レミニセンス
見覚えのある場所に、今でも鮮明にあの時の出来事を思い出せるような場所に、あの森の中に立っていた。
「少年、ここからどっちに行けばいいんだい?」
あの大聖堂の前に立ち、私の全てが狂った…もしくは正常に整った出来事を思い返す。翼族を滅ぼし、大罪を背負ったまま、女王であるグローリアと共に生活をする起点となったこの場所には、あの一瞬の出来事であっても深い思い入れがあった。
「確か…こっちです」
ナズナが印をつけてくれた地図や経路案内は一切頼りにせず、自らの記憶だけで森の中を歩く。大剣の現身鏡を背負っていてもなお背中が寂しく感じてしまう。彼女特有の重厚感と体温がなければこの寂しさは解消されないのだろう。
「…懐かしいな」
「ここに来たことあるの?」
雑多に伸びた雑草を蹴り歩きながら、レイカが素朴とも重大とも取れる疑問を投げかける。私はあの時のことを思い出しながら答えた。
「…あるよ、丁度ここが…グローリアと出会った場所かな」
一箇所だけ雑草が窪んでいる場所で立ち止まり、土汚れなど気にせずにそこに座り込む。思えばあれが初めての野宿だったのかもしれない。この場に彼女が居ればきっと、互いの記憶を重ね合わせて再現ができたのかもしれない。しかし、あんな悲痛なものまで再現はしたくない。
左隣に手を添えるも、当然彼女の熱はもう感じられない。血塗れだった彼女が煌びやかな女王に成り上がったと思うと、経緯や工程はともあれ、そこまですべて見届けられた私にとってはとてもでは足りないほどに感慨深かった。
あの時も空は今のように暗かった。そしてそんな暗い空を見て思い出す。
「今何時!?」
レイカが私の上着のポケットから端末を引き抜き、画面を光らせてこちらに向ける。デジタル時計を表示させるロック画面には十七時三十分と書かれていた。約束の時間まであと三十分、まだ依頼者は来ていないかもしれない。それでも仕事である以上時間前行動は取らねばならなかった。
「急がなきゃ…!」
「あっ待って…!」
「こういう時は、とぅ!」
端末をポケットの中に戻して森の中を駆け抜ける。出遅れたレイカは神様に抱え上げられ、神様と共に私の体の中へと飛び込んだ。
(ご主人様酷い…待ってって言ったのに…)
息を切らしながら、少なくとも蔑むようにレイカが言う。
「ごめん!ゆっくりしてられなかったから!」
低草を踏み荒らしながら誰も聞かない森の中で誰かが目の前にいるかのように大声で答えると、木々で休んできた小鳥が目を覚ましてどこかへ飛び去っていってしまった。
(…いいよ、これでおあいこだね)
(あーあー、二人とも悪い子だー)
神様に嘲笑されるも嫌な気は全くしない。むしろこのように嘲る様な声がなければ、私の調子は狂ってしまいそうだった。
大きく息を切らしながら森を抜けると、そこは利用者のいない、決して廃れてはいない公園だった。あの森の近くに公園はここにしかなく、依頼書によると、この公園が出発点のはずだった。時計へ目を向けると、六時十分前…依頼人らしき人物は見当たらず、この公園には私一人だけだった。
決して広大では無い公園のベンチで一人座り、夜空を見上げながら誰かの足音が聞こえてくるのを待つ。そして程なくして、息を切らしながらゴムチップアスファルトの上を走る音がこちらに近づき、私のすぐ前で止まった。
「はぁ…はぁ…あの…私のお願い…聞いて来てくれた人ですか…?」
透き通るような柔らかな声に反応し、下ろしていた大剣を手に持って立ち上がる。私の前には、おおよそ身長百六十センチ程の、短い黒髪に赤い眼をした、白いベレー帽に白いトレンチコートに身を包んだ、月明かりの柔らかい光のおかげか、艶美に見える女性がいた。
「お願いって…これのことかな」
ポケットから例の依頼書を取り出し、三つ折りの紙を広げて彼女へと見せる。ナズナが自作したからか、見覚えがないようで、内容に目を通してから返された。
「はい、合ってます。あの女の人がギルドなるものを立ち上げたいと盗み聞きしてしまったので、お願いしてみたのですが…まさか依頼書を自作してしまうなんて…思いもよりませんでした」
彼女はいい意味で期待を裏切られてクスクスと笑う。そうして思い出したかのように体を跳ねさせ、咳払いを一つ。
「すみません、一人ではしゃいでしまって…護衛依頼をしたのですから、早速出発しないとですね!それでは行きましょう!」
目的地も言わぬまま彼女は歩き出す。先導されるように公園を抜けたところでその歩が遅くなった。
