スコリアの魔塔 19
◇ ◇ ◇
階段の登り切った先、次の階層へと続いているのだろう扉の前には、ミノタウスが陣取っていた。
どちらかといえば、門番のような感じだろうか。
今にも内側からはち切れそうなほど、筋骨隆々とした体躯を持ち、身長自体も僕たちの軽く三倍はある。
鋭く尖る二本の角を牛に似た頭部から生やし、赤と金の鎧を纏い、手には巨大な戦斧を携えている。
他の魔物の姿は見えない。
「貴様らが侵入者か」
近付けば、濁ったような瞳を開き、ミノタウロスが僕たちを見下ろす。
「侵入者というのなら、そもそも、この世界に無断で侵入してきたのはあなたたちのほうではありませんか?」
クレアがお決まりの台詞を返す。
「なるほど。もともと暮らしていたという意味では、たしかに我らのほうがこの世界への侵入者と言えなくもないか」
「おいおい。ただのステーキかと思ったが、なかなか話の分かりそうな牛じゃねえか」
シュロスが感心したように口笛を鳴らす。
侵入者――あるいは、侵略者であると認めた魔族は初めてである気がする。
他の魔族は、そういった意識は希薄、あるいはまったくなく、なにか問題があるのか? といった態度だったから。
「あなた方が元居たところへ大人しく帰ってくれるというのであれば、私たちもあなたを滅ぼす必要はなくなります」
クレアの説得を聞いたミノタウロスは、もちろん、そのままおとなしく引き下がるということはなく、高らかに笑い声をあげる。
「我を滅ぼす、か。なるほど、ここへ乗り込んでくるだけのことはある、なかなか豪気な連中だ。そういうものが相手でこそ、久々に戦いに昂じられるというものだ」
これはあれだな。ジェラスと似ていて、戦うこと自体を求めているタイプの魔族だ。
つまり、まず間違いなく強い。
もちろん、僕たちだってあれからある程度は成長してきていると思うけれど。
「我が名はモーリアス。血沸き肉躍る戦いを期待するぞ、侵入者」
階層の床が崩落しないことが不思議なほどに大きな地響きを立て、巨大な戦斧を振りかざしたモーリアスが突っ込んでくる。
フェイントなどの気配はまるでない。
どこまでも、愚直なほどに真っ直ぐな突進。
しかし、その速さと質量は尋常ではない。
巨体には巨体なりの、しかも、あれほどの筋肉や鎧を纏っていれば、動きは鈍重になりそうなものなのに、まったくそんなことはなく、地面を踏み潰しながら迫ってくる。
こんなもの、まともに防御魔法で受け止める気にはなれない。
防御魔法ごと粉砕されるか、武器で受けたなら、なにもなかったのと同じように、そのまま両断されるだろう。呆気なく。
よって、採ることのできる行動は一つ。
「回避ー!」
叫ぶまでもなく、全員が即座にその場を離れて、四散する。
僕も、近くにいたエストの腕を掴み、《飛行する魔法》で離脱する。
おそらく、エストの防御魔法でも、あれを受け止めるのは不可能だろう。というより、試す気にもならない。
圧倒的な腕力に対抗するために武術ができたというけれど、あれをいなすことは、人にはおよそ不可能だろう。
鉱物の種類によっては、たとえば、アダマンタイトだとか、魔封石だとかなら、受け止めても壊れないかもしれないけれど、そんなもの都合よく持ってはいない(そもそも、魔封石を持ち歩いたりなどできはしない)し。
「巨体は足元から崩すって決まってんだよ」
戦斧による先の一撃を掻い潜ったシュロスは、すでにモーリアスの直下まで潜り込んでいて、そのくるぶしへ向かって剣を振るう。
「《刃の切れ味を鋭くする魔法》」
それに合わせて、付与魔法でシュロスの剣に強化を施す。
その一閃は、モーリアスのくるぶしをたしかに斬りつけ、傷つけたけれど。
