フィーノデリーと竜 12
とはいえ、まだ脅威とみなされたわけではないだろう。
こっちは最大限の警戒をしているというのに。
これは油断でも、余裕でもない。そもそも、この世界を見渡してみても、わざわざ竜に――それが小型だろうと、大型だろうと――戦いを挑もうなどという輩が、人でも、人でなくとも、いるはずがない。いや、人の中には稀にいるみたいだけれど。
強大な魔力と筋力、飛行能力に加え、強靭な爪や牙まで持ち合わせ、さらには体が鱗に覆われてまでいるという、そんな存在を傷つけることのできる相手が、いったい、どれほどいたことだろうか。
すくなくとも、この竜にとっては人間など(エルフやドワーフであっても)、つまり僕たちに対して微塵も警戒が湧かない程度の存在でしかないということだ。
こういう場合、もっとも有効なのは、出合頭の一撃で頭とか心臓とかを破壊してしまうことだけれど、この竜から感じられる魔力防御は、そんな安易な攻撃一回で突破できるような代物ではなさそうだ。
「まったく。女の子がいなけりゃ、逃げ出してるところだぜ」
まだ言ってる。
僕とダンバルだけが供だったとしても――その場合、そもそも竜に挑もうとしたかどうかは別にして――シュロスは逃げ出したりしなかったと思う。
そんな風に逃げ出すつもりなら、ジェラスに負けたとき、そのまま一人去ることだってできたはずだ。
「どうかな。あれは、負けたのがむかついたから、やり返してやろうって思ってただけかもしれないぜ?」
「それでも、同じことですよ。今回、僕たちは最初にあの竜を見たとき、本当に見ているだけしかできませんでしたから」
シュロスは舌打ちをひとつ漏らしたけれど、その口元に笑みが浮かんでいたのは、僕の気のせいではないだろう。
「怖いと思ってるのは事実だぜ。だから、さっさと終わらせてくれよな」
注意を引く役目のシュロスとダンバルが攻撃に移行したことを確認して、僕は竜の側面に回る。リクリスが反対の側面に、クレアは空中で背後に陣取る。そして、少し離れた位置にエストだ。
「シュロスとダンバルが上手く注意を引きつけて足止めしてくれるなら、その分、早く終わりますよ」
「ちっ。調子いいぜ」
「まったくだ」
僕たちはにやりと笑い合い――もっともダンバルの表情は髭のおかげでわかり辛かったけれども。
「それじゃあ、行くぜっ」
自身を奮い立たせるようなひと声とともにシュロスが飛び出し、ダンバルがそれに続く。
本当に、うまく竜の意識を誘導することなどできるものかと不安はあるけれど、それでも、やってもらわなくては困る。
「おい、こら、赤いの。こっち向けや」
シュロスが斬りかかり、竜の意識が向けられたところで、すかさず。
「《炸裂させる魔法》」
そうやって魔法を放つ僕を隠すように、そして僕はその陰に隠れるように、ダンバルが僕の前に立つ。
魔法に距離や位置取りは関係ない。たとえば、想像力次第、そして魔力次第ではあるけれど、極論、今この場に居ながら王都に魔法を作用させることだってできる。もちろん、多大な集中力や魔力を必要とするので、現実的ではないけれど。
たしかに、《炸裂させる魔法》は砲撃魔法に類する、つまり、軌道が存在するものだけれど、直進しかさせられないものでもないし、自分の手元からしか放つことのできないものでもない。ただ、その場合、少しだけ思考が必要というだけだ。
それも、こうして旅に出るようになってから身につけた技術であり、学院ではそういう使い方は習わない。
これは想像力を鍛えるためという面もあるだろうけれど、《炸裂させる魔法》の最も効率的な運用を覚え込ませるためでもあるのだろう。
速射性に優れる《炸裂させる魔法》ではあるけれど、軌道を操るということは、その分、時間的に長くなるということでもある。下手に小細工をして、その分、行使までの時間が遅れることになれば、相手に先手を譲りかねない。
もちろん、数秒単位ではあるだろうけれども、実戦の場では、その数秒が生死を分けることもある。
そして、今の僕の魔法の使い方で意味があったかといえば。
「こっちだ」
ダンバルが移動するのと同時に、僕もその場をダンバルとは反対の方向に向かって移動する。もちろん、体外放出魔力を抑えて。ダンバルにも、もちろんシュロスにも、運用できないというだけで、魔力は普通に存在しているからな。
実践、しかも竜の前で魔力を抑えることがどれほど危険であることなのかは理解している。魔力を抑えるということは、魔法の行使に時間がかかるということでもあるのだから。
しかし、ダンバルが竜からの注意を引いてくれるのであれば、それは致命的な隙には繋がらない。
魔力を失った――抑えて感知されない、あるいは感知されにくくした――僕よりは、今まさに巨大な斧を振りかぶるダンバルのほうに意識が向けられるのは当然だろう。
振り下ろされた竜の腕――前足か?――を自分の斧で受け止めたダンバルは。
「ふん」
その斧を振り、竜の爪を切り飛ばした。
爪自体、しかも伸ばされた先端にまで神経は通っていないようで――そこは人とも、他の獣や魔物とも同じだったようで――直接的なダメージを負わせることはできなかったけれど、自身の爪を切り飛ばした存在がいるということに、竜はひどく――そう見えただけかもしれないけれど――驚いたらしい。
短い唸り声のようなものを響かせた竜は、ギラリと瞳を光らせた後、わずかにその首をのけぞらせ。
「下がってください」
エストからの声が届いたときには、僕たちは皆、すでに後方へ下がり始めていて、エストの防御魔法が僕たち四人をそれぞれ囲うように瞬間的に構築された直後、竜の口から灼熱を思わせる色合いの息吹が吐き出された。
エストの防御魔法は、この場合速さを優先したようで遮音性能までは付与されなかったらしく、燃え盛り、吐き出される音は、聞こえてくるだけでも相当激しいものだと、さすがはフィーノデリーを、文字どおり、焼失させるだけのことはあると、敵として相対しながら感心してしまう。
実際、土と岩肌ばかりの地面すら焦げ付かせるくらいだ。その威力は計り知れない。エストの庇った範囲だけ、綺麗に焼失から免れている。
まあ、それは相対的に、完全に遮断したエストの防御魔法の性能が桁外れだということを意味してもいるわけだけれど。
「《炸裂させる魔法》」
そして、竜が息吹を吐き出し終えた瞬間を見計らうように、上空から魔法が降り注ぐ。
「《千の雷を操る魔法》」
前者はクレア、後者はリクリスによるものだ。
ひと筋の砲撃と、いくつもの雷が降り注ぐ。
それらは確実に竜に効果をみせ、竜の身体から煙が上がる。
加えて、足を激しく踏み鳴らし、翼を震わせるものだから、地震が起こり、風が吹き荒れる。
エストの(僕もだけれど)防御魔法がなければ、吹き飛ばされていてもおかしくはなかったほどだ。
僕たちが魔法を用いてようやく起こすことのできる現象を、特別意識するでもなく、ただ暴れるだけで引き起こすことに、つい笑ってしまいそうになるのを堪えていたら、シュロスとダンバルは楽しそうに――かどうか、本意はわからないけれど――笑っていた。
「なんで笑っているんですか?」
「おまえも笑っているだろう」
笑う以外、どうしろというのだろう。
もちろん、諦めたとか、そんな気持ちではまったくないにもかかわらず、身体の奥から溢れてくる不思議な感情とともに吐き出した結果が、笑顔だったというだけで、それ以外の理由はない。




