肆の歌
「ももか、あのさ…?」
ディズニーランドの宴の翌日。ミッチが目にクマを作った顔でももかに呟く。
「もしかしてさ、アイツとさ、付き合ってんの?」
咄嗟に首を振る。そんなわけないじゃん! あんな失礼でぶっきらぼうな奴、好きになる訳ないじゃん! ミッチももかの好み知ってるっしょ? もっと理知的で紳士で優しくてサーファーっぽい…
「あー、そーゆーの良いから。ホントの事言ってくんね? なんかモヤモヤして寝れねーんだわ…」
だから! ももかはアイツに絶対気なんかないってば!
「…そっか。まあ、うん。分かったわ。」
ももかの脇にはイヤーな汗がタラーリと流れ落ちている。
それより、あの右近くんとか、どーなの? 向こうは結構気に入ってたみたいじゃ…
「あんなナンパな野郎、いらねーよ」
そ、そですか。
「また、どっか遊びに行けっかなあ…」
ボソッと呟くとミッチは寂しそうにももかから離れていく。
ああああああああああ
どーしよ。マジどうしよう…
あんな失礼でぶっきらぼうな奴をさ、実は気になって気になって仕方なくなっちゃってるって、言えないよさすがに…
昨日あの後、
「夜道あぶねーだろ。送ってくわ」
そー言って、一駅乗り越してくれ駅から家まで送ってくれたなんて、言えねーよ…
「家デカっ! お前んち金持ちか? え? ひょっとしてお嬢様?」
家まで特定されてしまい、
「今度どっか行くときは、迎えにくるわ。じゃ」
後ろ姿を消えるまでずっと見つめていて、昔はものを思わざりけりなーんて考えちゃったりしてたなんて、絶対言えないよお…
相談! 相談しかない。
誰に?
アッコ。ダメダメ、ミッチの親友。
ノッコ。あかーん。ミッチの親友。
とにかく学校の友達は絶対駄目だあ、すぐにミッチの耳に届いてしまうであろう。
ママ?
「しっかりキープしときなさい、油断はダメよ、友情より恋よ!」
と言うに間違いないっ
まさかの、パパ? 昨日からちょっと好きになりかけてる父上?
アリかも。何よりあの大新聞の編集者なのだから、きっと読者の身の上相談もしている事だろう。何よりメチャクチャ無口な人なので、ママにバラすことはないだろう。
よし、善は急げだ。確か昨日朝帰りだったから今日は家にいる筈!
四人で昨日の反省会を渋谷でした後、帰宅するとパパは庭の梅の木をボーッと見ていた。すっかり暗くなり昼間の暑さも大分和らいでる。何なら少し涼しくもあーる。そんな中でパパはポツネンと梅を見上げている。ホント好きだなあ、あの老いぼれた梅の木が。
「ああ、桃香。おかえり。」
昨日はあんがとねー それにしてもホント好きだね、その梅の木。
「うん。僕がこの家に来た時からさ、優しく見守ってくれているのはこの木だけだから。」
暗っ んなことないでしょ、お婆ちゃんだってパパに優しかったじゃん! それにママだって…
「ああ、まあ、そうかな。お母さんもいい人だったし、梅子もいい妻だな。うん。」
そう呟き梅の木を見上げる。家の横の道路を車が通り過ぎる音がする。
「でもな、この藤原と言う家にさ、僕が馴染んでいるかと言うと… どうかな…」
へ? 何言っちゃってんすか? まあ婿養子でママと結婚したことは知ってますよ、ですがもう今は立派な世帯主ではありませぬか?
パパはももかに振り向き、少し笑いながら
「桃香も、大人になったなあ。この木は昔のままなのに。僕も歳を取るわけだ。」
…何? ノイローゼ? いつもに増してなんかヤバいんすけどこのオッサン…
「それより。何か用かい? さてはお小遣いが足りないんだな?」
違いますけど。ムッとして答えると
「冗談、冗談。はは、昨日言っていた彼のことだろう?」
オウ、イエス。あの、ママには内緒で…
「分かっているよ。えっと何君だったかな?」
菅原くん。菅原健司くんです。昨日の夜、この家まで来たんだよ。送ってくれたんだ。ぶっきらぼうで失礼な奴なんだけどさ。なんかパパが言ってた価値観が合うっつーか? アイツの言ってること、なんでもスッと理解出来るっつーか。ちょっと気になってるんだよねー
「菅原、君。か。良いじゃないか。」
ですがね父上―。ももかの親友がさあ、彼に気があってさ、その子にはももか、彼には気がないよって言っちゃってるんだよお。あー、どうしよー、友情を取るか愛を取るか。マジで困ってるんですうー
パパは最初ギョッとした顔で聞いていたが、次第におかしそうな笑顔になり、
「きっと梅子なら、しっかりキープしておきなさい、なんて言うんだろうな」
ももかとパパは老梅の下で爆笑する。
「秘めたる恋、も悪くない。」
ポツリとパパが呟き、
「二人の恋が結実してから、その親友に話しても良いんじゃないか? まだ高校生なのだから」
昨日までのももかなら完全無視なのだが。
そーだね、付き合うかどうかわからないけど、友情より愛情をとってみるわ。そう言うと、
「少し梅子に似てきたかな。それも、悪くない。うん。」
ももかにニヤリと笑い、パパは老梅を見上げた。
ももかの部屋には専用の電話を引いてあーる。
毎晩、アッコやノッコ、たまにミッチと長話をするので、五月にママが
「これじゃお仕事の電話出来ないわ! もう仕方ないわね、アンタ専用の電話引いたげる」
と甘やかしてくれているのであーる。
今晩からその三人に、菅原くんが仲間入りするのだあ!
夕食後、フツーに昨日の夜のお礼をと電話をすると、
「え? ウソ? 藤原、さん?」
とメチャクチャビビりながら電話をとったのには爆笑だ。
「すごいな、自分専用の電話回線か… やっぱお嬢様かよ、俺とは身分違いだな」
それより昨日は送ってくれてあんがと。すこーし見直したよ
「見直すって… 何その上から目線。まいっけどよ。」
それから思いの外話は盛り上がり、
「来週期末テスト? お前らそんな忙しい時期にディズニー行って遊ぶって… 馬鹿なの? まあ、うちらもだけど。」
来るねえ、グイグイ来るねえ、今の言葉ミッチに言えるのかい?
「あの人… 怖えかも。あの容姿でアニメとかゲームって… 心病んでんじゃね?」
くわっ アタシらも思ってて言えないことを、ズバッと来るねえ。マジウケる!
「知らねえよ。それより、藤原さんテスト勉強してんの? 地頭良さそうだけど馬鹿っぽいふりしてるから勉強してないだろ?」
凍り付く。
見透かされた?
