前夜祭
その確証はどこから来るのか、グローリアは、この街にナズナがいる。と言った。
彼女の考えがまるで読めない。それとも、もう既にこの街にいるという情報は出揃っているのだろうか。
「百怪夜行…それはこの街にだけある生贄の祭り…そんな祭りが十年以上も続いているということは、この街に人が入り続けている。ということなのよ。だってそうじゃない?獲物が取れなくなった場所にいつまでもいたら意味無いもの」
彼女の言うとうり、この街には外から人が運び込まれてくる。しかしそれではまだ確証に至るには程遠い。
「ならその連れてくる奴らは誰なのかって話なのよ」
「それが…ナズナ…?」
「その可能性が高いわ」
グローリアは観測者の動きを見ながら言う。まだこちらに気づく様子はなかった。
「もっと言うなれば、その連れてきた奴は誰が面倒を見るの?特に親のいない子供は」
「じゃぁ…私の家に差出人も無く送られてくるあのお金は…」
「恐らく、ナズナの会社が送ってるものよ」
そんなことができるのか…なんて思うが、お金の流通がある金融会社であれば不可能ではなかった。
「そんなこと…あの人がこの街に居なくとも、指示ひとつでできることじゃないのかい?」
「たとえ金融企業でもお金は無駄にしたくないはず…ばらまけばお金のない人は勝手に拾う。でも、もし拾われなかったお金があるとするならば、それは無駄なお金になるの。だから間接的にでも一人一人に渡す必要がある。そのためには…この街にいる人数と住所の全把握が必要なのよ」
「でもそれとナズナとなんの関係が…?」
世間知らずだった彼女がこんなにも頭を働かせるも、ここが限界のようだった。
「…なるほど…あの人は百怪夜行のために連れてこられた人たちの受け入れと人数管理を行い、配金をしている…となると、資金削減と手間を考えるとこの街に構える方が断然良いということ…」
彼女の考えを全て理解したかのように神様が言う。
わからないから始まったナズナの存在談義は、いるはずという結論で幕を閉じた。
「よし、行こう」
神様が立ち上がり、私の体へ飛び込む。衝撃を抑えようと身構えたが、襲われることはなく、吸い込まれるように体内へと入って来た。
(君はボクの心臓で動いているわけだからね。こういうこともできるのさ)
そこにいないはずの神様の声が頭の中で響く。その間にもグローリアは私が隣に立つことを待っているからか、こちらに見向きもしなかった。
壁に立て掛けいる神様が使っていた大剣、現身鏡を背中に携え、ベランダに出て彼女の隣に立つ。
寒空の下に晒された手が触れ合い、お互いを離さまいと強く握られた。
「行くわよ…ナズナを探しに…百怪夜行を終わらせに…!」
純白の六枚の翼を羽ばたかせ、グローリアが飛べない私を連れて飛び上がる。
彼女に手に捕まり、釣り下げられるように観測者の頭上を通り過ぎる。翼を羽ばたかせ、羽根を散らしても観測者達は地面に夢中だった。
「重くないか?」
「それがね、不思議とそこまで重くないのよ」
人一人分の重みに加え、剣の重さを手にしてもなお余裕な表情を見せる。翼族の重量感覚が狂っているのか、それとも腕力がついているのか…はたまた重量を感じない不思議な力が働いているのか…こればっかりは考えても仕方がなかった。
ナズナはこの街にいるはずと結論付けたものの、誰がナズナなのかは全く分からず、如何にも本社っぽい建物を探しているうちに、どこにでもありそうな家屋の上に立っている人の姿が見えた。周囲に観測者の目は無いように見えた。
「グローリア」
「ええ、わかってるわ」
彼女も私と同様に空から目を行き渡らせていたからか、皆まで言わずにその人物の元へと降り立った。
「…私に…なにか御用でしょうか?」
顔の見えない闇の中でその人は言う。女性の声だった。
コンクリート作りの天井をコツコツと足音を立てて私たちに近づき、顔を見せる。肩にかかる程に長い黒髪を降ろし、ブランド物の黒地に赤いチェック柄のトレンチコートで身を包んだどこか儚げな面持ちをした美形の女性が私とグローリアの目の前に現れた。
「綺麗な人…」
グローリアが彼女に見蕩れてそう吐露する。彼女は手で口元を隠してはにかみ、自らの腹の前で指を組んだ。
「ありがとうございます…百怪夜行の最中に外出するなんて…命知らずな方達ですね」
「貴女も十分命知らずに見えますけどね」
目の前にいる女性はグローリアを尻目に私の前にやって来る。そして彼女は私の手を取り、自身の頬に当てた。外気とはまた違う冷ややかな肌が心地よかった。
「随分と…大きくなりましたね…名倉様…」
名倉…名倉伊黎…神様からラクイラという名を貰う前の私の名前であり、本名…
呼ばれ慣れていたはずの名前で改めて呼ばれるのが懐かしく感じ、自分のことではないのではないかと錯覚する。
「貴女は…一体…」
「…十年という時は長くも、流れるのは早いもので…記憶を正しい形にさせないのには十分すぎる時間です。貴方様は私のことを忘れてしまっても…私は貴方様のことを覚えています…たった数度の出会いでも…大切なものですから…」
彼女の言葉は私の問いの直接的な答えでは無いものの、全てを話すまでもなく、少し考えれば分かる事だった。
「黒百合…ナズナ…!」