流れた血は、滴ることなく、逆にモーリアスに吸収される。すると、どちらかといえば、赤に近いピンク色だったモーリアスの肌が、ほんのわずかに赤みを増す。
「こいつもさっきのやつと同じかよ」
シュロスが小さく舌打ちをする。
吸血鬼――ハイルヴィッヒも血液を自分のエネルギーとする魔族であった。
あちらには日光やら、聖水やら、苦手なものが明確に定まっていたみたいだったから良かったようなものの。
「さっきのやつ? なるほど、ハイルヴィッヒを討ち滅ぼしてきたということだな。安心しろ、侵入者。我はあやつのように再生したりはしない」
やはり、仲間意識というのは薄いのか、モーリアスの心が動いたようには見えなかったけれど、少しは興味を持ったらしい。
「我はむしろ、攻撃を受けるたび、血を流し、血を浴びるほどに、気が昂るだけだ。決して、他者の血を望んでいるわけではない」
結果、似たようなものだと思うのだけれど。
どちらも、他者の血(モーリアスの場合は自身の血でもということみたいだけれど)によって戦闘力が増してゆくという意味では。
「それって、要するにマゾってことか?」
シュロスが呟くけれど、どうやら、他の相手には聞こえなかったらしい。
だいたい、あんなに巨大な戦斧を嬉々として振り回し、他人の血を浴びることで気を昂らせるというのは、どちらかといえば、逆の性質だと思うけれど。
いや、そんな魔族の性格の話はどうでも良くて。
「そう心配するな、人間。なにも、我は不死身ということではない」
クレアの《炸裂させる魔法》を弾いたことに驚く間もなく、モーリアスは愉快なように笑う。ただし、愉快そうにと呼ぶには、あまりにも狂気が混じり過ぎていたけれども。
「ぬうん!」
モーリアスはその巨大な戦斧を振りかぶると、思い切り振り下ろす。
以前、フロリア山の迷宮で遭遇した巨人のときと同じように、振り下ろされた斧から巨大な魔力が発せられ、吹雪こそ起こらなかったけれど、ものすごい衝撃波が走り、周囲の床や壁、天井に、傷を刻む。
本当、これで何度目だと思うけれど、よくこの階層は抜け落ちないな。
「この階層は五段階に衝撃を吸収するよう層を為して構成されている。我の攻撃を受けても崩落しない程度にはな。そうでなければ、このようなところに住まうこともできなかったであろうよ」
それは、まあ、戦斧の一撃はもとより、そのままでも相当の重量がありそうな巨体のモーリスが動き回り、棲みついても問題ないほどには強化されているということではあるのだろうけれど。
実際に、この塔の床(あるいは天井)が抜けるのを見ているからな。
もちろん、階層によって造りが違うのかもしれないけれど。
「ふっ。なんか、面白い奴だな、あいつは」
「まったくだ。魔族であることに変わりはなさそうだが」
シュロスとダンバルが笑い合い。
「ルシオン。悪いがあいつの相手は俺たちに任せてくれねえか?」
「なにを言っているんですか、シュロス」
僕よりも先に反応したのはクレアだった。
驚愕と、不安、心配が顔に浮かんでいる。
「おっ、姫さん。俺のこと心配してくれんの? だったら、寝床で横になってその心配――」
「ふざけている場合ですか? シュロス。私たち――なぜですか、ルシオン」
引き下がらないクレアのほうを制止するように腕を横に伸ばせば、クレアは信じられないとばかりに鋭い視線を向けてくる。怒りも籠っていたかもしれない。
「クレア、僕はなにも、シュロスやダンバルを見殺しにしようというつもりはありません、これっぽちも。ただ、二人が楽しそうなので」
あれは、自殺志願だとか、負けるつもりであるような顔ではない。
純粋に、強者との腕比べを望む、武人の顔だった。
「大丈夫です。クレアが、それに僕たちが信じて一緒に戦っている仲間です。こんなところで負けたりはしませんよ」