馬鹿っぽいフリ…
「いやさ、なんか周りに無理やり自分を合わせてるっぽいじゃん。あの頭悪そうな二人に。お前と大江さんはわざと馬鹿なふりしてるなーって思ったぜ、違うのか?」
気がつくと受話器を叩きつけて電話を切っていた。
アンタに、
アンタが、
どうして私の人には言えない心の奥底を…
* * * * * *
中学時代。常にクラスの上位の成績だった。
ガリ勉が見下される風潮を読み、勉強をしていないフリをしていた。友人には軽いノリの人を選び、彼らと共に努力や苦労を常に否定する日々を過ごしていた。
それは次第に私のカラーとなっていき、気がつくと家族に対してまで繕った自分を見せるようになっていた。
努力はカッコ悪い。
そう言いながら陰で受験勉強に勤しみ、商業や工業高校へ進む仲間を他所に自分は都立の中堅校に収まった。
そこでも更に自分を覆い隠し、馬鹿なアホなキャラを前面に押し立て、仲間作りに励んだ。
高校の勉強が急に難しくなると同時に、本当に勉強をしなくなっていた。
何故?
心の奥底に、何とも言い難い嫌悪感が止まないから。
それは何?
分からない、正直その正体が分からない。だが、真面目に生きる自分を肯定できない不安というか恐怖というか、とにかく世間体の良い女子高生でいることを肯定できない自分が心の奥に蠢いているのである。
思春期特有の心の乱れ? 違う。
バブルに踊り狂っている世間への軽蔑? それも違う。
真面目に努力することへの贖罪、とでも言えば良いのだろうか、真面目に学校へ行き進んで勉強をすることへの罪悪感。これが今私が言える言葉だ。
今時のチャラチャラした者を友人に選び、彼らと共に努力を否定し勤勉を見下す。そうすることでようやくホッとできる自分がいる。心が安らかに生活できる自分がいる。
父を苦手だった理由の根本がこれだ。真面目で勤勉な父を見ていると、心が不安定になっていく。こうなってはならない、こうあってはならない。それを具現化している人が自分の父なのだ。故に私は思春期に入り父を否定し忌避してきた。
だが。
菅原健司と出会い彼を知り、私の心の奥底にある何かが動揺した。
そう、彼は父と同種なのだ!
努力を惜しまず勤勉さを信条とする、そんな類の人間なのだ。
彼と話しているとこの数年の自分を根本から否定された気になる。敢えて努力を厭い、勤勉を否定してきた自分を否定されるのだ。
嫌だ。
この生き方を、このスタイルを、今の仲間を捨てたくない。
心の奥底の私が叫ぶ。
真面目に生きちゃダメ! 努力なんてサイテー
それをしたら、この先私は……
心が、先週化学の時間に学んだ遺伝子が、そう叫ぶ。
私は、叩きつけた受話器を上げ、再度彼の番号をプッシュする。
* * * * * *
期末試験はあっという間にやってきた!
ノッコは地味にテスト勉に励んでるけど、アッコ、ミッチ、ももかは完全スルーで毎日スペイン坂でクレープ食べたりセーラーズのウェアをチェックする日々!
たまには原宿行っちゃう? なんてアッコの提案に、
「あんなナンパな街に行けるかよ」
と男らしく否定するミッチが好き!
どーやらアッコは西園寺くんと付き合い始めたらしい。が、彼が試験勉強で忙しく! さすが進学校! 彼に会えずに毎日文句たれている。
「それよりミッチ、菅原くんとどーなってんのよ?」
アッコが口の周りをチョコだらけにしながら問うも、
「んー、連絡先知らねーし。あー、早く試験終わんねーかな。またさ、みんなで出掛けようぜ!」
ももかは完璧な笑顔で賛成する。
その晩。
「ちょ… 試験勉強中なんだけど。ったく。」
少しくらいいーじゃん。ケチ。
「ケチって… 何だよ毎晩毎晩… 少しは勉強しろよ、ったく… で?」
試験終わったらさ、どっか行こうよ。
「…へ? 誰と?」
いや、この流れだとフツーに二人で、なんすけど。
「…べ、別に、いいけど。どこ?」
海! 海海海! 絶対海!
「お、おお。海、な。金かからねえから、全然いいけど…」
ダッサ。海の家で焼きそばくらい奢んなさいよ?
「わ、分かった… 焼きそば、な… それぐらいなら、まあ…」
あと、カキ氷も! ブルーハワイ味のやつ、ね?
「何じゃそりゃ? どんな味だよ見たことねえよ」
電話を切った後。
すこーしだけ、彼を見習って勉強しよーかな、と思った。
「ももか… アンタ… 一体…」
五日間の試験最終日。
初日の試験の答案が返却されちまった… あっちゃ…
「古文、八六点って… マジで?」
八十三点のノッコが顔面ソー白で譫言のように呟く。
やっちゃった…
あの後、彼に引きずられるように試験勉強にのめり込んでしまい、特に得意の国語、古文系でつい力が入ってしまい…
ダッサ。みんな呆れ顔じゃん。コソ勉くそ女って思ってるだろーな…
もはや、忍ぶることの弱りぞもするので、実は国語系メッチャ好きやねん! と明るくカミングアウトしてみる。
「まさかの桃香… 脳あるタコは足隠すってか! 爆笑―」
「二学期からベンキョー会! ももか、ヨロヨロ!」
ミッチなんて、
「マジで、教えてくんね? 国語、さっぱりなんだよ。あの、登場人物の心ってーのが、サッパリわかんねーんだわ!」
と食いつかれてしまう。
あれ? この子達?
「やっぱー、青学くらいは行っときたいじゃん。ももか、国語系、マジでよろしく!」
あのアッコが、真剣な面持ちで叫んでいるし!
え? どゆこと?
あんなに勉強嫌い、努力ウザい、と言い放っていたアンタたち?
「そんなん… ガキの戯言っしょ。そろそろしょーらいの事、考えなきゃ。」
アッコ、あんた…
「アタシは狙ってるよ、早慶上智。親に言われるからじゃなくて。マジで自分でそー思う。」
ノッコ、うん、アンタはそうかも…
ミッチはちょっと困った顔ながら、二人の言葉に頷いている。
そっか。
そーなんだ。
いーんだ、努力? いーんだ、ガリ勉?
四ヶ月の付き合いが、いかに上辺だけのものだったかを知ると共に、既に将来を見据えている親友たちに新たな親近感が湧いてくる。
自分自身、久しぶりの集中した勉強は、悪くなかった。
ふと、アイツの言葉が蘇る。
(わざと馬鹿なふりしてるなーって思ったぜ)
急にこれまでの自分がくだらなく感じる。努力を見下し、勤勉を蔑んできた己が愚かに思えてしまう。そしてこれからはそんなポーズを取らなくても良い友人達が周りにいる。若干一名を除き。
「ま、アタシはビンボーだから、バイトしてお金貯めて。そんでパーっと世界旅行でもしてえわ!」
いいよミッチ。アンタはそれで、いい。まる。
よおーし。二学期からは本気出す。ノッコに負けない成績、取ってやる!
え? うん、夏休みが明けたら。うん、本気出す。
試験の打ち上げを兼ねて、四人で珍しく原宿に繰り出す!
一人猛反対していたミッチに、新しい世界を知らないと男に振り向かれないよ、と脅すと案外あっさり賛成に回るところが好き。
雑誌にものっているカフェクレープという店でチョコバナナを買い、竹下通りを原宿駅に向かって歩いていると、やっぱ田舎者ばっかでウケる!
