フロリア山での邂逅 3
その代わり、とシュロスは真面目な表情で人差し指を立て。
「ひと晩抱かせてくんない――ぐぇ」
僕は反射的に目の前の男を蹴り飛ばし。
「クレア、こいつは駄目です。他を当たりましょう」
ある意味、魔族なんかよりよっぽど危険で、たちが悪い。
行動がこの前の魔族と丸被りだし、魔族は消滅させても構わないだろうけれど、目の前の男を消すと、各所から問題にされるかもしれない。
まあ、こんな森の奥深くに一人で潜っている男一人、多少戻らなかったところで問題は――いやいや、なにをいきなり、それも初対面の人ひとり消そうという算段を始めているんだ、僕は。
目の前の男が、いかに軽薄そうに見えて、実際にナンパな男だったとして、殺人はまずい。
「いきなりなにすんだ。まったく、若いやつは初対面時には時候の挨拶から入るものだって知らねえのか」
冗談だよ、冗談、と言いながらシュロスは口元を上げつつ肩を竦めるけれど、僕はいまいち信用しきれず、警戒を隠すことはしなかった。
いったい、女性を口説くことの、どこに季節を感じられる要素があるのだろう。いきなり蹴り飛ばしたのは、悪かったかもしれないけれど。もちろん、後悔はしていない。
「そうだな。たしかに、女性を抱くのに季節は関係なかったな。春は気分が盛り上がるから抱き合いたくなるし、夏は昼間と夜の寒暖差が大きいから抱きたくなるだろ。秋は食欲の秋で抱きたくなるし、冬はもちろん、人肌の温もりが愛しくて抱きたくなるもんな」
いや、そういうことが言いたいわけではないし、シュロスの人生観はどうでもいい。むしろ、シュロスこそ、人類の、いや、全女性の敵なのでは?
というより、僕は学院を卒業したばかりで、女性とお付き合いをさせていただいたことはないのだけれど。
「そうなのか? それは人生損してるぜ。なんなら、今度俺が――」
「私は気にしていませんよ、ルシオン。とはいえ、もうすこし自覚を持ってくださいと言ったばかりですよね?」
シュロスが、おそらくは余計なお世話だろうことを言いそうになったところで、クレアが会話を断ち切る。
「すみません、クレア」
じろりと睨まれ、どうやらお怒りらしいクレアに、意味もわからないまま、頭を下げる。
僕はただ、シュロスの話を聞いていた――聞かされていただけなのに、理不尽では? もっとも、それを言うともっと睨まれそうな気がしたので、口にするような愚は冒さないけれど。
クレアが気にしないというのであればいいのだけれど、なんとなくだけれど、助かった気がするのは、気のせいではないだろう。
「それに、あなただって、性格に問題があっても実力のある相手のほうが良いと言っていたではありませんか」
「あの、姫さん? それって、暗に俺のこと批判してる?」
暗にではないと思うけれど。
そんなシュロスのことは無視して。
「それはそうですけれど……」
もちろん、最低限の連携もとれないほどにそりが合わない、背中を任せたら後ろから斬りつけられる、正義の心を欠片も持ち合わせていない、根っからの悪人だ、などという相手だったら、話は別だけれど。
「それに、仲間は多いに越したことはありません。現状、どれほど仲間を集めても、足りているとは思えませんから」
僕は魔王とやらを直接見たわけではないけれど、この前遭遇した、おそらくは下っ端の魔族ですら、あのくらいには戦えたのだ。もっと強い魔族が相手だと――もちろん、これからも鍛錬を欠かすつもりはないけれど――僕一人ではクレアを守れなくなることは確実に思えた。ひいては、この国を取り戻すということも。
試合や試験ならば一対一にこだわる理由はあるけれど、実戦であれば、クレアの言うとおり、仲間は多いに越したことはない。
それに、たしかに、こんなに早く、それも腕の立つ戦士に巡り合えたのは幸運ともいえる。まだ、別の場所での様子などは把握できていないため、すでにこの前のように魔族が各所に現れるようになっていて、現地の人たちがひどい目に合っている、あるいは、義勇の人が立ち上がって反抗を始めている、そんな状況かもしれないけれど、いずれにしても、僕たちにも戦力が必要なことは事実だ。
ただし。
「初対面の女性をいきなり口説こうとする相手を信頼するのは難しいと思いますが……」
まあ、綺麗な女性に声をかけるというのは、ある意味、人間の本能に忠実ということでは、魔族とは真逆で、最も近いと言えるのかもしれないけれど。
「おいおい、ルシオン。綺麗な女性をみたら、声をかけることこそが、礼儀ってやつだぜ」
シュロスは僕を諭すように悪の道に引きずり込もうとしてくる。そんな礼儀は聞いたこともない。
クレアが綺麗な女性だというところには同意するけれども。
もっとも、そんな僕の思いよりも重要なことはある。つまり、クレアのことは信じるということだ。
そのクレアが信用するというのであれば、僕もシュロスを信じないわけにはゆかない。
「もう少し、気持ちよく信じてくれねえかな……」
「まだ、一度も一緒に戦っていないのに、シュロスの戦力を愚直に信じるわけにはゆきませんから」
おそらく、シュロスの戦闘力という意味では、僕やクレアを越えているかもしれない。肉体能力だけなら間違いなく、シュロスが上だろう。
ただし、まだ、出会って数時間程度の人間を、そこまで深く信じることなどできるはずもない。
いや、少し違うか。
どの程度のことまでができるのかを把握しておかないと、実際に戦闘を行う場合に連携が取れないということだ。
「それならば、丁度いいです。いずれにせよ、この山は抜けてゆくつもりでしたから、途中、魔物と遭遇戦になることも多いでしょう。私も戦いに慣れる必要がありますし、道中、三人で戦闘をこなしながら進むことにしましょう」
個人的には、姫様――クレアに戦わせるわけにはゆかないと思うし、そんな事態に陥ったならほぼ、僕たちのパーティーは壊滅、あるいは、四散状態だということになっているだろうけれど、実際問題、クレアが戦闘に参加しないで済むはずもないだろう。
優秀な魔法師であることは確かだし、今のところ、このパーティー唯一の女性でもあるクレアを、どうしても、一人にしなければならない場面はある。
「いや、待てよ、ルシオン。たしかに、おまえの言うとおり、姫さんを一人にしないことは重要だ。それなら、水浴びも、着替えも、俺たちが傍で見張って――見守っているべきじゃないのか?」
こういうことを言い出すから、いまいち、心から信じる気にならないんだよなあ。
「シュロス。あなたにも一応、言っておきますが、私のことを姫と呼ぶのはやめておいてください。ここに私がいるということを喧伝することになりますから」
探知魔法の件は、まあ仕方がないにしても、たしかに、一国の姫様が城を追われて放浪しているなど、あまり、他人に言いふらしたいような状況ではないからな。
下手をすれば、敵が魔族だけではなくなる。
「じゃあ、どうするかな」
シュロスはちらりと僕とクレアに目を配らせて。
「俺もクレアって呼ぶんでいいのか?」
まあ、フェルティローザだと、すぐに神聖アステーリオ王国の王族が思い浮かぶだろうし、つまり、クレアが第一王女だということがばれるからな。
ただでさえ、目立つ容姿をしているのに。
「そうですね。構いませんよね、ルシオン」
「ええ、もちろん」
クレアがそれで構わないのなら。
「そうか。おまえら、よくわからねえな」
その発言のほうが、僕たちにはよくわからないのだけれど。
僕はクレアと顔を見合わせ、首を傾げた。