傭兵事業
神様の腰には極々平凡な刃渡り七十センチ程の刀が提げられている。過去に話していた、神様が私に明け渡した「在世剣・現身鏡」とは似て非なるものである「神刀・現世鏡」。以前神様が住んでいた神社に取りに行く際に弊害と遭遇してしまい、回収せずにこの屋敷へと戻ってきた。その時の目的のものが、今神様の手元に戻っていた。
「少年達が行ってる時にナズナちゃんと一緒に取りに行ったんだよ」
「その時…灯織たちは」
「もちろん、すれ違った。でも彼女らはナズナちゃんの顔を知らないからかね、君を奪おうと襲いかかりはしなかったよ」
ナズナの会社、金融企業を主としている黒百合財閥は有名ではあるものの、それはもう裏の世界での話。この街に差出人不明の金銭の入った封筒を一方的に予告無く送り付けている彼女の会社が表向きのものになることはなかった。それもあってか、ナズナに関して調べても何も出てこなかったのだろう。彼女らならやりかねない。
「…もう、使ってしまうんですか」
世界図書館で読んだ現世鏡の異能、元々の形へ戻す刀。この刀を私に向かって振り下ろした時、神様の心臓で生きている私は神様の元へと返還される…即ち私の死を意味する。
今までの人生に悔いがなかったかと言われれば、ノーと即答できてしまうほどに未練タラタラである。レイカやリオンとは出会ったばかりで何も知らないことに加え、アリスが言っていたこれから出会う人達のことも気になっている。そんな中で回収したこの刀を使われてしまったら、きっと誰も喜べないのだろう。
「大丈夫、盗まれる前に回収しただけだから、まだこの刀を抜くつもりは一切ないよ」
その刀に凝視すると、鍔と鞘を堅く簡単に解けないように厳重に紐で縛られ、ハサミでも使わない限り解くのに時間がかかってしまうことが容易に想像できる。
「なら…いいんですけど…」
やはりいつか私はこの刀で殺されてしまうことだろう。可能であるならば、アリスのように過去へと遡りたかった。
「ほら、ここにいると風邪ひいちゃうし、ナズナちゃんも中でお菓子用意して待ってるから、お茶が冷めちゃう前に早くおいで」
アリスとグローリアは私が神様と話している間に既に中へと入っていったようでそこに姿はなく、神様はレイカとリオンの手を引っ張り、二人を屋敷の中へと引きずり込んで行った。私はそれについて行くように中へと入り、玄関のドアを閉めた。
「お帰りなさいませ、お茶と茶菓子は既に用意がありますので、どうぞ座ってください」
リビングへと入るなり、ナズナが空席へと勧める。丸テーブルの上には紅茶とケーキが、そして席は七つ…ここまで来てしまうとまるで大家族のようだった。
私は最後に空いたナズナとグローリアの間にある席に座る。まだ湯気の立っている紅茶が入ったカップに手を伸ばし、馬鹿舌でもわかるほどに上品な味のするそれを一口嗜んでソーサーの上へと置いた。
「御二方にお会いできたことをとても嬉しく思います。レイカ様、リオン様」
「様って…僕…そんな風に呼ばれるような人じゃ」
「はむっあむっ…もぐもぐ…このケーキとっても甘くて美味ひい…んぐっ…ナズナ、オカワリある?」
居心地の悪そうにして謙遜しているレイカとは対照的に、遠慮なしに溶け込めているリオンに、ナズナはとても嬉しそうに微笑んでいた。その笑顔の奥に少しは不満を抱いていてもおかしくないものの、きっと本当に心の底からこの二人に出会えたことが嬉しいのだろう。
「はい、まだ沢山ありますので、どうぞ遠慮なさらずに」
彼女はリオンの食欲を満たすように、さらに勧めていた。
「まるで個性豊かな子を持ち、幸せな家庭を築いたような気分です…配偶者はいらっしゃいませんが…」
「これが毎日ならきっと飽きは来ないかもしれないわね」