修学旅行で来ているのか、制服に堂々と名札が付いていて、四人で
「山田、結構イケてるな」
「佐藤、足太!」
「高橋、丸刈りじゃなきゃイケる」
なんて笑いながら話している。
代々木公園のベンチで四人並んで腰掛け、夏休みの予定を相談する。
部活はしてないから基本暇かと思いきや、ノッコはちゃっかり夏期講習に行くことを告白し皆に白い目で見られたり、アッコはお盆に田舎に帰ったり、ミッチはガチのアルバイトがガッツリ入っていたりで中々四人が揃う日が定まらず。
とりあえず来週の金曜日に神宮のプールだけが確約され、水着をチェックしにラフォーレ原宿に戻るのであーる。
「原宿も、悪くねーな。これからはちょいちょい来るか。」
ミッチが改宗し、今後の原宿の発展を密かに祈ることにする。
「いいなあ、試験終わりか。こっちは明後日までだよ…」
試験が終わったことを幸いに、夕食後即電話攻撃を掛けると菅原くんは弱った声で泣き言を漏らす。
「で? 明明後日だっけ? 海行くの。いいけどさ、俺カッコいい水着なんてねえぞ」
ちょ… 頼むからスクール水着とかはやめてけろ…
「それっかねーし。ああ、周防あたりに借りようかな」
水着って貸し借りするモノ? ま、スクール水着で材木座とか有り得ないんで、まあお任せしまっせ。
「何、材木座って? 海行くんだろ?」
だーかーらー。材木座海岸。レッキとした湘南なのですけど。
「ふーん。そーゆーおしゃれスポット、よく知ってるよな、藤原。」
最近、呼び捨てされるのがこそばゆい。
「明日にでも周防か西園寺に声かけとくわ。」
ん?
ちょい待てい。
「え… 藤原と二人で海行くから水着貸せと…」
馬鹿かお前は!
そんなこと言ったら、あっという間にミッチにバレちゃうじゃん!
「ミッチって… ああ、壬生さん? バレたらマズイのか?」
マズイんだよ。ミッチはアンタに気があんだから。
「…だから、俺あの人… って、俺が藤原と海行くのがマズイのか?」
そりゃそうでしょ! ももかとスガワラがデートしたってバレたら、ミッチブチ切れるよお!
「…デート、なのか?」
そうですが何か?
「デートって、彼氏彼女がする行為なのでは?」
じゃあ何なのさ?
「海遊び?」
思わぬ解決策が閃く。
渋谷の古着屋でそう言えば見たのだ、男物の水着の古着を。
「ふーん、古着ねえ。病気とか移んねーだろうな?」
ちゃんと洗濯してあるわ! え何? 古着とか買わないの?
「そこまで貧乏じゃ… ふーん、いいな古着。明後日さ、一緒に行ってくんね?」
急にドキッとしてしまう。ここまでは全てももか主導だったので全然だったんだけど。彼からの誘いが意表を突き、かなーり動揺してしまう。
「試験昼に終わるから。ハチ公前集合で、な」
いや、モヤイ像前にして…
「? いいけど。あの四、五年前にできたヤツ、な?」
ハチ公前なんか、田舎モンの溜まり場じゃん、勘弁してよ。
彼のあまりのセンスの無さにイライラしながら電話を切るも、すぐに明後日の待ち合わせが待ち遠しくなってしまう。
クローゼットを開き、何を着ていくかあれこれ悩んでいると、部屋が泥棒侵入後みたくなってしまう。
お昼は何を食べようかとOliveをチェックするも、彼の水着姿が脳裏を歩き回り、全く何も思いつかない。
あー、イライラ、もとい、ウキウキしてしまう。こんな思いになるのは初めてだよ、こんなに気になる男の子はアンタが初めてだよ、スガワラ!
頭を掻きむしりながら部屋を歩き回る自分にふと笑ってしまう。これでは正に乱れそめにし我ならなくに、ではないか。
冷静になりたく、自分の部屋を出て玄関でサンダルを履き、庭の梅の木に歩いていく。
よくパパがボーッとしている所。一番心が落ち着くと言っていた所。
古く太い幹に背中を預け、大きく深呼吸してみる。すると不思議なことに本当に心が静かになってきた!
ようやくスガワラの面影が脳裏から消えていった。
ん?
梅の木?
スガワラ?
あは、そう言えば。
東風吹かば 匂ほいおこせよ 梅の花〜
って、菅原道真じゃん。
梅とスガワラ、あながち菅家、もとい関係なくないじゃん!
唐突に!
その瞬間、唐突に意識が飛ぶ。
何か懐かしいものに包まれたかと思うと、恐ろしい何かに体を縛られるような感覚。
思わず体を木から離し、玄関先まで駆け戻る、そして恐る恐る梅の木を振り返る。
老梅は何事もなかったかのように、夏の夜の闇にひっそりと佇んでいる。
さっきまで汗ばんでいた私は、体が凍る程冷え切っていることに気づき、慌てて家に入り茶の間でうたた寝している母の横に座り込む。
何だったのだ、さっきの感覚は?
あの懐かしくも切ない感覚は?
あの身を切り裂かれるような恐ろしい感覚は?
震えが止まらない私は母の寝顔を見ることで、ようやく落ち着きを取り戻す。
何か良くない予感。
これだけは間違いない。
心の奥底から、何かが叫んでいる。
私の遺伝子が、何か叫んでいる。
それ以上考えるのが恐ろしくなり、母の手を握り私もきつく目を瞑る。
* * * * * *
モヤイ像は中々オシャレだと思う。
少なくともハチ公よりはずっとイケてる。忠犬だかなんだか知らんけど、犬に興味ないし日本中の田舎モンが渋谷と言えばハチ公前に集結するから堪らん。
時計を見ると十二時半。そろそろヤツが来る頃だ。
試験からの待ち合わせなので、ヤツは制服で来る。だがももかはフツーに私服で来ているのであーる。おきにの白のメルローズのTシャツ、リーバイスのスリムジーンズ。Kスイスの白のスニーカー。それにビギのキャップとレイバンのサングラス。うん、完璧。
やがて目の下にクマを作りヘロヘロな様子でスガワラがやって来る。一瞬ももかをハッとした表情で見た後、顔を真っ赤にしてこちらに歩いてくる。
そんなスガワラにモヤイ像ってイケてるでしょ、と伺うと、
「ああ、確かモヤイ像ってさ、新島で作られて渋谷区に贈られたんだったよな、何でも新島でしか採掘されないコーガ石とか言うのを使って……」
いや別に君の蘊蓄を聞きたい訳じゃなく。
「イースター島のモアイ像をパクってモヤイ像だっけ? 地域振興に必死なんだなー」
へえー、そーなんだあ。
おっと。感心してる場合でも状況でもないぞ。
こんな待ち合わせしてるとこ、学校の子に見られでもしたら…
彼の腕を取り、目的の古着屋を目指して歩き出す。
「これ… ブカブカなんだけど… これでいいのか?」
試着室のカーテンが開かれる。
流行りのバミューダー型が、思ったよりもずっと似合っている! てか、足長! すね毛あんまなくてキレイ! 思わず見惚れていると、
「こ、これにするわ。千二百円だし。いいな?」
激しく頷くとちょっと照れたような表情でカーテンをサッと閉める。
横から軽そうなマヌカンが、
「メッチャ似合ってんじゃん、彼氏。なに、海でも一緒に行く訳? っかー青春じゃん!」
と馴れ馴れしく肩を叩いてくるので、ニッパリと微笑んでやる。
「えー、彼女デルモさん? オスカーとか? 今度ディスコ一緒に行こうよ?」
彼氏の前で堂々とナンパするマヌカンを一睨みし、試着室から出てきたスガワラの手を取りキャッシャーに向かう。
「ど、どうした? 何怒ってんの?」
べーつーにー。アンタが遅いからじゃね?
