プロローグ 3
「うっ、ぐっ」
殴られた姫様から苦悶の声が漏れる。
「俺としちゃあおまえなんかどうでもいいんだが、うちの一部のやつがほしがっててな。生きたまま連れて帰ると次の生きの良い獲物を回してくれるってことだ」
「まったく。人間の雌なんざ、食うところも少なくて、柔らかいくらいしか取り柄がねえってのによ。ああいうのをゲテモノ趣味っていうんだろうぜ」
「まったく、これだから単純馬鹿どもは。俺は人間の雌を目の前で犯してやると奴らの絶望に満ちた顔が見られるから気に入っているんだ。食ったりはしねえよ」
三人はそれぞれ勝手なことを言い、大声で笑う。
多種族との交配では、新たな魔族は生まれないということか。魔族は魔族との間にしか子をなさないのか、それとも、そもそも子をなすという行為を必要としないのか。
そんなことを考え出したらきりがない。
目下、最重要なのはあの三人の手から姫様を救出することだ。
「いずれにしても、布を纏っていなくて良かったぜ。あれは食っても上手くないってんで、いちいち剥く手間をかけなけりゃならないところだったからな。とりあえず、暴れたり逃げたりしないよう、手足折っとくか」
「折ったって、こいつら、治癒魔法で勝手に治すから意味ないだろ」
「それこそ問題ねえ。たしかにこいつの魔力は高いみたいだが、回復量が消費量に追いつくわけじゃないからな。治した先からまた、まあ、切り飛ばしたりでもしていきゃいいだろ。そもそも、さっきからやってるみたいに、魔法の使用は阻害できるしな」
魔法を使用するには、魔力は言うまでもなく、集中力を必要とする。
魔法はイメージの――すくなくとも、僕たち人間にとってはそういうものだと教わる――産物なので、できる限り、集中できていたほうが効力が高い。
当然、常に攻撃を受けてしまうような状況で、満足な魔法を使えるはずもなかった。
なんて、のんきに観戦している場合ではないな。
幸い、やつらからはこちらに手を出そうという気配は感じられない。
とりあえず、移動して――
「まあ、お楽しみの前に、そこでこそこそしているやつから食っとくか」
などというのは甘い考えだったらしい。
魔力は押さえて潜伏していたはずだけれど。
こちらに視線が向けられたかと思ったときには、僕が立ち上がる間もなく、三人のうちのひとりが高速で飛来してきていた。
「《飛行する魔法》」
僕は一瞬だけ姿を見せ、姫様と目を合わせると、すぐさま背後の森の中へと飛び込んだ。
魔力も無限ではないけれど、そもそも今の僕に、魔族三人を同時に相手取り、しかも姫様が囚われている状況での戦いにおいて、勝算はない。
「おいおい、助けに来たんじゃなかったのか?」
追いかけてくる魔族から、挑発だろう言葉が飛ばされる。
僕は適当な、それなりに開けた空間で足を止め、周囲を見回す。
「ええ。ですが、今の僕にあなたたち三人を同時に相手取って勝てるだけの実力は無さそうでしたから」
三対一で人質付きでは勝ち目はない。
「それは、俺ひとりなら勝ち目があるって聞こえるが?」
追ってきた魔族は鼻で笑うことすらしない。
「まあ、一対一のほうが勝算はあるでしょうね」
すぐに殺さず、楽しもうとしていた奴らのことだ。
今の目の前の魔族の言い分からしても、僕のことなど、歯牙にもかけていないだろうことは明白だ。
実際、まともな魔力の勝負なら、万に一つも、僕に勝ち目はないだろう。真正面から魔法の撃ち合いなどをしたのならば。
「そうかい。まあ、少しくらいなら遊んでやるよ。あの女をおまえの前で苦しめるのも一興だ」
相手は僕のことを完全に舐め切っている。
いや、舐めているとすらいえない。油断ではなく、余裕だと考えているのだ。彼我の魔力差を考えたなら、当然ともいえるだろう。
