守りたいもの
彼の決意は揺らいでいる。私を殺そうか、見逃そうか、激しく震えた手が剣の柄を掴み、鼓舞するよう雄叫びを上げながら走り出した。
「な、なぜですか!グローリアとは一体誰なのですか!」
力任せに引き抜かれた大剣が私の胴体を切り伏せようと向けられる。軽々しく振り上げられた刃を黙って見ている訳にも行かず、腰に提げていたサーベルに手を伸ばし、左斜め上から振り下ろされる大きな刃を迎え撃とうと両手で柄を持ち、刃先をぶつけ合わせる。
「答えてください!なぜ貴方は、私を憎んでいるのですか!」
私の声が彼には届いていないようで、金属同士をぶつけ合わせる鈍い音が場内に響き渡る。素人である彼の刃を押し返そうと踏み込もうとした時、足元に異変を感じる。床に足をつけて立っているはずなのにまるで宙に浮いているかのよう。いつの間にか、両足の感覚がなくなってしまっていた。
「君が翼族だからだ!」
到底理解が及ばない。人間は他種族との交流を思想や文化面の理由から絶っていた。それが迫害まで段階が上がってしまっていたなんて思いもせず、ただただ驚愕させられるだけだった。
彼は涙を浮かべながらも剣を持つ力を緩めない。それどころか、闇雲に振り回しながらも確実に私の命を狙ってぶつけ合う刃の力が次々と増していく。その殺意は明確だった。
「なぜ私が人間じゃないからと殺されなければならないのですか!それとグローリアとは誰のことなのですか!」
薄氷に次々と両足を侵食されながら拘束されるも、何とか冷静さを保ちながら向けられる刃を捌き続ける。私にとってこの戦いは全くの無意味、それでも、彼にとっては、きっと私の存在が許せない、だから力を振るうのだろう。
彼は頑なに私の背後から仕掛けようとしない。足が地面に埋もれたかのように身動きが取れないのだから、そうすれば確実なはずなのにそれをしない。そんな彼は、どこか愚かで、滑稽で、惨めで、弱くて……守りたくて、愛おしく見えてしまっていた。
「翼族の女王だ」
縦に力強く振り下ろされた刃を、刃先を上に向けてサーベルを横にして眼前で防ぐ。鈍い音が響き、力の鬩ぎ合いの中で彼が声を殺しながら言った。
視界が揺らぎ、一瞬だけ力の均衡が乱れる。どんどんと氷の侵食が進む中で極寒の死を迎えてしまおうとしていた。
「ということは……皆がいないのも」
「私が殺したからだ!」
彼の涙が語る。「仕方の無いことだった」と、しかし、それだけしか汲み取れず、彼の口からでしかその真意が図り知れそうになかった。
「グローリアが生き続けるために、殺されずに済むために、幸せになるために……女王という重荷を下ろすために……だから!」
狂気とすら思える歯を食いしばりながらの吹っ切れた笑顔に全身が震え上がる。私が見たいのは、こんな笑顔じゃない。守りたいのは、こんな笑顔じゃない。
「女王様のために同族である私も殺すなんておかしいですよ!私が何をしたと言うのですか」
「君はなにもしていない……でも、グローリアが女王のルールに縛られないためにはこうするしかないんだ!」
私の知らない女王様のこと、女王様以外が知るあのルールのことを全て知っているという事実に目を開き、力の流れが乱れては足元の氷塊と薄氷が砕かれて壁に背を打ち付けられるよう飛ばされる。
背中を打ったと同時に後頭部も打ち付けてしまったのか、歪む視界の中で、彼が息を切らしながらゆっくりと歩いて来るのが見える。支えにして立ち上がろうとサーベルを探すも、彼の足元にあって腕を伸ばしても届かない。
「あんなことを言ってましたけど」
なんとしてでもこの命を長引かせるために、グラグラとした頭を働かせて言葉を紡ぐ。
「実は私も、翼族が嫌いなんですよ」
「同族なのにか?」