「わ、悪かったよ、ったくお嬢はコレだから…」
あのね。ももかはお嬢でも何でもないから。パパはしがないサラリーマン、ママも家計のために仕事してんの。たまたま先祖代々の土地がちょこっとあるだけ。わかった?
「でもさ、このバブルにおいては、その土地が一番大事じゃん。都内に土地持ってるだけで勝ち組じゃん。俺んちなんて生まれた時からアパートだぜ。」
お、おお。まあ、ドンマイ!
「地味に馬鹿にしてるよな、ま、藤原らしいっちゃらしいか。それより、俺午後からバイトだから、これで帰るわ。」
は? 聞いてねーよ。昼飯どーすんだよ。もー店決めちゃったよ。
「ワリー、ワリー。でも、夏期講習代稼がねーと、なんだわ。」
ったく。そーゆーの事前に話せや。こっちも色々準備とか心構えっつーのがあんだから!
「わかった、わかった。今度からはちゃんと話す。な?」
で。バイトって?
「工事現場だよ。二時から十一時まで。これが結構カネになるんだわ。そー言えば藤原はバイトとか… する訳ないか、お嬢だからな」
ま、まーねー。
「じゃ、明日。八時にお前の駅で。遅刻すんなよ!」
そう言い残してスガワラは三茶で降りて去って行った。
ハアーーー
ランチ一緒にできんかったあー
同時に緊張がサッととけ、急にお腹がグーーっと鳴る。
家になんかあったっけか? 多分ないっしょ。しゃーない、駅前のホカ弁で唐揚げ弁当でも買って帰るか…
改札を出て地上に登ると、待ち合わせの時には感じなかった真夏の暑さが一気に押し寄せてくる。今年の夏も暑そーだ。
既に日焼けしている腕をそっと摩り、ホカ弁へと歩を進めるのであーる。
帰宅すると、案の定なあーんもなく、ホカ弁寄って大正解だったのだ。
食卓で弁当を広げ、ママに今夜のおかずはなあに、と聞くと、
「今夜はパパが出張でいないから、どっか食べに行こうか?」
へーー。珍しい。パパの出張なんていつ以来?
「ねー。夕方に大阪まで行くんですって。明日の夜には戻ってくるみたいよ。だから今夜は二人で焼肉でも行く?」
一瞬舞い上がり、飛び跳ねかけたが。
明日は大事な海。
ニンニク臭い息で嫌われたくなーい!
なので焼肉は却下。それより、寿司がいい、寿司。シースー。いつもの栄寿司!
「んー、そおね、お寿司にしようか。うん、そうしましょう。」
ママは深く頷き、ももかの唐揚げをひとつまみ口に放り込んでから仕事部屋に消えて行く。
ももかは明日、絶対遅刻しないように今から準備を開始する。
日焼けクリームは去年の残りを捨て、先週買ったおニューのを。これでガンガン焼いてやる! 背中はアイツに塗ってもらう。
その光景を想像し、少し悶える。
お返しにももかがアイツの背中にクリームを塗る、を妄想する。
かなり悶える。
いかんいかん、これでは準備が全く進まない。
妄想は一旦棚に上げ、冷徹に明日の準備に没頭することにする。
そして気がつくと、目の前に二泊三日の修学旅行に行くかの如し膨大な荷物が山積みされている。何してんのももか! たかがメチャクチャ気になる男子と日帰り海水浴行くだけじゃん!
バスタオルを二枚抜き、着替えを二セット抜き、浮き輪を全て取り下ろし、その空気入れも取り下ろす。
それでもセーラーズのバッグははち切れんばかり。
泣く泣く、ビーチボールを全部、あースイカのやつ可愛かったのにい、それとビーチマットを取り下ろす。
ようやく女子高生がかつげる量の荷物となる。
「桃香―、そろそろ出かけるわよおー」
時計を見ると、六時過ぎだった…
用意ばかり憂きものはなしなのであーる。
* * * * * *
「で? 明日あなた誰と海に行くって?」
んーーー ですから、アッコたちと… あと大久保高の男の子も。です。はい。
「ふうーん。そーなんだ。てっきり男子と二人きりで行くと思っていたわ。」
んぐっ それは、その… まあ、はあ…
「夕飯までには帰ってらっしゃいよ。パパが大阪で美味しいシュウマイ買って来てくれるんだから。わかった?」
りょ、了解です… ちっ
「それと。」
はい?
「ちゃんと、避妊しなさいよ。」
口に運んだイクラを思わず落としてしまう。
いくら何でも、さすがにそこまでの心の準備は…
その時。
寿司屋のテレビがニュース速報を伝え始めた。
『羽田空港発、大阪空港行きの全日本航空機が行方不明となっております。乗客乗員五百十名を乗せたジャンボ機が行方不明となっております。』
ママが口にしたトロを口から落としてしまう。
え… 嘘でしょ? パパ新幹線のひかりで行ったんじゃ?
「飛行機なの… 新幹線じゃないの… 」
で、でも大阪行きの飛行機って、他にも?
