食感の甘いフレンチトーストだった。
「美味いっすね!」
「フレンチトーストって、パンと卵と牛乳に砂糖だけで簡単に美味しくできるから好きなの」
そう言って、中田さんはほっこりと笑う。
中田さんの抜群に可愛い笑顔を朝一番に、よりによって中田さんの部屋の中で見られるなんて。
うそでも中田さんと一夜を過ごしたという事実に、じわじわと俺は喜びを感じていた。
「今日、クリスマスですね」
「三宅君、予定ある?」
「クリぼっちですよ」
「私も」
中田さんは俺の目をじっと見つめると言ったのだ。
「今日、一緒に過ごそうか?」
「え?! マジですか」
いや、夢かもしれない……。
「イテ……」
思い切りほっぺをつねったらやっぱり痛かった。
「あはは。本当にそんなことやる人いるんだ」
中田さんは面白そうに笑っている。
「中田さん」
俺も中田さんの目を真剣に見つめ、そして告げた。
「好きです。俺の彼女になってください」
中田さんは一瞬、不思議そうな顔をした。
俺は何てことを言ったんだ……!
後悔の念がよぎろうとした。
しかし、次の瞬間。
なんとも言えず嬉しそうに微笑むと、中田さんは俺の胸元に飛び込んできた。
ふわりと中田さんの髪のフローラルな甘い香りが鼻腔を掠め、俺の心臓はドクンと跳ねた。
中田さんが今、俺の腕の中にいる……。
けれど、これは夢なんかじゃないんだ。
中田さんの肩越しに東の窓に目を遣ると、白い粉雪がちらちらと舞っている。
ホワイトクリスマス……それは何よりもロマンティックなクリスマス・イブ。
聖なる日の朝。
俺たちは誰より幸せな恋人同士になった。
本作は、XIさま主催「真・恋愛企画」参加作品でした。
作品執筆にあたり、石江京子さまに大変貴重なアドバイスをいただきました。
表紙は端月風花さまに作成していただきました。
作中挿絵は汐の音さまに描いていただきました。
XIさま、石江さま、端月さま、汐の音さま、そしてお読みいただいた方、どうもありがとうございました(^^)