段々と定まる焦点が捉えたのは、驚愕に硬直する彼の姿だった。足元には私のサーベルが、蹴り飛ばされることなく鎮座していた。
「ええ、そうです。同族嫌悪というものでしょうか、それもあってか、人間の世界へ飛び出したんです」
「そうだったのか…いや」
彼は憐れみの目を向けたと思えば正気に戻ったのか、首を激しく横に振り、鋭い剣幕を向ける。
「だからってこの場で殺さない理由にはならない!」
誤魔化せなかったと苦笑いをする中、彼は足元のサーベルを、床に蹴り滑らせて私から遠ざける。
「ダメでしたか」
「君は確実にこの場で……!」
血走った赤い目を見て全身が震え上がる。ようやく焦点が定まり、氷漬けにされていた足の感覚も取り戻す。大剣を振り上げ、踏み込んで突進しながら振り下ろしたところで、素早く低姿勢で左方向へ転がって避ける。そしてすぐさま蹴り滑らされたサーベルへと走って向かい、拾いざまに彼の方へ振り向く。場内壁には彼の大剣が突き刺さり、何とか引き抜こうと力を振り絞っていた。その背中が大きい体躯ながらに小さく見え、私の命を狙った者のそれと思いながらも、やはり愛おしくて弱々しかった。弱い者が威勢を貼って強く振る舞う。これ程に滑稽で慈しめるものを他に知らなかった。
手にはサーベル、そしてすぐそこには無防備な背中、彼が私を殺そうとしたように、私が彼を殺すことだって容易い。それでも不思議と彼に対する憎悪は一切なく、気づけばサーベルを鞘に静かに収めて彼の方へ歩いていた。そして剣を強く握っている両手に、右手をそっと優しく乗せた。
「貴方を、許しますから……まだ殺さないでください」
彼は私の手を振りほどこうとはせず、添えられた手と私を交互に見つめる。
「女王様に一目だけでも冥土の土産に見たいのです。女王様にお会いして、私を拒絶するのであればどうか私を殺してください。国民無き今、忠誠を誓った女王様にまで見放されるのであれば、この命など不要です。先程も言いましたが、私は同族嫌悪を持っています。貴方のように女王のルールに納得が行かず、全くの身勝手な種族ですから。なので貴方が翼族を滅ぼしたとしても、私は許そうと思います。その代わり…女王様にだけは、会せていただけないでしょうか」
強ばった彼の力がゆっくりと解れ、剣が壁に突き刺さったまま、柄から手が離れる。
「わかって頂けましたか?」
「もしもグローリアが君を拒絶したら……本当に殺してもいいんだな」
剣から離れてもなお添えていた手に、彼の震えが直に伝わる。一向にこちらとまともに目を合わせない彼の頬に左手をそっと添えて微笑みかけた。
「そう暗い顔をしないでください。貴方には笑顔がお似合いですから……それにこれは私が決めたことです。見知らぬ女王への忠誠です」
少しの沈黙の後、彼はようやく私の目を見て蔑むように笑う。しかし、その奥には確かな安堵が感じられた。狂ったような笑顔じゃないだけで、心が踊っていた。
「分かった。なら、条件としてこの国を消す。いいね」
彼の言葉を疑ったが、その目は真っ直ぐで、嘘や冗談を言っているようには到底見えない。騎士服もサーベルも回収して、国民も居ない。この国はもう私の帰る場所でもなければ、未練がある訳でもない。あってもなくても変わらないこの国は、旅人の自由にさせてあげたかった。
「その前に」
私は壁に突き刺さった彼の剣を手にして軽々と引き抜く。持ち上げて驚いたのが、とても金属で作られているように思えないほどに軽くて頑丈で扱いやすいものだった。
「どうぞ」
惜しみながらもその剣を彼に返し、あの時の続きと言わんばかりに、無理な気遣いをさせないように、悔いを残さないように、彼の腕に絡みつく。嫌がる様子は一切見受けられず、彼は、本当は私を殺したくはなかったのだと推察した。
「私を拐ってください。旅人さん」
「わかった。帰ろう」