『全日航二四六便が行方不明となっております』
ママが震える手で手帳を取り出し、カレンダーを凝視する。
「あ… ああ… ああああ…」
絶望の嘆息がママの喉から流れ出した。
それからの事は正直あんま記憶に無い。
どうやって寿司屋から家に帰ったか、覚えてない。家に帰ると電話が鳴りっぱなし、航空会社と新聞社からだったらしい。
ももかは呆然としちゃって、何も考えられなくて。だって最近せっかく分かり合えてきた気がしたパパの乗った飛行機が行方不明…
テレビはずっと行方不明の飛行機に乗った乗客の名前を伝えている。
フジワラリョウイチ 四十三歳
聞き慣れたパパの名前をアナウンサーが伝えた瞬間。
ももかは気を失った。
ものすごい強い力で抱きしめられ、意識が戻る。
ママがももかを有り得ない力で抱きしめていたのだ。
それも、声なき声を漏らしながら。
テレビを見ると、群馬県の山中で飛行機の残骸が燃えている様子が映されている。
ももかは多分絶叫したと思う。そして再び気が遠くなった。
あまりてなどか パパの恋しき
* * * * * *
これだったのか。先日、庭の老梅の元で感じた大いなる不安は。
何か私がしてはならない事をしたのだろうか? それ故パパに不幸が舞い降りたのだろうか? 私のせい? 私の責任? きっとそうだ。何だかは分からないが、私が何かしてはならない事をした為、パパは犠牲になったのだ。
私の中の遺伝子のせいで、パパが天国に行っちゃったんだ。
意識が戻り、ママに号泣しながら謝った。
私のせいで、私の中の遺伝子のせいでパパが…
御免なさい、許してください
ママは呆然としながら私を見つめ、やがてギュッと私を抱き締めながら、
「馬鹿言ってんじゃないよ。そんな筈ないだろ。桃香のせいの筈がない。これもパパの運命なのさ。仕方ないことなのさ。何よ遺伝子って。知らないわよそんな電子。」
そう言って私の髪を優しく漉いてくれる。
それでも私は激しく首を振る。
私が、私のせいだ。私が何かしちゃったからだ。
涙が枯れるまで、ママは私を優しく抱き続けてくれた。
それからの事は、夢現状態であった。
テレビ局や新聞社が我が家に押し寄せ、ママがずっと対応していた。
まだ全員亡くなった訳じゃない、明日の朝には捜索隊が大勢入るからきっと大勢助かるだろう。
そんな楽観的な評論を呆然と眺めているうちに、夜が明けてくる。
一人。救助されたようだ。
一時間後。
また一人救助されたらしい。
お昼までに、五名の救助が報じられた。
全員女性だと言う。
ママと私は悄然とソファーに腰掛けている。さながら蝉の抜け殻の如く、意識も意思も生気も抜け去り、ただそこに在るだけの存在と化している。
新聞社のパパの部下さんが数名付きっきりでいてくれ、お腹は空いていないか、喉は乾いていないか、少し休んだ方がいい、と色々気を遣ってくれている。
が。
ママも私も、抜け殻だ。
ただ、ああそうですねと頷くだけの、抜け殻だ。
夕方になり、これ以上の生存者は望めない、そんな論調になってくる。
パパの部下さんの相模課長が、頼むから休んで欲しい、それでないと体が持たない、と煩いのでママと私は少し横になることにする。
もうどれくらい起きているだろう。
昨日のこの時間はお寿司屋さんに居た気がする。
あ…
今日は、アイツと海に行く約束をしていた…
きっと今頃は二階のももかの部屋の留守電はビービー鳴っていることだろう。
でも今はそんなのどうでもいい。
パパが生き残ってくれて…
一瞬ウトウトしかけるが、すぐに意識が戻ってしまう。
大きな溜息を吐くと、隣でママも
「寝れない… 」
と呟き、
「パパ、もう駄目かもね。桃香、覚悟しておきなさい。」
返事をするのも億劫な私は、寝返りを打ち、ママに背を向ける。
どうしてこんな事に?
パパがいなくなってしまう?
やっと好きになりかけてきたのに。色々相談できるようになってきたのに。
どうして、今?
私のせいだ。私がいけないんだ! 私の遺伝子が、きっと何かの琴線に触れてしまったんだ。一体何がいけなかったの? 分からない、でもどうしていいかも分からない。
堂々巡りをしている間に、意識を失ったように寝てしまったらしい。気がつくと淡い朝が訪れていた。隣ではママが苦しそうないびきをかきながら、苦悶の表情で寝ている。
茶の間では部下さんが一人、ソファーに身を任せて寝ている。つけっぱなしのテレビが深い緑に包まれた山寺の朝を映していた。
一週間後。
パパの死が確定される。
黒焦げの遺体の断片付近に落ちていた、半分溶けた銀縁のメガネが決め手となったのだ。
パパの部下さんとママが遺体安置所にてそれを確認し、パパの死が現実となった。
お葬式は社葬となり、ママも私も訳が分からないまま気が付くと、大層立派なお葬式が執り行われた。
私の学校の友人も多数参列してくれたのを遠目でぼんやりと眺めていた。
ママの手をギュッと握ると、ママが強く握り返してくれる。
早く家に帰りたくなる。そして久しぶりにぐっすり寝たくなる。ママも私もこの一週間程、まともに寝ていなかった。
布団が恋しい。枕に顔を埋めたい、涙が枯れるまで。
そう思った瞬間。
お腹がギュルルと大きな音を立てた。
空腹感も一週間ぶりである。
隣のママが、プッと吹き出す。
私もふふっと笑い漏らす。
帰ったら焼肉行かない? ママが小さな小さな声で私に囁きかける。
返事の代わりに手を強く握り返す。
口の中が焼肉とキムチになる。涎が垂れていないかとても心配になった。
* * * * * *
アッコ、ノッコ、ミッチたちが家に来てくれる。
「ももか、大丈夫?」
うん。お陰様で、何とか。
「ビックリしたよ、まさかあの飛行機にももかパパが乗ってたなんてさ…」
こっちもビックリだよ。
「困ったことがあったら、何でも言えよ。ダチなんだから」
相変わらず男前だねえ、ミッチ。
乾いた笑いが仏壇の前を漂う。
「それよりももか、何かアタシらにできることない?」
しばらく考えて、一言。
海。行きたい。
「「「お、おう…」」」
来週くらいに、みんなで海に行きたいな。
「えっと、来週なら火曜日空いてるよ」
「アタシも、火曜か木曜なら。全然オッケー」
「わかった。火曜日な。バイト休むわ。」
流石。男前だねえ、姐さん。
「ったりめーだろ。ダチのためならバイトなんて休んでやらあ!」
ヒューヒュー! いなせだねえ、姐さん!
「ずっと塾ばっかだったから、海楽しみだなあー」
ノッコが真剣に楽しみにしていると、既に海にプールに行きまくりんぐなアッコも、
「四人で海、チョー楽しみじゃん!」
そっか。そーだよね。夏休み入ってうちらが顔合わせるの、初めてじゃね?
「よおーし。焼きそば、かき氷、食いまくるぞおー」
「よしな、太って彼氏にフラれるぜ?」
「マジ? じゃあかき氷だけ!」
「シロップ抜きで、な」
久しぶりに心からの笑い。
友に勝るものは無し、なのであーる。
「良かったわね、桃香のお友達いっぱい来てくれて。アンタ友達大切にしなさいよ」
そのつもりだけど。それよりさ、ママ?
「な、何よ?」
ママのパパも、ママが十五歳くらいの時に死んじゃったんだよね、確か津波に巻き込まれて?
「そんな古い話… まあ、そうだけれど。」
お爺ちゃんも、入婿だったんだよね?
「そ、そうよ。それがどうしたの?」
パパもそうだったよね、ねえ、ウチって呪われてない? ももかも将来さ、お婿さんもらったらさ、若くして死んじゃうんじゃないかな?
「馬鹿言ってんじゃないよ。そんな訳ないだろう。全く碌なこと考えない子なんだから」
と言いつつ、顔が凍りついておりますが母上。
やっぱりそうなのか?
