喪失(後編)
エルピスの依頼から一週間が経とうとしていた。数日の空白からさらに数日、自分の家に帰ろうとこの屋敷を抜け出そうとしても、神様とレイカに何故か力づくで阻止されてしまう。私は神様の心臓で生きているからか、金縛りのように思うように動けなかったり、龍になったレイカに踏みつけられたりと、この数日間、毎日体がボロボロになっていた。
その翌日、今日でエルピスと出会ってから丁度一週間の出来事だ。突然、この屋敷のインターホンが鳴り響き、私とエルピスが居留守を使おうとしたところでレイカと神様が人間の姿で玄関のドアを開けた。
壁を縫った隙間から玄関の外を見ると、郵便配達員らしき服装をした、深々と帽子をかぶり、厚く防寒着を着込んだ人物がレイカに一通の手紙を渡して早々と去っていった。
「ご主人様、これ、ご主人様宛」
なぜ私宛の手紙が私の家ではなくこの屋敷に届くのか、そんな疑念を抱きつつも、彼から封がされた封筒を破り開け、中の三つ折りにされた紙を開く。封筒にもあったように、確かに私の名前が書かれていた。
『魔族を統べる者より、この手紙を読むものへ招待する
とある魔族が貴様に救われたとの報を受けた。人間が魔族を救う、これは現代において九死に一生を得る出来事である。感謝の意を込め、貴様達を城へ招待する。事情により、迎えを出すことは出来ないが、裏面に記載した地図を頼りに魔族領に入領し、魔王城への来訪を心待ちにしている。武器の所持や服装は問わないが、くれぐれも他言無用であることを理解してもらいたい。』
「魔王、ですか」
エルピスやレイカ、神様と共に何度も消した跡のある書きなれてないような文字の羅列を読み終えて裏面に反す。どこからこの位置を割り出したのか、この屋敷から魔族領へ通ずる道案内が記された地図が繋ぎ合わせに貼り付けてあった。
龍や神がこうして同じ手紙を読んでいるのだから、今更魔王が私宛に手紙を出したところであまり驚かない。
「救われたと言えば、あの路地で助けたあの子、魔族だったのですね」
あの時はエルピスはトイレで席を外していて知らなかったんだったと汲み取る。きっとあの時のサキュバスが、私のことを無害な人間だと魔王に伝えたのだろう。
「そういえば言ってなかったね、君が一旦離れた後、私のことをよく分からない人間だってレッテルを貼ってどこかに行ってしまったんだ」
「それで、その知らせを受けた魔王がラクイラさん宛に手紙を出したと」
「魔族か、確か大昔には人間と魔族は共存していたはずだけど、最近全く見かけなくなったね」
神様が神妙な面持ちで考える素振りをしながらつぶやく。もしも言ったことが本当であれば、その大昔から現代までに、何かがあったことに間違いはなさそうだ。あのサキュバスが言ってたように、現代では人間は魔族と敵対し、見つけ次第悦楽の下で殺しているとの話。共存から互いが互いに恨み合う関係へ暴落してしまった。龍と妖精間の争いのような、またはそれよりも規模の大きいものがあったのだと予想出来てしまった。
「どうするの?龍は魔族と険悪じゃなかったから行ってもいいけど」
レイカは手紙の裏の地図を脳裏に焼き付けながら私に尋ねる。私の答えはまだ決まっておらず、この魔王を名乗る者の真の目的が私たちの抹殺という可能性が捨てきれなかった。
「まぁ、人間と魔族は敵対してるそうだし、何が起こるか分からないからやめておこう」
手紙は念の為保管しておき、手紙にあった通りにあまり話題に持ち出さないことを決めて何も無い日常を過ごすことにした。
それから数日が経った。
「フルハウス」
「あっフォーカードだ」
「ボクはストレートフラッシュ!」
「私の勝ちですね!ファイブカード!!」
私たちは神様がどこからか引っ張り出してきたトランプで遊び、一喜一憂しながら時間を潰していた。
「次は七並べだ!次こそエルピスに勝つ!」
「何度でも勝負しますよー!では、最後まで残っていた人が今日の夕飯を作ることにしましょう」
彼女が連勝し続ける中、私は最下位のレコードホルダーとなってしまっている。フルハウスを作っても勝てないなんてなんと鬼畜なポーカーなのだろう。
疑いたくはないが、彼女のイカサマを警戒して私が束をシャッフルして均等に配る。各々の手札から七だけをテーブルの上に並べたところでインターホンが鳴り響いた。先日同様レイカと神様が出迎えると、先日と同様の郵便配達員がまた一通の手がを差し出しては去っていった。
「あっ、またご主人様宛だ」
同じようなシチュエーションから、手紙の差出人も大方予想が着く。レイカから手紙を受け取り、封筒を破り開けて中の紙を開いた。
