グローリア
自らの力で国を終わらせ、途方に暮れていた所を森の中で出会った少年に拾われ、気づけば共に生活を送ることとなった翼族の女王グローリア。彼女は自分のこと、世の中のことを何も知らず、知らされずに生きていた。しかし、今となっては自分のことよりも、世の中のことよりも別のことを知りたいと思っていた。それは自分を拾ってくれた少年、ラクイラについてだった。
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グローリアと共に生活を初めて早一週間、彼女は翼族の女王でありながらも人間の世界で生きていた…にも関わらず、この世界について何も知らなかった。文字の読み書きや計算ができることが救いだった。
彼女は初めて孤独から解放され、女王という重すぎる地位からも解放され、完全に自由の身となった。そんな自由な彼女が選んだ道は、まだ出会って間もなかった私との生活だった。一つの布団でお互いの体温を感じるように抱き合って眠りにつき、起きる時もお互いの顔を一番最初に見れるように頭に手を伸ばしてから目を開く。なんとも我儘な提案をした女王様のこの一週間は、とても幸せに満ちていた。豪華な料理を食べることでもなく、誰かに称えられることでもなく、こんな何気ないことで人を感じるということが彼女の幸せだった。
今日も頬から伝わる冷たくて細い指の熱で目を覚ます。体を揺さぶられて起こされるでもなく、アラーム音で起こされるでもなく。しかし、そのどちらよりも強力で嫌気のない起こし方、それがこれだった。
「おはよう…ラクイラ…」
彼女は胸の内に刻むように毎日私の名前を呼ぶ。私も彼女の頭に手を乗せて目を開いた。目の前にある表情は、全てから解放され、悩みも何一つない微笑みだった。
「おはよう、グローリア」
彼女の冷たい手が、頬に乗せられた私の手に移り、熱を感じていた。
「…あったかい…あんたの手…こんなにも大きくて…満たしてくれる…私って幸せ者ね」
きっと今の彼女は、大金を持って豪遊するよりも、召使いをこき使って優越感に浸るよりも満たされているだろう。おそらく世界で一番の幸せ者だ。
「…そろそろ動かないか?」
気づけば長針は一周していた。それでもグローリアは飽きることなく私の熱を感じていた。
「嫌よ…もっとこうさせて欲しいの…」
そんな時、この甘い空気を壊すように腹の虫が鳴った。どちらの腹が怒っているのかは明確だった。
「わ…私じゃないんだからね!」
顔を赤く染めながら焦点の定まらない目でそう言う。彼女は毎度のように、頑なに空腹だと認めなかった。
「……お腹すいたな…」
こんなことでは汚れない名誉を守るように私が言う。
「そう!なら仕方ないわね!あんたがお腹すいたって言うなら、起きてあげなくもないんだから!」
優しいでしょと言わんばかりのドヤ顔でそういい、布団から飛び起きて一目散に冷蔵庫の方へと向かった。時刻は午前十時、ようやく活動開始となった。
「…ねぇ、ラクイラー?」
冷蔵庫を隅々まで漁っているグローリアに呼ばれ、中を覗き込んだ。
「食べ物どこー?」
冷凍庫も野菜室も殆ど空だった。これまでは底を尽きさせないように定期的に買い物をしていたが、グローリアを迎え入れたことによって、食材の消費のスピードが上がってしまっていた。五キロの米の袋も、残り一合炊けるかどうかの量だった。
「…買い物行くか」
同じタンスの中に入れられた外出用の服を取り出し、お互い背を向けて着替える。すぐそこで誰かが着替えているというのは、なんとも妄想意欲を掻き立てた。
着替えが終わり、二人で外に出て横並びに歩く。グローリアは翼を広げて空を飛ぶことが出来るが、目立ってしまうために日常生活で広げることはなかった。
近所のスーパーに入り、買い物かごを持って野菜類を先に見る。
「そういえば、こういう店に入ったことあるのか?」
玉ねぎが複数個入った袋を手に取り、一番大きいものを探すように見比べる。彼女はどこか退屈そうにしていた。
「言われてみれば…ない気がするわね。ご飯も作ってくれてたし、買い物なんて初めてよ」
「ならいつかお使い頼んで見ようかな」
「はぁ…!?嫌よ…!もし私が攫われたらどうするのよ!」
顔面蒼白で焦る彼女の頭に手を乗せ、宥めるように微笑みかけながら撫でた。
「その時はどこにいてでも必ず見つけ出すから」