「実は…護衛依頼をするのは初めてなもので…貴方とどのように接すればいいのか…」
彼女は人差し指同士を突合せ、ゆっくりと歩く。私は追い越さないように配慮しながら歩幅を合わせ、仕事上の関係について考えた。
「あー…私もこれが初めてで…どのように接すればいいんだろう…まぁ、君がして欲しいようにしてあげよう…かな」
「私がして欲しいように…難題ですね…すみません」
護衛対象は護衛されることしか考えておらず、その間のコミュニケーションを何も考えていなかったとなると、距離感を誤ってしまうとその後の意思疎通が困難になってしまうために、彼女が求めない限りあまり踏み込まない方がお互いのために思えた。
「そういえば…経路についてまだ話してませんでしたね…」
そう言って街灯の下で立ち止まり、通行人がいない歩道で地図を広げた。
「今さっき出た公園がここにあって、今向かっているのは繁華街なんです。護衛を依頼した理由の一つがここにあるんです」
「…治安が悪いのか…」
「まぁ、そんなところです」
初依頼早々に命の危機に脅かされると思うと、まだその覚悟ができていない自分としては今すぐにでも逃げ出したかった。
「あっ、安心してください。銃弾が飛び交うとか、通り魔が頻繁に出没するとかではありませんので」
心の内が読まれたかのように補足される。一先ずはお互いの命の危険がないと知り、逃げ出す必要がなくなり、一安心していた。
「なら…なんで君は護衛依頼なんか…」
「…数年前に一度、目的地にこのルートで行ったことがあるんです…その時に『あっ、誰かいてくれないと身が持たない』と判断したのです。なので今回は護衛をしてもらって、同じルートで向かおうかと」
「別の道を使えばいいんじゃ…」
「このルート以外に早い道がないので!」
「なら仕方ないな…」
この道以外がすべて遠回りになってしまうとしても、こんな未経験な護衛をつけるよりもそっちを使う方がよっぽど安全なのだろうと思いつつも、一度でも歩いた道が楽なのだろうと言い聞かせつつ、自信満々に歩き出した彼女に着いていくだけだった。
果たしてこれは護衛と呼べるのだろうか、案内されているだけな気がしてならない。
「…その…貴方はこの護衛依頼…重役からの依頼だと思ってたりしませんでしたか?」
街へ向かう途中、しばらくの沈黙に耐えかねた彼女が突然と尋ねる。縮こまる背中を追いかけながら、特に何も考えずに答えてしまっていた。
「いや特に…半ば脅されながら受けたみたいなものだったからなぁ」
「脅されて受けたのですか!?な、なら今すぐ貴方に報酬だけでもお支払いして完了って形にして…!やっぱり私一人でも大丈夫かもしれないので!」
空元気になりながら一人で去ろうとする彼女の肩を掴み、大きくため息をついた。
「痛い痛い!離してくださいー!」
「断る。一人だと身が持たないから護衛を頼んだんでしょ…それなのになんで一人で行こうとするんだ…」
呆れながら愚痴のように零すと、彼女は肩を落とし、猫背になりながらこちらに振り向く。彼女の目には痛みに涙が浮かんでいた。
「だって…脅されていたのでしたら…私が解放させてあげなければと思いまして…」
「冗談だから!脅しっていうのも冗談だったから!」
冗談で済ませてしまうなんて最低だなんて思いながらも、彼女が私に向ける目は軽蔑ではなく、嬉しげなものだった。
「本当ですか!?」
「あ…あぁ…」
彼女のキラキラした目に気圧されてしまい、眩しさのあまりに目を逸らしてしまう。なぜ今は夜なのか、彼女の明るさに目がやられてしまいそうだった。
「それでは…護衛は…」
「もちろん、最後まで護る」
淀みない真っ直ぐな視線を向けると、彼女は私の意を受け取り、キリッとした表情に早変わりしては力強く頷く。そしてまた何事も無かったかのように歩き出した。
「そういえば…」
再び歩き出してからまもなくのこと、短い静寂を彼女が打ち破る。
「お互いの名前…知らないと何かと不便ですよね…それに、ずっと『貴方』って呼ぶのは…なんだかもどかしくて」
私個人としてはあまりそうは感じないものの、治安の悪い街で何が起こるのかは分からない。万が一に備えてお互いの名前だけでも知っておいた方が損は無いのだろう。
「私はラクイラだ。まぁ…この名前は元は私のじゃないけど」
「なるほど…?」
彼女に深くこの疑問が根付いてしまったことだろう。それでもあまり詮索されることなく、こちらに振り向き、手を差し出してきた。
「私はカルミア・エルピスと言います。カルミアでもエルピスでも、お好きな方で呼んでください」