「となるとボクはおばあちゃん的な立ち位置になるのかな?かなぁ?」
「パパとママがいて…神様がおばあちゃんで…ナズナお姉さんはパパのお姉ちゃんで」
突然のアリスが思い描く家族構成に思わず私とナズナが口に含んでいた紅茶をカップの中に吹き出す。むせてしまった私と彼女に使用人達からペーパータオルが手渡され、零してしまった紅茶を自らで拭き取った。
「レイカ君とリオンちゃんは…私の姉弟!」
「えっ、僕弟!?」
「ふふっ、いいね、アリスは私の妹か」
リオンは隣に座っているアリスに手招きし、自らの膝の上に座らせて滑り落ちないよう抱き寄せる。体格差も相まって、とても仲の良い姉妹のように見えてしまっていた。レイカはその光景と私たちを戸惑いながら交互に視線を向ける。
「えっ…僕…どっちかって言うと…執事がいいな…ご主人様いるし…あとなんか、リオンさんの下はやだ」
「えー、執事だと家族かどうかわかんないから姉弟がいいよ…じゃぁこうしよう。レイカ君とリオンちゃんは双子ってことで!」
「ってことは必然的にアリスさんは僕の妹になるけど」
「それでもいいよ!みんな家族なんだもん!」
突如として決まってしまった家族構成に頭を抱えるも、大人組であるグローリア達はこの光景を微笑ましく見ていた。
「いいじゃない、下手に線引きするよりも親しみ易いってものよ!」
「いやぁ少年とグローリアちゃんの二人だけだったのがここまで大きくなるなんてねー…ボクは嬉しいよ…!」
「金銭面の心配であればお気になさらず。私が全て支えますので…っと…金銭面で思い出しました」
ナズナの向かい側で子供組の三人が和気あいあいと騒いでいる中、彼女が一通の封筒を取り出して私の前に置いた。
「まだ決定した訳では無いのですが…念の為に相談しておこうかと思いまして」
封筒を手に取り、中身を取り出そうと逆さまにすると、彼女が慌てて封筒を掴む。中の三つ折りにした紙が見えた直後の事だった。
「実は、新事業を考えておりまして、世界中で困っている人々の依頼をこなし、報酬を得るという物なのですが」
「う…うん…」
この時点で全てを察してしまった。私にこの封筒を差し出した意味も、この封筒の中身も…
「ですがまだ事業として展開するには人手もなく、実際にどんな内容が迷い込むのかが未知の領域となっています。世の中にはギルドというものが点在しているようなのですが、この街や周辺の街にそのようなものはありません。そこで思いついたのです」
「やめろ、言わないでくれナズナお姉ちゃん」
「その未知の領域に足を踏み入れるべく、この街の新ビジネスとして展開するために、手始めにラクイラ様にこの依頼を受けて頂こうかと!」
要するに傭兵の派遣事業。もっと噛み砕いて言えば何でも屋…そしてナズナは自社の武器を金融に加え、依頼の仲介役であるギルドなるものを作ろうとしていた。そしてその試運転に私を使おうとしている。全くの予想通りであった。
予想を裏切って欲しかったと思いつつ、頭を抱える。グローリアは頭にハテナを浮かべ、ナズナを見つめていた。
「あんたの会社、もう日の目を浴びれないとか言ってなかった?」
「はい、国内唯一の闇金融企業ですが、最近業績が伸び悩んでおりまして…」
「そこは誇らしげに言うことじゃないでしょ…」
「おかしいですよね!?金融企業が、財閥企業が倒産ルートに入ってしまうなんて!」
「裏社会の企業だからじゃないかな…」
「それはそうなのですが…正直なところ、まだこの先十数年は生き延びることは出来るのです。しっかり返済してくれる企業もいくつかありますし…ですが寿命があることに変わりありません。なので、金融だけで繋いだ立派なこの財閥を生かすためなら、伝統など打ち払い、次の代やその次の代まで、この街の幸せを影から支えられるような企業に、作り替えたいのです…!そのために…新しく事業を展開し、表の世界でも暗躍したいのです…!」