子供の頃おばあちゃんに見せてもらったけど、我が家の家系図はアホみたいに昔まで遡れるらしく、
「平安時代の貴族の末裔なんだよ。世が世なら、桃香はお姫様だったんだから」
と膝の上で聞いた記憶がある。
藤原、と言えばあの藤原。藤原鎌足を始祖とする日本史上、最大の氏族。
末裔は日本中に散らばっていてそれ程珍しくはなかろう。だが、気になる。
ヤツが、気になる。
ヤツ。スガワラ。藤原家の天敵だった、菅原道真。
まさかヤツがその末裔とは思えないが、ヤツと知り合い近づいた途端にパパが亡くなった。
よっぽどママに、昔スガワラって人と付き合ったことないか聞いてみようかと思ったのだが、モテモテだったママが昔の男の名前を覚えているかどうか。
なんとはなしに蒸し暑い夜の庭に出てみる。パパの好きだった老梅が暗闇にひっそりと佇んでいる。そっと手を触れ目を瞑る。
今宵はあの時のような違和感はなく、ひんやりとした樹の手触りが伝わってくる。
ももかの思い過ごしなのだろうか。うん。そうに違いない。
まさかアイツが菅家の末裔で、この家に呪いをかけているなんてことは有り得ない。
そんな絵空事のような遺伝子が私の中に存在するはずもない。
大きく深呼吸をして肺の中の溜まった気をゆっくりと吐き出す。
そして老梅を後にし、来週の友との海水浴に仄かな温かみを期待する。
日焼けした肌が痛いよお…
調子に乗って、日焼けオイルガンガンぶっかけ過ぎたー
しかも、背中とお腹はバッチリ焼けたんだけどお、両脇腹がまさかの真っ白… ダッサー。
三人とも、ももかの焼け具合に大爆笑。
「そのままで… どうか、そのままの焼き具合でずっと… きゃはは」
「ほんっとズボラなんだから! そんなんじゃエッチの時に男子ドン引きだよお、きゃははは」
ミッチは真剣な顔で、
「両手を、こう。脇から動かすなっ そーすればバレねえ。ギャハハハハ」
片瀬江ノ島駅からずっとこんな感じ。もうパパがいない悲しみがすっかり無くなったかも。
中央林間駅でももかとミッチが降り、田園都市線に乗り換える。去年開通したこの線は、新玉住みのアタシらにはメチャクチャラッキーなのだあ。
「ホント、新宿に出なくて済むから、助かるよな。これからもガンガン行こうな桃香!」
ミッチが日焼けした背中をバシバシ叩くので、痛くて目に涙が浮かんじゃう。まあ痛くて泣いてる訳じゃないけれど。
こんな風にいつもとおんなじに接してくれ、悲しみを忘れさせてくれる友の存在に、目から水が垂れ流れているだけなのであーる…
ずっと、ずっと一緒にいようね。おばちゃんになっても、みんなで海行こうね。そう呟くと、
「お、おお。ババアになっても行くぞ。そんで若い男ナンパしまくるぞ!」
ミッチの肩に頭をそっと乗せる。ミッチからコパトーンの優しい匂いが漂ってくる。ずっとこのままで。いつまでも、みんな一緒で…
駒沢大学駅でミッチとバイバイし、改札への階段を登る。
不意にヤツの顔が脳裏に浮かぶ。
本当は二人で行く筈だった、海水浴。あれから全く連絡は取っていない。
二人で買いに行った水着はどうなっているのだろう。
急にモヤイ像が見たくなる。
階段をUターンし、ホームに戻り、渋谷行きの電車を待つ。ウォークマンのイヤホンを耳にはめ、元春のダウンタウンボーイを流す。
柔らかなギターのイントロが耳から脳に響き出す。シンセがそれに便乗し軽快なメロディーが心を軽やかにする。
字余りな歌詞が頭の中を歩き出す。歩くというよりはステップを踏み出すに近い。
生ぬるい風がホームを駆け抜け、電車が入ってくる。目の前の扉が開く。
車内は平日の夕方の渋谷行き、まばらな人影。
丁度、サビの部分に差し掛かる。
ダンタン ボーイ。
目を疑った。
そのダウンタウンボーイが、扉横の席に鎮座しているではないか!
バイト明けなのだろう、白のTシャツにジーンズ姿のいつもと変わらぬ格好で、腕を組み深く首を垂れている。
ダンタン ボーイ。
真っ黒に日焼けした太い腕。太い首。しばらく見ない間にガッチリした体型になってんじゃん、ドカタ仕事が板についてるじゃん?
Oh, Yes He is Down Town Boy.
自然に流れ出した涙も拭かずに、彼の横に静かに座る。
あまりてなどか 人の恋しき。
* * * * * *
分かるよ。
アンタの言い分は死ぬ程分かるって。
だって、当日ブッチされて連絡も付かず、すっかり干されたと思っていた相手がさ、目が覚めたら隣でうるうるしてたんだから。
だから。ちゃんと話をしたい。話を聞いて。いいから黙って聞きなさい。
モヤイ像の前で二人、柵に腰掛けてももかは話し始める。
話が進むにつれ、コイツの顔が青褪めてくる。口は半開きになり、小さく首を降りながら。
「ウソ、だろ… まさか… あの事故にお父さんが…」
息を呑む顔を見たら、言葉が出なくなっちゃった。
それから二人は何も言わず、黙って腰掛けてる。
東横のれん街を行き交う人々をボーッと眺めていると、辺りはすっかり暗くなっている。と言っても都内有数の街明かりがそれを感じさせず、首を思いっきり上に上げてようやく空が黒くなっているのに気づいたのだ。
「俺もさ、お袋亡くしたからさ…」
だから? とちょっと意地悪く言ってみる。
「ああ、ごめん。すまん…」
すっかりしょげ込んでしまう下町男子に、胸が高鳴る。
ああ、やっぱりこの人がいいな。
落ち込んでる時に一緒に凹んでくれて、不器用に慰めてくれる。
よくみると薄汚れたTシャツ、ストーンウォッシュかよ、くらい傷んだジーンズ。くたびれ果てたアシックスの運動靴。
好きだなあ。
このバブリー社会にちっとも染まってなくて。お洒落なんて完全無視して。
自分の生き様に自信を持っていて、確信を持っていて。
ウォークマンを取り出し、イヤホンを耳にはめ、さっきの曲を巻き戻し、頭から聴く。
「ちょ… はあ?」
ももかの不作法さに呆れ顔をしている。その耳にイヤホンを片方押し込む。
「ん? 誰これ? ナウいヤツ?」
んーー、いいから黙って聴け。
するとアホみたいに真剣な顔になって必死に聴いているのが堪らなくかわゆい。
サビの部分で両手の人差し指をヤツに向ける。
「へ? 俺? ああ、俺! haha, oh yes I’m down town boy, exactly!」
流石、大久保高校生。流暢な英語で切り返しやがる。
そのまま電池が切れるまで同じ曲を二人で何十回も聴いていた。
恋しかるべき夜半の曲かな。
かなーり遅くなってしまい、ママに電話したら、
「もうご飯無いわよ。どっかで食べてらっしゃい。」
と冷たくあしらわれ、その旨を伝えると
「お前んとこの駅近でなんか食うか」
という事になる。コイツと一緒なので、お洒落感は考慮せずに空腹感を優先させる、すなわち中華のチェーン店に二人で飛び込み、チャーハン餃子定食を掻き込む。
「お前、いい食いっぷりな。よく太んねえな」
と感心されてしまう。そういうアンタ、すっかりガタイ良くなっちゃって。筋肉マンかよ?
「だろだろ。現場で鍛えられてるからな。腕も胸板もスゲーことになってるわ。」
今度海行った時、見してよ。
「…大丈夫、なのか?」
あー、もう平気平気。今日だって楽しかったし。
「そっか。みんな元気かい? あのヤンキーの、壬生さん? とか。」
元気元気。アンタのことすっかり忘れてるんじゃん? 知らんけど。
「で、いつにする?」
アンタ、バイト忙しいんじゃん?
「土日は空いてるぜ」
じゃあ、土曜日。今度の土曜日。九時に駅のホーム集合。いい? 遅れてこないでよ!