「…お久しぶりです…名倉様…いえ、今はこの名前でしたか…ラクイラ様…そして、初めまして…グローリア様」
私の今の名前、そしてグローリアの名前…この場で名乗ってないはずなのに、彼女は私達のことを既に知っていた。
「その驚いた表情…なぜ名前を知っているのか…でしょうか?」
読心術でも持っているのか、それともこれが当然の反応なのか、ナズナは再び微笑む。
「私の情報網は恐らくこの街で一番でしょう…貴方様が神を宿していることも、貴女様が翼族の女王であることも…既に存じ上げております」
神様以外に話していないことを容易く話す彼女に恐怖を覚える。あの家に盗聴器でも仕掛けているのか…もしもあの家がナズナが用意したものであるならば、出来ないことではないのだろう。
「あなた方の目的も本当はわかっております…」
彼女はインカムのボタンを押してどこかに指示を送る。その後十秒と経たずに足場としていた天井が外れ、機械が駆動する音と共にゆっくりと建物の中へと入って行った。
「この建物は…この建物だけはとある場所に行くための出入口となっています。今からそこへご案内します」
下がっていく足場が明かりもない場所で一時停止をし、今度は前方向へと進み出した。いつの間にか現れていた背後の柵に支えられ、強い向かい風に押しつぶされそうになりながら進み、しばらくすると減速を始め、機械音がなくなると同時に目の前から光が差し込んだ。
体勢を整え、産まれたての小鹿のように足を震わせていたグローリアを背負い、先導するナズナの後を着いていく。ビニル床の上を歩き、まだ誰もいない通路には私とナズナの足音が響くだけ…
一直線の通路を歩き、重扉を目の前にすると、ナズナが扉を叩く。待っていたかのように数秒も経たずに内側から開かれた。
「ようこそ…黒百合財閥へ」
扉の奥へ入ると、多くのモニターが真っ暗な街を映し、観測者の現在地や行動がはっきりと分かる。そこにはもちろん私の家も映っていた。
「ここはあの街の様子を常に観察して異変がないか見るための場所になります。私たちが向かうところはこの施設の最下層である対策本部なので、今回は説明は省かせていただきます」
前夜祭が始まってから三時間が経過した。夜明けまで残り八時間。本祭開始まで二十一時間。時間が惜しいからか足早に歩くナズナに遅れを取らないように急ぎ足で歩く。
他にも休憩室、厨房に食堂、会議室に各部署と言った如何にも会社のような部屋が点在する中、殺風景な通路の最奥にエレベーターがあった。
ナズナの後にそれに入ると、ボタンは上と下、開と閉の四つのボタンしか無く、彼女が下のボタンを押すと、扉が閉められる。ゆっくりと下へと下がる感覚を感じながら十数秒が経つと、今度はまた殺風景な通路と、今度は二つの扉が目に入った。
「ここが、対策本部の階になります」
彼女はそう言って歩き出し、横並びになっている扉のうちの左の方へと入った。部屋中を走り回る人達が多数みうけられ、その緊張感がひしひしと伝わってきた。
部屋にはリアルタイムで動いているグラフや、個人情報、観測者の正確な位置情報と数など、百怪夜行の前夜祭に関わる情報がモニターに映し出されていた。
「誰かアレの準備をお願いします」
ナズナが言うと、比較的手の空いていた人が奥の部屋へと入り、パソコンを操作し、動作確認を行っていた。
「それでは行きましょう」
どこへ行くのか、それは当然隣の部屋だった。部屋の外に出ては隣の部屋に入る。先程のモニタールームの部屋の長さと同等の通路の先にまた一つ扉があり、厳重なロックがかけられていた。
「この先は本祭にて現れる怪異と同等の行動パターンをプログラムした人形がいます。御二方のどちらかには本祭までにそれを破壊できるような力をつけてもらいます」
背負っているグローリアと話し合うまでもなく、お互い顔を見合わせて頷き、彼女を降ろして私が扉の前に立った。
「観測者を含む百怪夜行にて現れる怪異という存在は、普通の人間や神では到底太刀打ち出来ません。そこで必要となるのが、能力や、魔法となります。それらを持ってしてもようやく対等となります。百怪夜行を終わらせるには、怪異を退くには…最後まで言わずともわかるでしょう」
厳重にかけられた鍵を開けながらナズナが言う。全て開かれた後に開けられ、二人を置いて中へと入った。
扉が閉められ、鍵をかけられたと同時に真っ暗だった空間に電気が点る。目視にて一辺五十メートル、高さ十メートル程の空間の最奥には椅子に座らされている二つの等身大の人形があった。
「その人形を破壊することが出来なければ怪異を退くことは到底無理でしょう」
この部屋のとこかに埋め込まれたスピーカーからナズナの声が聞こえてくる。装飾も模様も何も無い殺風景な部屋の右手側には、ガラス張りにされた部屋があり、そこにはナズナとグローリア、そして動作確認をしていた職員が一人、こちらを見下ろしていた。
背中に携えていた大剣を抜いて構えると、僅かな機械音と共に人形が動き出し、向こうを武器のようなものを構えた。
「タイムリミットは…二十一時間後…それまでに自身の能力の更なる力に目覚めてください」
ナズナが言い終えると共に二人の人形が一蹴りで私の目の前に接近し、持っている刃を振り下ろした。