彼女がここまで自分の会社を愛しているとは思わず、次の代まで繋げたいというこの熱意に感服してしまった。この依頼がそのための第一歩であるなるば、彼女の野望を叶えるべく、協力しない訳には行かなかった。それでも私が向かうことに納得が行かなかった。
「どうしても私じゃないとダメ?」
「はい」
「どうしても?絶対に?」
「はい」
何度問いかけても彼女は首を縦に振って即答する。そこまでしてやりたいことであったとは思わず、この責から手を引いてしまいたかった。
「ちなみに…引き受けて下さらなかった場合なのですが…」
彼女はポシェットの中から小さな電卓を取り出し、数字をカタカタと手早く打ち込む。
「ひと月につき十万を二度お配りし…生活費を肩代わりしてそれを今日まで…およそ十年間、そしてここでの生活費と家賃…そして利子を掛け合わせてそこにお姉ちゃん料を合わせて…特別に端数を切り捨てて一億ほど、この場で払って頂きます」
「ちょっと待ってよ!そんなお金、少年が持ってるはずないじゃないか!」
「神様!問題はそこじゃない!」
「そうよ!他に突っ込むところあるでしょ!」
「ここでの生活ってナズナがくれてたものじゃ…」
「お姉ちゃん料って何よ!!」
私に被せるようにグローリアが言う。確かにそこも突っ込むところでもあるが…いや、むしろこのお姉ちゃん料が一番金がかかっているような気がしてきた。
「お姉ちゃん料とは…私の黒歴史を掘り起こしてしまった私怨です。私のことをお姉ちゃんと呼ぶごとにプラス一千万されます。ちなみにアリス様やリオン様が仰った分もカウントしております」
「うぐっ……さすが闇金の社長…容赦ない…」
「こちらもラクイラ様を高く買っていますので…払って頂かなければ…死ぬまで私のモノになって頂きます」
「は、はぁ!?そ、それなら私の血液でも売って金にしなさい!異種族の血よ!きっと高く売れるわよ!」
「それはどうでしょうか?生まれが純人間であり、そこから異種族の血を流し込んでしまったら…恐らく混血種になる前に拒絶反応で亡くなってしまうことでしょう。なのでたとえグローリア様の血液を売ったとしても…万の値が付けば幸運程度の価格になるでしょう」
ナズナが本気になってしまえばここまで追い詰められるのかと、「敵ながらアッパレ」と言う武将の気持ちがわかったような気がする。
「…わかった…やるよ」
「ふふっ、そう言っていただけると思ってましたよ♪」
「ただし一つだけお願いがある」
「…そのお願いが受け入れられずとも…やっていただきますよ?」
「…お姉ちゃん料だけは勘弁して」
彼女は真剣な面持ちからクスリと笑いだし、抑えていた感情が爆発するかのように大きく笑い声を上げた。
「あぁ…はぁ…!申し訳ありません…はしたない笑い声をあげてしまって…お姉ちゃん料など冗談ですよ。一億も払って頂かなくて結構です。どれも受けてもらうための脅しなのですから!」
そうしてまた一人でお腹を抱えて笑い出す。そこには既に張り詰めた重い空気などなく、冗談だとわかってしまえば笑い話で済ませてしまう程度のことで、神様とグローリア含め、笑いあっていた。
「はぁ…はぁ…ここまで笑ったのは何年ぶりでしょう…お腹痛くて…思い出しただけで笑みが…!ふひひ…えへへへ」
「冗談だとわかっても、やると言った以上、手伝わせてもらうよ」
「あっ…ちなみに…事業展開は本気です…」
「おぅ…なら尚更やらないと」
「それで…?その一番最初の依頼って何?」
そうしてようやくナズナの手が封筒から離され、中の紙が取り出される。三つ折りの紙を広げると、一番最初に目にいた文字があった。
「護衛依頼…?」