我ながら臭いセリフを吐いてしまったと恥ずかしくなってしまう。それでも彼女は嬉しかったからか、赤くした顔を両手で隠した。
「よくもまぁそんなことが言えるわね…!確証もないくせに…でもまぁ…あんたがそこまで言うのなら…危ない橋を歩いて渡ってやってもいいのよ…?」
照れ隠しに真横にあったじゃがいもを手に取り、カゴの中に入れて私の腕を持って走り出した。
「次は何買うの?」
野菜売り場を彷徨っているところにグローリアが痺れを切らして訊く。そこで目的のものを見つけて足早に歩き出し、それを手に取った。
「トマトだ。サラダに使おうかなって」
「ふぅん……」
彼女はどこか苦い顔をしていたが、あまり気にせず次に向かうことにした。
「あっそういえば…食べられないものってあるか?」
肉類を眺め、豚肉と鶏肉をカゴに入れながらそう訊いたが、彼女からの返答はなかった。辺りを見渡し、姿がないことを知り、血の気が引いた。まさか本当に攫われたのかもしれないという考えが頭に浮かんだ。
来た道を引き返し、グローリアを探す。彼女と離れてしまったのはどこなのか、そんなことを思いながら買い物かごの中を覗くと、入れたはずのトマトが無くなっていた。グローリアを探すため、トマトを取り戻すために急いで戻り、トマトとの袋を戻そうとしていた彼女を見つけ出した。
「あ…ラ…ラクイラ…?こ、これは違うのよ…?あんたの取ったトマトが虫に食われてたから代わりに取り替えてこようかなーって思ってただけで、決して、決してよ?私がトマトが嫌いって訳じゃないんだから!だから…だから怒らないで…?」
焦りながら早口で言う彼女の姿がとても面白く見えて怒る気力さえ失せてしまった。怒りよりも、彼女が見つかったことに安堵していた。
「じゃぁ…その代わりのトマトを探してくれないかな?」
「えっ」
冷や汗をかきながら彼女は一番小さなトマトを手に取った。
「はい…こ…これ…」
「ありがとうグローリア」
満面の笑みで彼女の頭を優しく撫でる。先程も口を滑らせていたが、どうやらトマトが嫌いらしい。そして何故かどさくさに紛れて、買う予定のないナスが入れられていた。犯人はもちろんグローリアだった。
「…グローリア、このナス返して来てくれる?」
「えっなんで?」
なんでと言われても嫌いだからなんて言えない。それでも何とか返してきてもらおうと適当な理由を考えた。
「はっはーん?さてはあんた。ナスが嫌いなのね!まだまだ子供ね!」
それっぽい理由が思いつかずに時間が経つと、頭の中を見られたかのように突きつけられた。トマトが嫌いで黙って戻そうとした人に言われたくない。かなり大きなナスを入れてたということは、きっと好きなのだろう。
「そっちだってトマト嫌いなくせに、まだまだ子供だな!」
「べ、別に嫌いじゃないんだから!」
女王とこんなことを言い合えるのだから人生何が起こるか分からない。お互いが遠慮なしに言えるだから、不満も何も無い。
この先一週間分の食べ物などを買い終え、店を出た。私の両手には、買ったものが詰め込まれた大きなレジ袋が二つあった。
「ねぇ、ラクイラ」
昼下がりに帰路につき、手ぶらなグローリアが聞いてきた。
「あんた…私を迎えてから一度も私から離れなかったんだけど…お金はどこから貰ったの?」
「さぁ…それが気づいたら郵便受けの中にお札が入った封筒が入ってるんだよ…電気代とか水道代とかも全部払ってくれてるみたいで…」
月に二度送られてくる封筒には送り主もなく、一方的に送り付けられている。最初は気味が悪いと極力使わなかったが、さすがに限度があり、使わざるを得なかった。いつか返済しなければならない時が来ると思っていたところだった。
「まぁ…いつかその送り付けてくる人に会ったらお礼言いましょ」
「そうだな…あっ…」
車二台が通るのがやっとな車線のない路地を歩いている途中、道路脇にボロボロな神社が建っているのが見えた。レジ袋の中に入れた小銭入れから小銭を二枚取りだし、一枚をグローリアに渡した。
「これは…神社かしら?あんた神なんか信じてるの?」
賽銭箱の前に立ち、本殿を前にする。
「あぁ、信じてるよ。だって…本当にいるから」
袋をその場に下ろし、小銭を賽銭箱に投げ入れ、願い事をした。
(また…あのバ神様に会えますように)
神様は実在する。その神様は狐耳に狐のしっぽをつけた神だけれど、決して頭のいい神ではないけれど、人を愛する神が、バ神様が、存在している。