馬鹿の一つ覚え
「元々殺すつもりだったって…どういうことよ…!」
アリスが吐き気を催して飛び出した後、重苦しい空気に刃物を刺すように妖精の女王に問いただす。なんの悪びれもなく笑顔を絶やさぬ彼女には狂気すら感じていた。
「妖精は…ここ十年間、生まれてきませんでした」
女王は語り始める。しかし、表情を全く変えない彼女は、森の中で輝く美しい花ではなく、水のない荒野で狂咲する虫に喰われた一輪の花のようだった。
「龍と妖精との争いが終結した十年前、突如として妖精を生む花が機能しなくなり、妖精達の中で騒ぎとなって私の耳に届くようになりました」
龍と妖精との争い…そちらも気になってしまったものの、すぐそこで起きたニロの殺害の動悸がどうしても知りたかった。仮に知り得たとしても、許せる気がしなかった。
「満月の毎夜には必ず妖精が生まれていました。それが人間が思い描いた妖精の姿ですから」
「人間が思い描いた?」
「はい、我々幻想種は、人間の空想の産物です。童話の中で描かれた、無条件で友好的な妖精、罪なき悪しき龍、幻想種はそのどれもが、人間の都合のいいように作られた生き物なのですよ」
「人間の…都合のいいように……」
女王の発した言葉にアリスが求めていたものが脳裏に浮かぶ。翡翠の龍レイカ、奇跡の妖精リオン…そのどちらもが幻想種であり、その幻想種は人間が思い描いた空想。もしも、レイカもリオンも、龍も妖精も元々存在しない生き物だったとしたら…?アリスが思い描いた空想だとしたら…?
アリスはどこから創作したのだろうか。
「妖精が十年間生まれてこなかった…そしてあんた達は人間の都合のいい存在…ってことは、この十年間、あんた達妖精は、人間たちにこれ以上不要とされていた…?」
「…そして昨晩、十年ぶりに妖精が生まれました。これはすなわち…」
「妖精を必要としている人間が現れた…!」
その人物には心当たりしかなかった。未来から来たという私とあいつの娘のアリス…彼女が未来から幻想を作り出したとしたら、彼女が来る十八年後から現在の十年前以上前まで…二十八年前以上前から創作を行っていたとしたら、私たちの娘はきっと危険な存在なのだろう。そして、十年間生ませなかった、アリスが奇跡の妖精を求めたことで生まれた。だとするならば、奇跡の妖精はアリスが思い描いたように「奇跡の妖精」と呼ばせることだって難易ではないはずだった。
「だったら!尚更なんでニロを殺したのよ!」
もしもあの妖精の名前がリオンだとしたならば、アリスが彼女の手を取っていたならば、結果が変わっていたかもしれない。そう誤魔化しても、背筋が凍ることには変わりなかった。
「幻想種が独立するためにです」
女王の言いたいことはすぐに理解ができた。それはあまりに単純でありながら、少しおかしな話だった。
「幻想種が人間の空想から独立し、幻想種が幻想種を生み、新たな文明を確立させた時、我々は真に独立したと言えるでしょう」
「人間の空想から独立…?妖精の空想で妖精を生もうって言うの…!?」
「不可能だと思うでしょう…?できたから高らかに言えるのですよ…ふふっ…貴女方をここまで案内してくれた妖精、覚えていらっしゃいますか?」
「ノートリア…?」
初めてこの森に入り、案内してくれた妖精は二人いた。しかしそのうちのノートリアしか名を知らず、彼女の名を挙げるだけに留まってしまった。
「ええ、そうです。彼女は私が作り出した…妖精の空想なのですよ…そして、私は妖精の空想から生まれた妖精のみでこの森を再編します。これが、私の思い描く人間からの独立です」
「なら…今までの人間の空想から生まれてきた妖精たちはどうなるって言うのよ…!」
「…十年という十分な時は流れました。きっと人間も大人になり、空想を抱けずに忘れた頃でしょう」
「じゃぁもうどうでもいいってこと!?」
「どうでもいいなどとは思っていません。幻想などいつか振り払われ、なくなってしまいます。我々幻想種がいつか生まれなくなり、生まれていた者達もいずれ消えてしまう。だから我々は、今の幻想を犠牲に、新たな幻想種を作り出さなければならないのです」
いずれにせよ、ニロを殺害してしまったことで女王に対する見る目が変わってしまった。いくら綺麗な言葉を連ねようと、彼女は理想を追い求める、欲に溺れた犯罪者にしか見えなかった。しかしそれは、私も同じだった。
「…本で読んだわ…それ、選民思想って言うんでしょ?自分の求めるもの以外の存在を蔑視して、当てはまるものを大切に扱う…王って楽でいいわね」
「人間の世界にはそのような言葉があったのですね…ですがもう関係の無いこと…我々はいち早く、人間から独立し、妖精という種族を確立せねばならないのです」
もしもあれがリオンだったら、リオンでなかったとしても、私はこの同族殺しを許すことが出来なかった。私が私を許せないように、この一度は憧れた外見だけは綺麗な女王を、許せなかった。
