フロリア山での邂逅 5
もっとも、今はまだ直接的な被害が出ていないというだけで、たとえば、この先、魔王軍が侵略してきたことにより、外出すること自体を敬遠する人たちが増えたりすると、当然ながら、ここの宿屋にも影響は出てくるはずだ。
それに、流通が止まるということは、言うまでもなく、影響は宿屋に留まらないだろうし。
外貨の獲得手段がなくなれば、当然、依頼に対する報酬も払えなくなり、それは、この村だけでこれから起こり得る問題すべてに対応しなければならなくなることを意味する。
問題というのはなにも、協会に出されるような依頼の話だけではなくて、この地方では育たない作物の話だとか、獲れない魚のことだとか、外の情報に関してもそうだ。
この街は山間にあり、海運はできないし、空輸にしても、空にも当然魔物や魔族がいるだろう。
飛行魔法を併用しながら戦うのは、魔物や魔族を相手に、なかなかに厳しい。それなりの実力が必要だけれど、それほどの実力の魔法師は、そう多いものでもない。
「そもそも、魔族というのはどういう存在なのでしょうか?」
なにより、僕たちはまず、これから戦おうという相手のことを知る必要がある。
現状、わかっていることといえば、僕たちと会話をする程度の知性は持ち合わせていること、魔力に関して――少なくとも、基礎的な魔力に関して――今の僕たちより上なこと、死んだら粒子になって消滅すること、それから、この世界を魔族の世界に作り替えようとしているということ。
とりあえず、僕たちを主観に考えれば、人に害をなす存在ということになる。
城を占拠したり、クレアを辱めようとしたり、その時点で僕としては敵対する理由は十分過ぎるけれど。
「情報が少なすぎて、定義するのは難しいですね」
たとえば、行く先々の村で、魔族というやつらが襲ってきます、注意してください、などと喚起するのは、現状では不可能だろう。
かといって、民間に暮らす人たちにまで周知されるほどに魔族がはびこるまで待つなどという悠長なことは言っていられないし。
「協会も教会も、すべての村にあるってわけじゃねえからな。もちろん、個人的に実力のある奴がいるって場合はあるだろうけど、現状では、組織だった反抗は難しそうだな」
シュロスも肩をすくめる。
そもそも、冒険者というのは、そう名付けられているとおり、冒険する職業だ。
ひとつの街に留まって、魔族の撃退を専門にする、などということはない。そういう風に根差す人も、これから出てくるかもしれないけれど、それはそれで、冒険者を目指した人の夢を捻じ曲げることになりかねない。
かといって、事が起こってから協会や教会の人員を派遣するというやり方では、どうしても、後手になるというか、後の祭りになる可能性が高い。
「ただし――あまり、前向きな理由ではありませんが――魔族による侵略が広まれば、今言っていたような、各地で蜂起する勢力もある程度は出てくるはずです。そういう中から、有志を募ることができればいいのですが」
魔族に侵略させないよう行動しているというのに、その侵略が進むほどに仲間を集めやすくなるというのは、矛盾しているかもしれない。
しかし、そうして目の前に危機が現れなければ認識するのも難しいということもある。実際、僕だって、クレアが僕の家に現れなければ、魔族――魔王――が城を占拠したなど、信じられるというか、想像すらしなかっただろうからな。
「姫さんが声をかければ、仲間の十人や百人、すぐに集まるだろうけどな」
シュロスが悪戯っぽい顔でウィンクをすれば、クレアは若干、眼を細め。
「……どういう意味ですか?」
「そりゃあ、綺麗な姫さんの頼みとあれば、やる気の出る男もいるだろう。むしろ、男なら大抵は誰だって誘えるだろうってことだ。なあ?」
そこで僕に振らないでほしい。
僕はシュロスを恨みがましく睨んでから。
「まあ、クレアは美人ですから。男っていうのは、単純なんです」
クレアは納得いっていないらしく、顔には疑問の色が残っていたけれど、これ以上、男の口から説明させないでほしい。
「とはいえ、そんな欲望だけで仲間に加わってもらっても意味はありませんが。最も重要なことは、魔王を打倒しようという志が一番にあるかどうかです」
たとえば――万が一――だけれど、魔王軍に美女、美少女がいた場合、逆に取り込まれないとも限らない。
「だから、誘うのは女の子にしようぜ」
シュロスは張り切って提案してくる。
いや、同じような理由で、それだけで判断するのは止めておいたほうがいいのでは? とくに、シュロスはすぐに引っ掛かりそうだし。
「ばっか、おまえ、なに堅いこと言ってんだよ、ルシオン。どうせ旅をするのなら、むさくるしいおっさんより、可愛い女の子とか、綺麗なお姉様のほうがいいだろう?」
「それは――いえ、やはり、魔王を討伐することを目的とするのであれば、志と実力を優先するべきかと」
危うく肯定しかけて、なんだか背中に悪寒を感じて、慌てて言い直した。
右も左もわからないような少女よりは、鍛練と実戦経験を積んだ、熟練の戦士のほうがいい。
もっとも、魔族がはびこるようになってしまうと、そういう人たちはそれぞれ単独、あるいは独自にパーティーを組んで行動を開始するかもしれないけれど。
加えて、そもそも、そういう人たちのうちの最精鋭は、王都に詰めていたために、すでにやられているとか、今まさに戦闘しているとか、僕たちと同じように、僕たちとは別のパーティーを組んで、すでに行動を起こしているということもあるだろう。
それはそれで良いことだろうけれども。
「それは、俺たちも急がないといけねえな」
「急ぐことには同意ですが、今、決意を決めたのですか?」
クレアに尋ねられ。
「おう。大抵、勇者ってのは女性にモテるもんだろ? だったら、俺が魔王に一発くらわせてやりたいじゃねえか」
会って間もないけれど、動機がすごくシュロスらしいということは伝わってきた。
「そもそも、どのくらいしたら実際に魔王を倒しに戻るとかって、決めてるのか?」
仲間はいくら集めても十分ということはない、というようなことを、クレアは言っていた。
しかし、五十人とか、百人とか集めるとなると、それこそ、数年単位で時間がかかってしまう。
今はまだ、魔王軍の侵攻がひどくないみたいだけれど、いつ、本格的に始まるのかはわからない。
それに、城に残っているクレアの家族のことも心配だし。
魔族に国だとか、そういう概念があるのかどうかわからないけれど、侵略された側の王族、つまり、トップの辿る道など、決して良いものであるはずがない。
殺されるか、拷問されるか、見せしめにされるか。
いずれにせよ、碌な運命ではない。
「……私としては、一応、アステーリオをひと回りはしてみるべきだとは考えています」
他国にまでは手を伸ばしたりはしないということだ。
自国の問題は自国で、と思っているのだろうか。もっとも、たとえば冒険者の協会は各国連動しているということで、他国から依頼を受けて、あるいは自発的に、人が来ないわけでもないだろうけれど。
「その中でも、今、一番に回りたいのは、やはり、教会や神殿などでしょうか」
戦士としてはシュロスが加わってくれたけれど、司祭様や、法皇猊下……は地方にはいないにしても、聖女様が仲間に加わってくれれば、心強い。
信仰心から、神――あるいは女神――の奇跡をもって、治癒や浄化を専門とする人たちだ。
もしかしたら、魔族に対する見識もあるかもしれない。
「もちろん、志を共にしてくれるのであれば、選り好みするつもりはありませんが」




