聖域よりも静かな処、家よりも居心地の悪い処
玄関に立っている私たちと、部屋の隅で縮こまっているレイカとの間でなんとも言えない空気が漂う。アサネとノートリアは訳も分からずに、少し心配げにレイカの方へと身を傾けた。
「ええっと…君、ラクイラさんの連れなのかな…大丈夫?」
この微妙な空気を打破するべく、尋ねるアサネに、レイカは黙って首を横に振るだけで声を発することは無かった。
「あの子本当に大丈夫なの?」
「さ…さぁ…」
彼の反応を見るに、アサネが龍殺しであることの裏付けが取れてしまった。レイカが龍であることを悟られないと願うばかりだった。
「そ、そう言えぼ、グローリア達は?まだ寝てるのかな」
これ以上深掘りされることのないように話をそらす。その時だった。彼の体がはねるように反応し、ようやくこちらと目が合った。そして震えた手で外の方を指さした。
「出かけたのか?」
レイカはコクコクと頷く。妖精ですら苦い顔を見せる彼だが、そこにアサネが加わったことで命の危険性が高まり、心に余裕がないことだろう。
「その…グローリアって誰なの?君の連れ?」
「連れというか…なんというか」
アサネに訊かれ、彼女のことを説明しようとすると、自然と顔が熱くなる。本人がこの場に居れば、私の代わりに容易く答えるであろう質問が、私にとってはとても難題だった。
「あぁ…なるほどね…」
彼女は視線を少し下に向け、私の左手を見る。落胆した表情をしつつ、私が言葉を紡ぐことなく理解したようだった。
「あっ、家の手伝いがあるの忘れてた!人間様!またね!」
この家に着いてからしばらく何も話さなかったノートリアが突然言い出し、急ぎ飛んでいってしまった。
妖精がこの場からいなくなったことでレイカの悩みの種が一つ消えたようで、ほっとしながらこちらにゆっくりと近づき、私の後ろに隠れては、アサネに顔を覗かせた。
私より身長の低い彼を首をねじって見下ろす。私を見上げていたのか目が合い、今度はアサネの方へと視線が移される。しかしそれはほんの一瞬の出来事で、すぐさま逸らしていた。
「…もしかしてこの子人見知り?」
「いやぁ…どうだろう…」
人間の姿となったレイカとの初対面ではそんな様子は見られなかった。やはり彼女に対して恐怖心を抱いていることは間違いなさそうで、彼は私の背中に顔を密着させ、アサネから隠れていた。
「あははっ、可愛い子だね」
彼女は寛容で、軽く笑ってから私と目を合わせた。
「この近くに確か静かな場所があるんだ。妖精さん達があまり来ない穴場…?があってね、そこに行って話さない?」
「ここじゃダメなのか?」
「ここだとほら…妖精さん達が来るから…」
あまり聞かれたくない話だと悟り、納得して承諾する。今朝から移動続きで、グローリア達の行方や奇跡の妖精のことが気になることも相まって、その話に集中できそうにない。それでも無の時間を過ごすよりは断然マシだった。
レイカは私の服を強くつかみ、離れることなく家の外に出ることとなった。
彼女の先導の下で到着した村の外れには、小川が流れ、妖精の羽音も、虫の鳴く声も聞こえてこない。冷たいそよ風が肌を撫で、サラサラと音を立てる草の上に横並びになって座り込んだ。
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今日は朝からあいつの姿を見ていない。そのせいか、だいぶ調子が狂ってしまっている。これからアリスと一緒に奇跡の妖精のお披露目に向かうというのに、心の中にある異物が邪魔で、取り除くことが出来ず、もどかしいものがあった。
「ねぇ、アリス」
「なぁに?」
思っていたよりも広い森を歩く中、この気を紛らわせるために娘に話しかけた。この子はあいつを一目出来なくともきっと寂しくないのだろう。純心無垢な笑顔が何よりの証拠だった。
「あいつと私たちの未来って、どうなってたのかしら」
ほんの少しだけ興味はあれど、この質問に意味は何もない。違和感を誤魔化すためには話題なんて何でも良かった。
「んー…パパとママは幸せなままだった…としか言えないね…」
「なんで?ナズナやあの神は?」
「ううん、あの二人も幸せだったよ?でもね…」
「あぁ…最期のことは抜きにしてよ」
明らかに暗い表情となっていたアリスのそれは、私が一言そう加えただけで、まるで人格が変わったかのようにぱあっと明るくなった。
「えっとねえっとね!パパには色んな友達ができててね!ママはすっごい大人っぽくなってて!ナズナお姉さんは大金持ち!神様はパパを悠々自適に扱ってたよ!」
あの神の未来については大方想像通りで、気づけばクスクスと笑っていた。ナズナが大金持ちなのも変わらないとして、私とあいつに関しては変化があるようだった。
「…ってちょっと待って、私が大人っぽくなってるってどういう意味!?今はそうでも無いってこと!?」
「違うよ!そういう意味じゃないの!」
「…どういう意味よ」
どうも煮え切らない問答にもどかしくなりつつ、気持ちを落ち着かせて聞く。
「なんて言うか、女王としての貫禄があったの。今は可愛いママだけどね、未来はかっこいいママなの」
「ふ…ふぅん…」
それがお世辞だとは思わず、嬉しくなり、顔が熱くなる。かっこいい私も少し見てみたかった。
妖精達の群衆が見えてきたと同時に、人間サイズの二階建ての家が木々の間から見えてきた。木の枝をかいくぐり、群衆の最後方に立つと、私たちが昨晩寝泊まりしたあの木造の家よりかは、花弁や植物のツタなどで装飾が施されている木造の家があった。そしてその二階部分にあるベランダに当たる部分には、人間と同じ大きさで、半透明で煌びやかな模様が付いている羽根をした、多量の木の葉で作られたドレスを着ている女性が、両手の上に光の玉を乗せて立っていた。
「綺麗…」
女王の容姿に見とれたのか、奇跡の妖精と謳われた光の玉の輝きに目を奪われたのか、私が自然と言葉を発していた。
「…ふふっ」
お披露目に心まで奪われていると、女王と目が会い、私を見て微笑んだ気がした。それが妖精たちに向けられたものかもしれないということは思いつつも、美しく、寛大でありそうなそれに、どこかしら劣等感を抱いてしまっていた。コレが、女王なのかと。
「ママ?」
アリスの声でやっと自我を取り戻す。気づけば私たちの前にいた妖精たちは興奮の余韻に浸りながら帰っていた。私達も帰ろうと歩き出したその時だった。しばらく使ってなかったであろうドアが軋む音をあげる。無意識的に大きな音に注目してしまうと、先程二階に立っていた女王が、こちらに手招きをしていた。周囲を見ても妖精達は既におらず、私とアリスは顔を見合い、妖精達の城へと入って行った。