「…なら…私はもうあんた達妖精がどうなろうと知ったこっちゃないわ…でもね…あんただけは絶対に許せない…!あんたも人間から生まれた幻想種、なのにあんただけ生きているのが許せない…!」
女王は笑顔を絶やさない。私はこれに一度は憧れていたのだと思うと、過去の私を殴りたくなってしまう。こんな余裕は、侮辱と同じだった。
「私は妖精女王オルベリシア、人間の空想で描かれずとも、語られる…故に私は不滅です」
「なら…容赦はしないわ…不滅なら…どれだけ殴っても死なないわよね…!」
妖精女王オルベリシア、私はこいつを許さない。だからあの時のように本気になる。翼族の女王の証である六枚の翼を広げ、右手に力を込めて周囲の光を集めだした。
「六枚の翼…!」
彼女は私の純白の翼を目の当たりにして目を見開く。妖精の持つ虹色の羽根とはまた違った景色が見えることだろう。
「そういえばちゃんと名乗ってなかったわね…!あんたと同じ同族殺しの罪を持った…もう私以外生き残りのいない翼族の女王、ベル・グローリア!私怨であんたをぶっ潰す!最後の生き残りにやられること、誉にしなさい!!」
狭い室内ではあるものの、翼を羽ばたかせて飛び上がる。この上から見下ろす感覚は慣れなくとも堪らない。妖精がこの部屋に灯した光を全て一点に集中させ、光球以外が闇に染った。
「黙って喰らいなさい!!『失楽園』!!」
至近距離にいる女王に向かって光球を投げつける。この距離では当然私も巻き添えをくらってしまう。それでも、そんなことをしてでも、こいつの綺麗な顔を歪めたかった。
光球が私の手から投げられた瞬間の事だった。光が一瞬にして消え去り、時間が戻ったかのように部屋に明かりが灯った。
「偽りでは…ないようですね」
その時、ほんのりとそよ風が頬をよぎった気がした。
「王は皆、自身の国を終わらせることが出来るほどの力を持つものです。その形は人それぞれ…」
「何…言ってるのよ…」
自分の放った力が突然消され、動揺のあまりオルベリシアの話が頭に入ってこない。
「貴女の終わらせる力を…私の終わらせる力で消させて頂きました」
「私の力を…消した…!?嘘よ嘘…!」
あいつと同じような…もしかするとあいつの上位互換的な力を前に何もかも信じられなくなる。戻った光を再び収束させ、彼女に狙いを定めて投げる。暗闇の中で光球が消え去り、またも時が戻ったかのように明かりが灯った。
「何度やっても同じことですよ」
「うるさい!うるさい!!黙って喰らいなさいよ!!」
光を集めては投げ、元に戻った光を集めては投げる。その度に心が細かく折れていく。段々と集める光も少なくなり、小指ほどの大きさの光の玉を投げる程度にまで墜ちてしまった。
「…人間の言葉でなんと言いましたか…あぁ…思い出しました…馬鹿の一つ覚え…ですね」
自分の中で何かが吹っ切れた。一撃すら与えられない私の無力さに怒っているのか、馬鹿と言われたことに怒っているのか、分からなくなっていた。でも、この「分からない」が、何故かとても心地よくて、思わず笑ってしまいそうだった。
「馬鹿の一つ覚え…ねぇ…あははっ…なら、極めてやろうじゃないの!」
右手を天井へ向け、再び光を集める。染まり始める闇の中でオルベリシアは変わらず笑顔を向ける。それが嘲笑に見えようと、蔑視に見えようと、私にはどうでもよかった。
「私の力はこれだけじゃない…!『存在反転』…!」
半透明の球を私を中心に広げる。視界や感覚が左右上下反転するこの能力を組み合わせる。光を収束させる力を反転させ、左手に真っ黒な闇を収束させ始めた。当然闇は闇に埋もれ、その姿を映さないが私の手の上にはしっかりと闇がある。
「見えないでしょ?消せるものなら消してみなさいよ!」
暗闇の中で右手に作り出した光球を投げつける。唯一の光源は当然のように消され、光が戻る。闇に自身を溶け込ませ、オルベリシアの背後へと回り込み、石のように形作った闇の塊を彼女へとぶつけようと腕を伸ばす。
「喰らいなさい…!『暗黒楽園』!!」
「いつの間に…!」
やはり彼女の終わらせる力は羽根に宿っているようで、こちらへ振り向き、距離を取ろうとしたところで彼女の腹部に闇が触れ、光の中で破裂し、その勢いで私と彼女が部屋の壁へ打ち付けられた。
何とか意識が朦朧とする中で立ち上がり、部屋の反対側の壁で項垂れている彼女へ目を向ける。闇が弾けた時と壁に打ちつけられた時の衝撃があまりにも体の負担になったことだろう。しばらく気を失ったまま起き上がることなく、どことない勝利感と開放感に心がスッキリしてきた。
「はぁ…あー清々した!もう妖精たちのことなんてしーらない!…それにしてもアリスどこ行ったのかしら」
荒れた妖精の城内を小走りで抜け出し、手当たり次第に探しに出る。気づけば、女王の証である六枚の翼は閉じられ、人間と全く同じ姿へと戻っていた。