『魔族を統べる者よりこの手紙を読むものへ懇願する
先日差し出した手紙は読んでくれただろうか、あれから調べたのだが、現代の人間達の間では「貴様」はあまり敬うような意味では無いらしい。もしもそれで気分を害してしまったのであればこの場を借りて謝罪しよう、大変申し訳ない。本件についてだが、私は一魔族として貴殿らに直接感謝の意を述べ、個人間での友好な関係を結びたいと思っている。どうか前向きに考え、魔王城へ訪れてくれないだろうか。』
「また魔王からですか」
「魔王と少年とで個人間の友好な関係ねぇ」
「魔王はご主人様と友達になりたいってこと?」
何故だかそう言い変えられてしまうと、この魔王の厳かさが劇的に薄れる。しかし、まだ二度目であるが、これから先、訪れるまで何度も手紙を送るとなると、魔王の手間も考えると行った方がいいのだろうか、レイカや神様は行く気満々ではあるものの、私とエルピスはあまり乗り気ではなかった。
「魔王が私に報復することだってありえない話じゃないからなぁ」
「一旦様子を見て、また手紙が来たら考えましょう」
この手紙も念の為保管し、あまり触れずに七並べを再開した。
それからさらに数日後、エルピスの依頼から二週間近くが経過した。外では粉雪がさらさらと降り注いでいた。
「しょうねーん、みかん取ってきてー」
「嫌ですよ…自分で行って下さい」
「すぅ……すぅ……むにゃむにゃ」
「レイカさーん、ここで寝てると風邪ひいてしまいますよ」
こたつの中で眠っているレイカに膝枕に使われ、身動きが取れないまま、寝転んで漫画を読み漁る神様にこき使われようとする。エルピスはレイカを案じて肩を揺さぶるも、起きる気配が一切なかった。
こたつと人の熱でウトウトし出すと、目覚ましのようなインターホンが鳴り響く。この音にレイカも目を覚まし、大きな欠伸をしながら今度はエルピスと一緒に出向いた。
「はぁ、またラクイラさん宛のようです。どうせあの魔王でしょう」
半ば呆れながらエルピスから手紙を受け取る。封を切るよりも前にレイカは私の膝上に座り、私の上半身を背もたれにしながらリラックスし始めた。人一人を乗せて入るものの、不思議とあまり重いとは感じなかった。
『この手紙を拝読されている方々へ、度重なる手紙の送付、誠に申し訳ございません。ですが、私魔王は、貴方様に同胞を救って頂いたお礼をしたく申し上げます。不躾ではございますが、今までの高圧的な文面をお許ししていただくと同時に、どうか魔王城へ足を運んでは下さらないでしょうか。寒気が脅威となる季節ではございますが、こちらの身勝手なお願いではございますが、一度お話だけでもさせては貰えないでしょうか、宜しくお願い致します。』
「なんか、魔王が可哀想になってきたからそろそろ行こうよ」
「ここまで謙遜されるとなると返って気分が良くないからね……行くかぁ。神様、魔王城に行きますよ」
「えー、ヤダー明日にしようよー」
駄々を捏ねながら漫画を読み進める神様にさらに呆れを見せたエルピスがこたつを繋ぐコンセントを引き抜き、温熱を切る。中の温もりが隙間を通って逃げていき、少しずつ冷め始めた。
「ううっ、寒っ!」
神様は自分のしっぽを抱き枕替わりに抱き寄せて自分で暖を取る。そろそろ怒ってしまいそうなエルピスが神様から漫画本を取り上げ、その場からでは手の届かないところに置いた。私とレイカも抜け出し、防寒着を着込む。着替え終わった頃にはようやく出ているだろうとは思ったが、そうではなかった。
「ほら神様、行きますよ!」
「やーだー!ボクお家でたくないー!外雪降ってるんだよ!?寒いんだよ!?風邪ひくよ!いいの!?」
「その時は……昔みたいに神様が看病してくれるよね」
「う”っ……わかった」
内心ガッツポーズを決め、自力で立ち上がろうとしない神様をこたつから引きずり出す。面倒くさがりつつも、出てしまったからには上着を着込んで誰よりも先に靴を履いて外へと飛び出して行った。
「ほら!少年!早く行こう!」
「全く、都合がいいんだから」
外へと飛び出し、人目につかない所までレイカと神様を体の中に棲まわせ、住宅街をエルピスと並んで歩く。上下黒の服装の私に対して、彼女は雪のように純白のコーデで歩道側を歩いていた。
「あっ、伊黎君!」
背後から嬉しそうな女性の声が聞こえてくる。この街を歩くに当たって危惧しなければならないことを忘れてしまっていた。こんな事に遭遇するのであれば、あの屋敷の庭でレイカに乗って飛び上がればよかったと後悔する。
「どちら様ですか?」
私は彼女の方へ振り向かないまま、エルピスが代わりに振り向いて問い質した。
