異色の存在
「おーい、もう大丈夫だよー」
エルピスが席を外し、それでも未だに死に脅えている彼女に安否確認をしようとするも、返事が帰ってこない。啜り泣く声だけが木霊する。
「はぁ…どうしたものかな…」
呆れて物言いもできず、大きなため息を零すばかり。エルピスが帰ってくるまでここを離れる訳にもいかず、座り心地の悪いこのベンチでひたすらに泣き止むのを待っていた。
気づけば布切れの縁を掴んでいたはずの手は、次々と溢れる涙を拭っていた。周囲に人目がないことを確認してフードを取り払う。紫色の、人間の肌とはかけ離れた色の彼女は影が無くなったことに驚愕し、おずおずとこちらの顔色を伺うようゆっくりと見上げた。
「い…いや…!ごめんなさい…ごめんなさい…!!」
身長差もあってか見下ろす形になってしまい、睨みつけられていると勘違いしてしまってからか、再び布切れを被り、震えてしまった。
「怒ってない!怒ってないから怖がらないで!」
ベンチから立ち上がり、彼女の前で無害である事を証明できないかと、あれやこれやと慌てふためく。背負っていた剣までもを全てベンチに立てかける。
「これでどうだ…!」
荷物…と言っても大剣の現身鏡と財布と携帯端末が入った小さなバッグだけだが、それらをすべてベンチへと投げ捨てて彼女の前で腰に手を当てて仁王立ちをする。彼女は自分の横に置かれた荷物へと視線を向け、再びこちらに目を向けた。
「な…何もしませんか…?」
怯えながら何度も視線を行き来させる彼女にも見えるほどに大きく首を縦に振る。すると、まだ半信半疑なのか、信じきれてないであろうにもかかわらず、自分から布切れの縁を掴み、その顔を顕にさせた。紫色の肌をしていることを除けば、可愛げのある童顔の少女だった。
「…どうして…私なんか助けたんですか…」
目を潤ませながらベンチの上で膝を抱え込み、おずおずと卑下しながらようやく話し出す。何とか無害であると信じてくれそうで、一安心しながら荷物を置いた彼女の隣に座った。
「どうして…何が目的なんですか…」
「目的も何も…成り行きで助けたから…」
「成り行きで…?そんなので私を…”魔族”を助けるなんて…おかしな人間です…」
彼女はそう言って私へ対する懐疑の念を強め、苦笑いすらせずに唸るよう息を吐いていた。
「魔族…?」
ゴブリンやオークなどのあの魔族が存在しているとは…いや、よく考えなくとも、龍や妖精がいるのだから魔族が実在していても何らおかしくはなかった。
「魔族…貴方たち人間が恐れ憎んでいる魔族です…」
彼女はそう言って目を伏せると、またもこぼれる涙を拭いだした。
「貴方も…その剣で私を殺すんでしょう…?魔族だからって理由で…人間の敵だからって理由で…!」
「いや…ちが…」
「どうして!どうして…供養もされずに無駄に殺されなければならないの…!どうして…人間は悦楽と満足のためだけに私たちを使い捨てるの…!」
「私は君を殺さない…!」
「ならなんで!助けたんですか…!見返りを求めるためですか…希望を抱かせるためですか…それとも…私がサキュバスだってことを知って…人形のように扱うつもりだったからですか…!」
「どれも違う!見過ごせなかったからだ!」
思わず荒らげてしまった声に彼女は怯む。
「君がサキュバスだってことは愚か、魔族ってことすら知らなかった!そもそも魔族が実在していることすら知らなかった!君を助けたのだって…本当に見過ごせなかっただけなんだ…!」
彼女が抱いているものとはまた別の苦しみを抱きながら心の内を包み隠さずに吐き出す。この言葉が届いているかなどは分からない、信じてくれるかどうかも分からない。彼女は伏せていた顔をおもむろに上げ、私の方を見ては直視しないまま逸らした。
「…やっぱり…変な人間…何も知らない…変な人間」
「…変な人間でもいい…私は君に何も危害を加えるつもりはないから。さぁ早く帰るべきところに帰るんだ」
追い払うように手を払うと、彼女は何も言わずに立ち上がり、小さな黒い翼を広げ、細長い黒い尾を見せるよう私に背を向ける。
「……貴方のような人が多ければ、魔族ももっといい暮らしができたのかもしれない…」
最後にそう言い残し、夜空の向こうへと消えていく。人間はなぜ魔族を殺すのか…それだけが疑問として残ってしまった。