湖水地方、パニール 9
探知魔法があれば、シュロスの生存の確認はできる。
近くにはもう一つ、かなり大きな反応があるけれど、おそらくこれが汚染の元凶である魔物、もしくは魔族のものだろう。さすがに人間ではありえないし、先日探知した反応と同じものだ。
人間ならばそうとわかるはずだし、遠くから来たのではなく、ずっと湖に潜んでいられるような人間なんているはずがない。いったい、何日間呼吸せずに潜っていられたのかという話だ。魔法師にだって、そんな芸当は不可能だ。
あとは、湖のほうに直接《浄化する魔法》を使うだけだと思っていたけれど、なんだか嫌な予感がする。
その予感は、すぐに現実のものとなる。
「なんだ、あれ……」
視線の先、空に黒い風船のような球体ができあがり、それはどんどん大きさを増してゆく。
僕たち魔法師にとって、《水を操る魔法》というのは、初歩である魔法だ。水が生きることに直結しているためだ。
だから、空気中にある水分をまとめる、集める、なんてこともできるわけだけれど。
そんな考えが頭をよぎりながらも、その黒い球体について、ほとんど正解に近いものを予想していた。
あれは、発生源の魔物か魔族が作り出しているものだ。
「シュロス」
ようやく現場に到着すれば、剣を肩に担いだシュロスが呆れた様子で振り返る。
「よう、ルシオン。どうやら、そっちは無事に終わったみてえだな。で、あれ、どうにかできるか?」
シュロスの指さす先にいるのは、簡単に言ってしまえば、空を飛ぶ――宙に浮く魚だった。
いや、普通の魚なら魔力を感じたりはしないし、そもそも、空を飛んだりしない。魚は水中を泳ぐものだ。
おそらくは《飛行する魔法》、もしくは、魔族の種族? 的な特性によって浮遊しているのだろう。
「どうにかしないとまずいでしょうね。あれがいる限り、延々と浄化を繰り返すのは、さすがに馬鹿みたいですから」
魔族と魔力比べをするつもりはない。少なくとも、今の僕たちでは敵うはずがないから。
実際、目の前の魔族から感じる魔力は、僕たちよりも強大だ。
「《炸裂させる魔法》」
きっと、エストたちにも見えてはいるだろうと信じて、魔法を放つ。
こちらの魔力を感知したのか、選んだのが最も速射性に優れる《炸裂させる魔法》だったにもかかわらず、魚の魔族の作り出した黒い球体は濁流となって弾け、再び、空になっていた湖を満たす。
その水量は、先程まで、つまり、もともと湖に存在していた水量よりも遥かに多いだろうことは明白で、このままでは仕切りのための柵を乗り越えて、せっかく浄化した水と混ざり合ってしまう。
防御魔法で湖全域を、あの魚の魔族を含めて覆いつくすか?
いや、防御魔法や結界は、範囲が小さいほどに強固になる――魔力を集中させやすくなる。つまり、範囲が広がれば強度は下がるというわけで、これほど広大な湖全域を、いや、せめて分かたれたそれぞれの臨時の水溜めに移動させる経路の入り口だけであっても、すべて塞ぐとなると、おそらく、あの魚の魔族の吐き出す濁流のほうが威力が強く、防ぎきることができないだろう。
それでもやらなければ、と防御魔法と結界を作り出そうとしたところで、今まさに僕がやろうとしたように、巨大な湖全域を覆うように――もちろん、宙に浮く魚の魔族も含めて――半球形の結界が出現する。
「おっと」
瞬間、僕はシュロスを引っ張り上げるようにしながら、《飛行する魔法》で浮かび上がる。
その結界は、流れ出しそうな水を押し留め、さらに範囲まで狭めてくれる。
「なんとか間に合いました」
クレアと、抱えられたエストが僕たちの隣に移動してきて、エストが小さく安堵のため息を漏らす。
「すみません、遅れてしまって」
「いえ。僕も今着いたところですし、丁度のタイミングでした」
とはいえ、このままシュロスとエストを抱えたままでは、戦闘にならない。
「《液体を凍らせる魔法》」
実際には、あの魔物が吐き出した黒いものがなんなのかはわからない。
とりあえず、僕たちにとっては、汚染するもの、汚染されたもの、であることは変わらないだろうけれど、もっと別の、特殊な物質なのかもしれない。
しかし、そんなことは関係がない。
魔法は、良くも悪くも、創造力の産物だ。
そうだと思えば――もちろん、魔力的、能力的な限度はあるけれど――できるし、頭に描けないことは実現できない。
つまり、なにが言いたいのかといえば、あの吐き出されたものをどろどろとした流れ動くもの、すくなくとも流体であり、流体として最も身近なものの一つである、水が(かなり)性質変化したものだと思い込むことができれば、未知の物質であろうと、凍らせることはできるということだ。
それに、エストの結界のおかげで、水の溜まっている範囲はかなり狭められている。
しかし、そんな心配すら不要だった。
「湖は広大過ぎましたし、もともとの深さなどの判断がつきませんでしたから無理でしたが、目の前で作られる程度でしたら、何度でも浄化してみせます」
僕の魔法で凍ったのは、エストによって浄化された、澄んだ、綺麗な水だった。
僕が《液体を凍らせる魔法》で凍らせるより、エストが浄化したほうが早い。
そして、その速さで浄化してもらえるのなら、接近することであの汚染水を被るかもしれない、というリスクを回避できる。
まあ、ずぶ濡れにはなるかもしれないけれど、それは毒液ではなく、普通の水だ。余程でなければ、死んだりはしないだろう。そして、死んでさえいなければ後でエストに治療してもらえる。
加えて、いくら魔物――魔族――ではあっても、この湖全てを埋め尽くすほどの水を、一気に生成できるわけでもなさそうだった。
吐き出すまでの時間があれば、再び吐き出されるまで溜められる間に、凍らせて、足場を作ることはできる。
「シュロス」
「わかってる」
僕はシュロスを放す。抱えられたまま、地に足をつけないままで、戦士が戦いに参加できるはずもないからな。
「もうちょっと、気遣ってくれねえかなあ」
落下しながらのシュロスから、そんな悲鳴にも似た声が聞こえてくる。
そして、思ったとおり、無事に着地する。
「シュロスなら大丈夫だろうと思っていました」
「いや、高さによっちゃあ、死んでたぞ」
わかってるって聞こえたけれど?
それに、どうやら、あの魚の魔族、空を飛ぶ、というか、宙に浮くのはあまり得意ではないようで、それほどの高さは出ていない。
魔族とはいえ、形態に引っ張られるものなのか、それとも、水中での活動に特化するようになっているのか。
「《地面を操る魔法》」
「おっと」
シュロスの足元から、円柱が斜めに、魚の魔族に向かうように突き出される。
危うく飛ばされかけたシュロスは振り返り。
「いや、僕じゃありませんから」
つまり、やったのは。
「その場所からでは、シュロスは戦闘に参加できないでしょうから、足場を作って差し上げました。もちろん、後で直しておきますから、心配には及びません」
なぜか、怒っているようなクレアが、しかし、澄ました表情で言ってのける。
理由はわからないけれど、仲間割れをしているような状況ではないはずだけれど。
「……べつに、羨ましく思ってやったわけではありませんから」
どういうこと?
今のシュロスに、クレアから羨ましがられる要素なんてあっただろうか?
まあ、いい。気にするのは後だ。
それより、重要なのは、足場が作られても、魚の魔族の浮遊高度が上がらなかったこと。つまり、地面を隆起させて、シュロスの攻撃が届くようになる足場を作っても、あの程度であれば問題ないというところだ。