「ん、貴女こそ誰?今すぐ伊黎君から離れてくれないかな?」
「伊黎?この人はそのような名前では」
エルピスが否定しきるよりも前に肩に手を置いて振り向いた。声で思い浮かべた人物が、思い描いた服装で、エルピスを睨みながら立っていた。
「灯織、何の用だ」
私の呼ぶ声に過敏に反応し、鋭い目付きが一転してリラックスした柔らかい目が向けられた。彼女からどんなものを向けられたとしても、受け入れることなどできなかった。
「特にこれといった用はないんだけど……その隣にいる女、誰かな」
「君には関係ない」
「あるに決まってるじゃん!伊黎君は私の彼氏なんだから、知る権利はあるはずなんだ。だから、教えてくれるよね」
彼女の視線が再び鋭い剣幕へと戻る。邪険にされ続けるエルピスも嫌気がさしたのか、軽蔑するかのように灯織を睨み返していた。
あの夜、彼女の家から逃げ出した時のことが頭によぎる。いくら全速力で逃げたとしても、凄まじいほどの脚力で地面を抉るほどにに蹴ってはすぐに追いつかれる。ましてやエルピスも連れて逃げるのであれば、巻き添胃になってしまうことが間違いない。また素直に答えるしかないのか。
「ただの仕事相手だよ」
「へぇ、伊黎君の仕事かぁ」
二人の間に割って入りながら言うと、彼女はやけに素直に受け入れ、エルピスの姿が私の体で隠れたからか、再び和やかな表情に戻った。こうも簡単にコロコロ表情を変えられるなんて、彼女の奥底の感情が何も汲み取れない。
「伊黎君は私と凪咲ちゃんがお世話するから働かなくてもいいのに……」
灯織はブツブツと呟きながらも、その全てが耳に届いてしまう。それから彼女は聞こえてしまっているだなんて思いもせずに、なんの脈略もなく私の眼前に急接近する。お互いの息が当たってしまいそうなくらいに。
「ねぇ、伊黎君、私の目を見て答えてくれるかな?」
両頬に手を添えられ、私よりも僅かに背が低い彼女に無理やり目を合わせられる。その目はまるで、黒塗りにされた鏡、光が一切届かない深淵のようなものをしている。私の心をその目の中に捕らえまいと引きずり込まれそうな目に、見つめられていた。
「君の娘を名乗る子が私達の所に来たんだ。何か知ってるかな?」
「私の娘?」
そもそも私はまだ灯織と同じ年齢、子育て経験もなければ結婚すらしていない。女性経験もないはずだ。それなのに私の娘が存在している。なんておかしな話なのだろうか。
「いや、知らないな」
「本当に?嘘じゃない?」
「あ、あぁ」
だんだん添えられている手に力が入り、挟み潰されてしまうのではないかと、目の前の私だけが映る闇に怯えて答える。骨にヒビが入ってしまいそうな程に力が伝わり、生かしてくれと願っていると、彼女は長考せずに力を緩め、妖美に微笑んだ。
「そうだよね。君はまだ私と同じ学生なんだし、あんなに成長した子供がいるはずないもんね!」
ようやく光が戻った灯織が朗らかに笑い、私はそれを見て苦笑いをこぼす。そして彼女は私から全く離れようとはせずに続けた。
「君は私しか愛しちゃいけないんだから、娘なんているはずないんだよ」
恋愛の制限までされてしまっては、ようやく我慢の限界を迎える。彼女の手を跳ね除け、背後で縮こまっているエルピスの手を掴む。
「私が誰を愛そうが私の自由だ。灯織がどれほど私のことを好いているかは知らないけど、少なくとも私は君のことが嫌いだ。それじゃ」
そう言い放った途端、彼女は希望を失ったかのようにその場に力なく崩れ落ちる。エルピスの手を引いて歩くと、ようやく状況を理解したようで、遠くから泣き喚く灯織の声が聞こえてきた。
「どうしてなの!いつからなの!私は伊黎君のこと好きなのに、愛してるのに!私の手で君を幸せにしたいだけなのに……なんでなの?なんで君は逃げるの?君が突然姿を消すまでは相思相愛だったのに……!全部、演技だったの?ねぇ!答えてよ!!」
灯織は私たちを追いかけてこない。叫ぶように声を荒らげているからか、少しずつその声も掠れ、透き通った声からダミ声へと変わる。それでも彼女は呼び止めようと叫び続ける。
「どうして、どうしてなの……」
街中に響いていた彼女の声がそれを最後に聞こえなくなる。私とエルピスの間に気まずい空気が流れ、アパートの建設予定地でレイカを呼び出し、龍となった彼の背中に乗り、パラパラと降る雪模様の空へと駆け出した。
思い出は残り時間と共に消えていく。一本の木の枝が伸びる先は失楽の空、魔王が望むものは、友好か、争いか。少年が手にするものは、孤独か、幸福か。
正義の天秤は果たして均衡を空に刻めるか
世界は一人の人間が狂わせていく
Unleashed Antiquer に、続く