「バーカ、俺のセリフだちゅーの!」
カチンときたので、ヤツが最後まで大事に取っておいた餃子をひったくって食べてやった。
「オマエなあ、ガキじゃねえんだから… 太るぞ。」
コップに入っていた水をぶっかけてやった。
「それにしても… ほんとでっけーな、お前ん家。」
ももかの荷物を肩に担ぎながらヤツが呆れたように呟く。仕方ないじゃん、ももかのせいじゃないし。
「庭とかテニスコートくらいあるんじゃね? 家一軒たっちまうじゃんか、うわーセレブだわ」
そう言えばさ、ウチって貴族の末裔なんだってさ。
「ああ、藤原、な。ふーん、世が世ならお姫様か。差し詰めじゃじゃ馬姫ってか、クックック」
うっせー。そー言えばアンタん家は? まさかの菅家の末裔じゃ無いよね?
「そうだったらさ、高校生の俺が毎日現場でバイトなんかしてねーよ。ただの庶民の末裔だろ、きっと。」
家系図とかないの?
「知らん。あ、でも爺ちゃんは良いとこの出だったらしいわ。若くして死んじゃったから俺は会ったことねえんだけど。親父もお袋が生きてる頃はちゃんと役所で仕事してたんだけどな。今はもう、すっかりアレだけど…」
ふうん。世田谷区役所とか?
「文部省。」
ほお。ちなみにお父さん、大学どこ?
「ん? 東大だけど。」
マジかーーーーーーーーー
って事は、エリート役人様だった訳じゃんか! スッゲー
「今は生活保護受けて酒浸りのクソだけどな。ああはなりたくねえわ。お袋死ぬ前に出世競争で脱落してさ、窓際追いやられて。お袋死んだら役所辞めて。生きる屍だよ。住んでた公務員住宅追い出されてアパート借りて。引っ越しとかの手続きも全部俺がやって。あーー、早く日本から出たい。家から出たい。」
夜の湿った匂いが鼻腔にまとわりついてくる。暑さはすっかり収まり、涼しい風が家の前の通りを吹きすぎていく。
同時に、彼の汗臭い体臭がももかの鼻から肺に入ってくる。
気が付くとアイツの胸に身を任せていた。
突然の抱擁に身を硬直させているアイツ。
手を回した首はやたら太く、汗でべとついている。それを強引に引っ張る。
ヤツの顔が近づいてくる。ギョッとした顔が堪らなく愛しい。
それが普通のように、自然に唇を合わせる。
腰に両手が回されるのを感じる。
最初は触れるだけだったが、途中から勢い付いてくる。
通りをタクシーがすり抜けた時、唇と唇がようやく離れる。
この続きは、土曜日に。
そう呟くとヤツはゴクリと唾を飲み込む。
ヤツの後ろ姿を眺めながら、大人のオンナになるであろう週末に思いを馳せる。
恋ぞつもりて淵となりぬる
* * * * * *
「随分遅かったじゃない、さっきから電話鳴りっぱなしだよ。」
ママが怠そうに言い放つので、風呂場に逃げ込みシャワーを存分に浴びる。ただし唇は洗わないように気を遣う。
風呂場を出て露な姿のまま自室に上がり、留守電を再生させるとー
『ももか、アタシだけど。帰ったら電話くんね?』
ミッチからの電話だったようだ。何だろう、忘れ物かな?
時計を見ると、十一時過ぎ、ミッチのとこなら電話しても大丈夫だろう、お母さんは夜の仕事でいないだろうし。
もしもし、どったの何度も電話くれてー
「あの、さ。今帰宅したの?」
んー、ちょっと前かな。帰ってからお風呂入ってたから。
「ふうん。あの後、どっか行ったんだ?」
んんんん… そっか、流石にアイツと一緒にいたとは、言えんなあ… ちょっと用事思い出して渋谷に、と言っておこう。
「渋谷… 用事って、何?」
うーん… ホントどうしたんだろ。いつものミッチとは全然違う。こんなにしつこく相手の用事を尋ねたりしないんだけどな。サッパリ、キッパリ。それがミッチの良い所、なんだけどな…
夕方までのミッチと口調が違い、低くちょっとオドオドした話し方。ねえ、何かあったの? 忘れ物とか? お金無くしたとか?
「モヤイ像んとこでさ、菅原くんといたよね?」
半分恐怖で凍りつき、半分怒りで燃え上がる。
まだ気になってたんだ、アイツのこと。そんなこと海ではひとっことも言わなかったのに。
ディズニーでもう諦めてたと思っていたのだが。一度思うととことん突き進むタイプかあ、そんなミッチが大好き。
でも。
初めに会ったのはももか。価値観が一緒なのもももか。家まで送ってもらったのもももか。そして… 初キッスを上げたのもももか。更に今週末には…
ここは、パパの遺言を尊重しようと決意す。
それ即ち
二人の恋が結実してから話すべし
ももか達、もう付き合ってるよね? 完全彼氏彼女だよね?
天国のパパに問いかけるも返事は無し。まいっか、そーゆーことにしちゃおっと。
そんな訳でさ、もうアイツはももかのモノなので。逆に今更首突っ込んでくるのは、ウザいんですけど。
とは流石に言うことは出来ないので、言葉少なく、うん一緒だったけど、とサラリと言う。
「え… やっぱ? ってか、桃香、菅原くんと、その、付き合ってる、の?」
ハアー、と大きな溜息をわざとらしくついてみる。そして面倒臭そうに、まあ、そんな感じかな、と呟く。
受話器の向こう側で息を呑む音がする。
「き、聞いてねえよ… マジかよ…」
うん、マジだよ。言葉を切り沈黙する。口で息をする音が聞こえてくる。どれくらい押し黙っていただろう、やがて急に、
「アタシのこと応援するって話、どうなってんだよ…」
語尾が小さくなっていく。どうもこうも、アイツがミッチとは合わないって言ってたから。アニメとかマンガとかゲーム、好きじゃないんだって。
「そ、そんなこと、今まで一言も… 聞いてねえよ…」
だってミッチが聞いてこないから。あのディズニーの時にはそう言ってたよ。だから途中からミッチの側から離れたじゃん。あれで普通気付くんじゃないかな、ああ自分に気がないんだなってさ?
