フロリア山での邂逅 2
この速度ならば、接触までの時間はそれほどかからないだろう。
僕はクレアを背中に庇いつつ、やってくる何者かに対して構えをとるけれど。
「イノシシか……」
ただし、体長で三メートルはありそうな、巨大な。
黒に近い茶色の体毛と、口から天に突き出す、湾曲した日本の鋭い牙。思っても見なかった、食料だ。
さすがに筋力で直接受け止められはしないだろうけれど、逃がすのは惜しい。
「《拘束する魔法》」
この《拘束する魔法》にはいくつか種類があるけれど、今回は単純にバインド――伸ばした魔力の鎖により、その場に繋ぎとめる。
相手の力が強かったりすると、強引に引きちぎられたりすることがあるのだけれど、今回は僕の魔力のほうが上回り、その場に縫い付けることに成功する。
無益な殺生は避けたいところだけれど、食料はいつとれるとも限らない。幸い、解体して食料という部品にしてしまえば《収納する魔法》で持ち運びも楽になるし。
このままで収納できないこともないけれど、クレアと分け合って持ち運んだほうが良いだろうこと、どうせ食べるときに解体しなければならないのであれば、いつしても同じだろうことから、今、僕ができるうちに解体しておくほうが良いだろう。
とりあえず、拘束しているイノシシを《眠気を誘う魔法》で眠らせる。ある程度以上に興奮していると眠らないのだけれど、拘束などしていると、この魔法の効き目はよくなる。もちろん、相手に魔力がある場合、抵抗されることも多いけれど、今回の相手には魔力はないし。
とはいえ。
「大抵は協会に任せきりだからな」
ゴブリンやオークなど、食べられない魔物は討伐した証としてその魔物の一部を持ち帰り協会に提出すれば報酬をもらえた。
今回のように、イノシシなど、食べられる魔物や、特定部位が道具に使われるため、原形のままが好ましい場合には、適当に小さくして収納するなどだけれど、さすがに、食用に解体までしたことはない。
いや、できないことはないだろうけれど、大分、不格好になるというか、いい加減になりそうというか。
「とりあえず、やってみますか」
あまりクレアに見せたい場面ではなかったので、後ろを向くか、眼と耳を塞いでいてくれるように頼んだところで。
「おっ、倒れてるじゃん、ラッキー」
声が聞こえて、反射的にそちらを振り向き、魔法でターゲッティングまで行う。
「ん? もしかして、あんたが倒したのか? まさか、人がいるとは思わなかったから、油断したな」
今しがた、イノシシが突き破ってきた茂みの向こうから、ボサボサの短い赤い髪の男性が姿を見せた。
腰には剣を一本指していて、身長は僕より頭ひとつ分は大きい。
本人からは魔力の気配をまったく感じられないため、魔族でないことは確定的だけれど。
「でも、まっ、見つけたのも追いかけたのも俺だし、半分は俺が倒したようなもんだし、半分……おっと、そっちの嬢ちゃんも入れたらさらに取り分が減るのか。三等分で手を打ってくんない?」
「構いませんよ」
元よりこの巨大な猪をすべて持ち運ぶのは困難だと思っていたところだ。
それに、仮に――十中八九そうだろうけれど――この人が件の住人だった場合、これは大切な獲物だったことだろうし、襲われるかもしれなかったとはいえ、横取りした形になってしまったことは事実。
大抵の場合、獲物の横取りはルール違反(明確に決まりがあるわけではないけれど )だし。
「そうだよなあ。仕方ねえ、別のやつを探しに……って、えっ、マジで分けてくれんの?」
「ええ。二人では一度に食べ切れませんし、持ち運ぶにしても量が多すぎて、どうしようかと思っていたところですから」
そう答えると、男性は僕の両肩を強く掴んできて。
「おまえ、いい奴だなあ。でも、冒険者はいい奴から死んでくんだぜ」
わざわざ警告してから殺す犯人などいるだろうか。