ただし、魔力の差だけですべての戦闘に勝敗が付くわけではない。
それなら、学院での試験で模擬戦形式など取り入れられるはずがない。魔力を比べればそれで終わりだからだ。
「《肉――》」
「《閃光を炸裂させる魔法》」
夜闇にいきなり目の前で眩しい光を発せられたなら、普段の感覚を視覚に頼る相手であれば、数秒の間隙を創り出せる。
もちろん、魔族がそれ以外の感覚器官を備えているというのであれば話は別だけれど、目の前の魔族にはそれらしい感覚器官はなかったようだ。
それが、魔族と呼ばれる種の全体にも言えることなのかどうかはわからないから、毎度、使える手段かどうかはわからないけれど。
「くっ」
しかし、この場合はその対応で正しかったようだ。
目の前の魔力が、霧散するのがわかる。
もちろん、眼を瞑っていた僕への影響は最小限で済んだため、そのまま背後へと回り込み。
「《炸裂させる魔法》」
捻ったところなどなにもない、言葉どおり、物や空間に魔力を叩きこむ魔法。
人によって、詠唱だって違う。ようするに、魔法はイメージの問題だから、自分の思い描く結果を表す言葉ならなんでもいい……というように、学院では習う。
魔法を使った光が収まれば、そこには黒い粒子が今まさに霧散するように漂うばかりだった。先ほど戦っていた魔族の姿はどこにもないし、魔力探知にも引っかからない。
魔族との戦闘は初めてだった(当たり前だ)けれど、どうやら、ゴブリンやスライム、マンドラゴラなどの魔物とは違い、魔族というのは死ぬと消滅してしまうらしい。
「姫様は……まだ、御存命でいらっしゃるな」
まあ、拷問やら、凌辱やらしようとしていた連中だ。
加えて、僕が勝つなどとは微塵も思っていなかっただろうから、仲間――などという意識があるのかどうかはわからないけれど――が帰ってきてからゆっくりと楽しむつもりだったのだろう。
その油断のおかげで、数の上では二対二の状況まで持ち込めた。
とはいえ、あちらにも僕が勝ち残ったことは知られてしまっていることだろう。反応が一つ減っているのだから。
そして、予想していたとおり。
「ご無事、とは言いませんが、お変わりないようですね」
二対一ではまだ勝ち目は薄いと考えていたのか、クレア姫様はまだ捕まったままだったけれど、僕を見つけて、多少は表情に余裕ができた様子だった。
「馬鹿なやつだ、人間ごときにやられるなど」
いまだこちらを侮ってくれていることに感謝だな。
驕りと油断をつくことこそ、弱者が強者に対するうえで、もっとも有効な戦略だ。
「姫様。こちらはお任せください」
それ以上の言葉はかけない。
彼女が僕より優秀な魔法師であることは疑いようもなく、経験では僕が上だというだけで、まともな、一対一であれば、魔族にも負けないだろうと信じて。
国民が王族に対して捧げるもっとも大切なことは、信頼だ。いや、国民とか、王族とかに関係なく、人と人との関係においてと言ってしまっても良いかもしれない。
とにかく、心配するかどうかと、信頼するかどうかというのは、別の問題なので、この場、あの一人の魔族の相手は姫様にお任せする。
「貴様、よくもやってくれたな。あいつ……あっと、あいつの名前はなんだったかな。まあ、いいか。とりあえず、敵討ちってことで」
「名前も知らない、覚えていない――いえ、興味もないといったほうが正しそうですが、そんな相手の敵討ちをするんですね。それが、魔族の文化なんですか?」
対して興味もないけれど、それだと、この行く先々で、喧嘩を吹っ掛けられることになりそうだ。
もっとも、姫様の目的を考えると、当然の話だけれど。
「いや。全然興味ねえよ。ただ、あいつを倒したってんなら、少しは暇つぶしにもなるかなってだけだ」