「…だから、途中からあのとっぽいヤツが付きっきりに?」
ももかは大きく息を吐いて、あのねミッチ。もう少し相手の態度とか表情とかちゃんと見ないとダメだよ、でないと自分に気があるのか無いのか分かんないじゃん。ミッチの想いはすぐに相手に伝わると思うよ、だってミッチは真っ直ぐで良いオンナだから。それだから、その想いに相手がどう感じているかをジックリと見定めなきゃダメじゃん。
「……」
ミッチとは親友だしこれからずっと一緒って、さっき電車でも約束したよね。でもそれとこれは全く別だよ。ももかはスガワラくんと付き合っていくし。ちなみに今週末、二人で海に行ってくるし。
「付き合い始めたの、いつ?」
絞り出すような声でミッチが呟く。うーん、いつからだろ。パパが死ぬちょっと前かな。キスしたのは今日が初めてだけど。
悲しげな小さな悲鳴が耳を騒がせる。そんな、と呟く声に涙が混じっているのを感じる。それに今週末の海、ひょっとしたらお泊まりかも。アイツのバイト次第だけど。
「そ、そこまで… なあ、どうして言ってくれなかったの? これじゃアタシ、ピエロじゃん、いい、笑いもん、じゃん、うっうっうっ」
ミッチの涙声がももかの狂気を引き出す。
それにさ。ミッチはスガワラに合わないよ。アイツ東大とか目指すんだよ。ミッチは大学とか考えてないんでしょ? 合わないよ全然。諦めなよ。生きる世界が違うんだよ。
「そ、そんな…」
絶句したまま静かに時が過ぎて行く。
いい加減面倒臭くなってきたので時計を見上げると、十二時半。
ゴメンだけど。そろそろ眠いから電話切るよお。また明日にでも電話チョウダイナ。
「分かった。明日、電話、する。」
そう言ってやっと電話が終わる。
ハアーー 面倒くさい。女子はこれがあるから友情は成りがたし、なーんて言われているのだあ…
同じ男子を好きになり、奪い合う。負けた方は居場所がなくなり勝った方も居心地が悪くなり、やがて同じ空間にいづらくなっていくのだあ。あーあ、ももかとミッチもそうなっちゃうんかなあ…
ミッチがそこらの男子よかよっぽど男らしいのが一縷の望みかも。何なら明日にでも、
(結婚式には呼ぶんだぜ!)
とか言っちゃいそう。
ま、そう上手くいかなくても、ミッチとの友情はももかが死守してみせる! なあーんて勝手なことを悶々と決意したせいなのか、それともアイツとの急展開に脳が興奮気味なせいか、朝方まで寝付けんかった。
それでもやっぱり疲れていたので、目が覚めると昼の二時過ぎだった。
日焼けした身体の裏表がヒリヒリして痛いー、洗面所に降りてママの使っている乳液を遠慮なく塗り塗りする。
一息付くと、お腹がクーと鳴ったので、冷蔵庫を開け物色するとおー。ジャジャーン、ラップに包まれたソーメンがあーるじゃあーりませんか。
そーめんを啜り終えると、あ今日まだ仏壇に手合わせてねーかも、と気付き慌てて仏間の仏壇に手を合わせる。
パパ。
多分ももか、スガワラくんと付き合い始めたよ。
向こうもももかに夢中みたいだよ。
きっと上手くいくよね、だからパパ
暖かく見守っていてねー
ヨロヨロ。
結局その日、ミッチから電話はかかってこなかった。
* * * * * *
木曜日。巷で言う、終戦記念日。
昼前に起きて、ぐうたら過ごす。
そんなももかにママが
「あんたホントヒマなのね。そんならちょっと庭の雑草取りしておいてよ。」
母上、労働には対価が伴う、それが経済の基本と存じますがー
「ああ、これでいいかしら?」
と言いながら、Vサインをするではあーりませんか! ウソ、マジ? なんか最近ママの羽振りがいい気がするかも。
庭に出て草野郎や雑草共を引き抜きながら思うに、きっと航空会社から慰謝料とか保険金とか入ったのかも。
お葬式の夜に行った焼肉屋も三茶の高級店だったし、昨日の夜も夕飯作るの面倒だからお寿司にしよう、と言っていつもの栄寿司じゃなく、これまた三茶の高級店に連れてかれ。
そして庭の雑草共を退治するだけで、二千円も下さるとは。
これはチョー助かる、土曜日の海の後のアレ代の足しになるー これならちょっち高い部屋でも入れるわー
えへへ、これでももかもオトナの仲間入りじゃん。
アッコと同格になれるじゃん。二人でオトナな話できるじゃん!
それより何より。
人生で初めて好きになった男子と、結ばれる。
これって女子にとってサイコーの人生じゃん?
むむむ、そんなことより。アイツがドーテーなのは当然として、ちゃんと上手く出来るかなあ、そこん所あとでアッコに相談してみるかな。
もはやももかがアイツと付き合うことは、仲間内に知られて困らないし。一昨日キッチリとミッチには話つけたしー
あ、そー言えばミッチから電話かかってこなかったなあ。失恋のショックで昔に戻って渋谷辺りで大暴れしてないだろーなあ…
「ちょっと。桃香、労働の対価を支払うのだから、もっと真面目にむしりなさい!」
てへ。バレたか。
考え事に夢中で庭は未だ草ボーボーなのであーる。
それからしばし草むしりに没頭していると、ももかの部屋の電話が鳴っているのに気づく。
あー、面倒くさ。あとで留守電聞けばいいや。
その後、何度も電話が鳴っては留守電モードになる。あ、きっとアイツが明後日の打ち合わせかなんかの電話に違いないっ
あ、そーだ。そん時に、夜は遅くなっても大丈夫か、何なら日曜日の予定も一応チェックしておこーかな。
アイツのことなので、夕方海から上がったら
「俺、夜はバイトだからこのまま帰るわ」
なんて言いそうだし。
準備周到なももかはそんな不幸な可能性を今から打ち消すのであーる。
ジワジワと照りつける太陽を睨めつけつつ、ヨイショと立ち上がり庭の掃討具合をチェックする。ふむ、二千円ならばこの程度かな。と自画自賛しつつ、汗まみれの身体を清めるべく風呂場に駆け込みシャワーを浴びる。
ああ、明後日の今頃はまだビーチかな。夕方どっかでディナー食べて、その後身体ちゃんと洗いたいからって我儘言って、その辺のホテルに連れ込ませてー
こんな風に綺麗に身体を清め、それから……
ヤバ。興奮してきたし。
なんか、チョーエロい気分になってきてしまった…
早くアッコと女子と男子の身体の神秘について語り合いたいわ。百戦錬磨のアッコなら、こんな時どーしたらいいか知ってるはず。
ま、こちらとしてもそこそこ自習は済ませており、なーんとなくは知ってるけど。
「桃香、いつまでシャワー浴びてんのよ! 水不足なんだから程々にしなさいっ」
全く、羽振りがいいんだかセコいんだか、イマイチ分からない母上なのであーる。
浴室を出てバスタオルで身体を拭き、淫らな姿で二階の自室に上がる。
こんな姿アイツに見せたらどんな反応するんだろ。
おっと、鎮まった興奮がまたもやムクムク迫り上がってくる。
いかんいかん、留守電のチェックでもするかと淫らな姿のままで留守電の再生ボタンを押す。五件も入ってるし。まさか明後日急用で無理とかじゃ、ない、よね…?
一件目。
メッセージなし。何じゃらほい?
二件目。
やはり何もなし。アイツなら遠慮なくガーガー入れるだろうから、アイツからじゃなかったのかな。すこーしホッとしつつ、
三件目。
全く何もなし。何これ、イタ電? 少し腹が立ってくる。相手の電話番号が表記されればいいのに。電電公社は何やってんのよ! そんぐらいやんなさいよお!
四件目。
全然、何もなし。かなーり、腹が立ってくる。どうせ次も何も入ってなさそうなので、このまま消去しよーかと思うも、ま、最後だから聞いてやるかあ。
五件目。
(あの… 藤原、桃香ちゃん? 壬生良子の母です…)
へ? ミッチのママ? へ? なんで?
(今朝ね、良子が、学校の屋上から、飛び降りて… 自殺しちゃった、の…)
けふをかぎりのいのちともがな……