しかし、今は――たとえ、遅すぎる反応だとしても――どんな相手にも警戒を持って当たることが重要だ。
「いや、悪かったよ。べつに、おまえらとやり合うつもりはねえよ」
僕の警戒を感じたのか、ぱっと飛びのいた男性は、あらためて手を差し出してきて。
「シュロス・イクシオンだ。シュロスで構わないぜ。おまえさんたちは?」
目の前の男性から敵意は感じられない。
しかし、そう簡単に名乗ってしまっていいものか。一応、僕たちは逃げている身でもあるわけだし。
「クレア・フェルティローザです」
「クレア?」
しかし、警戒心がないわけではないだろに、むしろ、王族として、僕なんかよりずっと初対面の相手に対する警戒心は強いだろうに、クレアはあっさりと名乗る。
「問題ありませんよ、ルシオン。彼からは嘘をついているとか、こちらを騙そうという気配は感じられませんでしたから」
いや、詐欺師って、だいたい、そういう雰囲気を隠すことにも慣れているのでは? まあ、こんな森の中で人を騙す理由もわからないけれども。
とはいえ、人を見る目は僕よりクレアのほうがあることだろう。
それに、クレアが信じると決めた相手なら、僕も信じないわけにはゆかない。
「失礼しました。ルシオン・グレイランドです」
男性――シュロスは僕たちを見比べた後。
「へえ、姫様と、こっちは護衛ってわけでもないだろうに、どういう組み合わせ? まさか、駆け落ちってやつか?」
なんだか、楽しそうな調子で尋ねてきた。
案の定、こちらの――クレアの素性は即ばれたけれど、ずっとこの森の中に暮らしていたのなら、つい最近の城の様子など、わかるはずもないだろう。
「実は――」
クレアが説明すると。
「ほー。ちょっと、街に戻らない間に、そんなことになってたのか」
説明を聞く間に、解体した肉を僕の出した炎で焼いて、途中で採取していた山菜と一緒に食べながら、シュロスは剣を磨いていた。
「魔族か。やつら、倒しても肉や皮のひとつ残らねえから、面倒で、嫌いなんだよなあ」
魔族は死ぬと粒子になって消えるということは、先日、すでに僕たちは確認済みだった。
しかし、魔王――および魔族――が城を占拠したのは、つい先日のことだったと思ったけれど。
「いや、俺も何体か遭遇してるぜ。おまえさんたち、魔法師だっていうなら、空も飛べるんだろ?」
どうやら、魔族も飛行して、それから降りてきたということらしい。
遭遇は偶然だったみたいだけれど。
「ということは、シュロスは遭遇した魔族を倒したんですか?」
「おう。まあ、証拠はねえけどな」
シュロスの見せてくれた剣には、もちろん、汚れなどわずかにもついてはいなかった。
「やつら、死んだら粒子になって消えるわりには、普通に斬れるんだよな。まあ、おかげで助かってるわけだけど」
これは。
僕はクレアと顔を見合わせて。
「シュロス。単刀直入に言います。あなたのその腕を見込んで、私たちに協力してはくれませんか?」
シュロスはちらりと僕たちを見た後。
「なるほどな、おまえさんたち二人とも魔法師ってことは、前衛がいると助かるってところか」
まさにそのとおりで、僕たちは頷いた。
「もちろん、危険な役割ですから、無理強いはできません。それでも――」
「構わないぜ」
「あなたの助けが――そうですか」
クレアはわずかの間をおいて、引き下がった。
「まさか、そんなに簡単に引き受けてくれるとは思いませんでした」
僕も驚いていた。そんなに安請け合いしてしまって、わかっているのだろうか。
「いや、だって、その魔王っていったか? そいつを倒さないことには、これから、そういうやつらが沸き続けるってことだろう? やつらに獲物をやられると、俺だって困るからな。それに、一銭にもならないやつらの相手をするのは面倒だし。それなら、さっさと終わらせたいからな」