龍殺し
レイカにご主人様と呼ばれるようになり、恥ずかしさとむず痒さに私の心が曇り出す。
彼は私に飛びついたまま、心から安心するように眠っている。いくら人肌に触れているとしても、外気に当たっていては寒い事には変わりない。木造の家へと戻り、数少ない布団に、同じ布団に眠っているレイカと共に入り、眠りについた。
翌日、心地の良い羽音に目覚めると、日が昇っているかどうかは分からないものの、ノートリアが少し眠そうに目を擦りながら私の顔の上を飛んでいた。
「あ…人間様おはよう…」
どうやらまだレイカやグローリア達は起きていないようで、彼女は私たちが起きるのを待っていたようだった。
肘を立て、布団から手を出し、人差し指を伸ばすと、彼女は羽を休めるようにそこに座った。
「人間様、実はね」
ノートリアは昨日のような元気さはなく、まだ眠気が冷めていないからか、違和感を抱くほどに落ち着いてそう切り出した。
「龍殺しの人間様が帰ってきたんだ」
龍殺し、傷だらけのレイカを目つける前に妖精たちから聞いた単語…そして彼を傷つけたであろう人物…トドメを刺さずに出ていってしまったその人が、帰ってきた。最後の龍を殺しかけたその人間を、一目見たかった。
「…その人間の所に案内してくれるかな」
「うん、わかった」
ノートリアは大きな欠伸を一つして指から飛び上がる。レイカ達を起こさないように布団から起き上がり、静かに家から外に出た。
「…その龍殺しってどんな人なんだろう?」
妖精の村から出たところでノートリアに話しかける。
「んー…女の人で…若かったよ!」
調子の戻ってきた彼女は大雑把な特徴しか話さないものの、龍殺しの堅苦しいイメージを覆すのには十分だった。
「…なんで帰ったんだろう…」
龍殺しとして努めるなら、目の前に獲物がいる状態で帰ることに、いくら思考を巡らせても理解を示すことが出来なかった。
「わかんない…でもねでもね、悔しそうな顔をしながら出ていっちゃったんだ」
となると帰らなければならない事情があったのだろう。いくら命を奪おうとしていたと言えど、目的達成の直前で中断せざるを得ない状況になってしまったとなると、同情してしまう。
それからその人間については聞き出すことができず、気づけば妖精の聖域への入口に立っていた。この中にその龍殺しがいるとみて間違いないのだろう。
「人間様、この先だよ」
ノートリアはそういい、穴の奥へと入って行った。光がほとんど届かない岩壁の道を歩き、最奥の開けた場所に辿り着いた。ここは天井に穴が空き、妖精の森の中で唯一太陽の光が届く場所だった。そしてそこには、こちらに背を向けて立っている一人の女性がいた。その腰には、二本の刀を携えていた。
「…龍の匂い」
聖域に立っている女性は鼻をスンスンと鳴らし、腰に提げた刀の柄に手をかけ、鋭い眼光をこちらに向けた。
「って…人間…?」
彼女は私の姿を見て警戒を解き、柄から手を離した。
「はじめまして、こんなところで人間と会えるなんて思わなかったよ」
彼女はそう言いながらこちらへと歩き、右手を差し出した。握手をしたいらしく、素直に応じた。その手はこちらの手を強く握り。ゆっくりと上下に動かした。
「…私の名前はアサネ、ここにいたはずの龍を探しているんだけど、知らない?」
二本の刀を携えている女性はアサネと名乗り、微笑みから一瞬にして真剣な眼差しへと変貌した。彼女が言った龍は、レイカのことで間違いないのだろう。もしも本当のことを言ってしまったら殺されてしまう可能性しかなかったために嘘をつくしか無かった。
「…倒し損ねたよ」
「ふぅん…まっ、龍だもんね」
アサネは優越感をチラ見せさせる。レイカに傷をつけたのは彼女で間違いなさそうだった。
「ねっ、こっちは名乗ったんだからさ、君も名乗ったらどうなの?」
調子に乗っている彼女に自己紹介を催促される。断る理由もなく、ノートリアが陽気に飛び回っている中でいつものように名乗った。
「ラクイラだ」
「ラクイラ…よし、覚えた!」
彼女は群青色単色の浴衣の袖を揺らし、メモ帳とペンを浴衣の中から取り出す。何かを軽快に書き込み、スナップボタンを合わせる音を鳴らし、縫いつけたであろう内ポケットにしまい込んだ。
「今のは…何を?」
目の前で書かれては内容が気になってしまい、思わず訊いてしまった。彼女は口を尖らせ、軽蔑するような目を向けた。
「むー、女の子のプライベートに踏み込むのはダメなんだよー?」
彼女からはこれで「失礼な男」としてレッテルを貼られてしまったことだろう。急いで払拭するべく、慌てて弁解するものの、どれも言い訳にしか聞こえないのだろう。その姿がどうにも滑稽だったようで、クスクスと笑われてしまった。
「冗談だよ!はい、見せてあげる。恥ずかしいものでもないしね」
アサネから手帳を受け取り、後ろから捲って先程書いていたものを探し出す。
マス目の無い、行線が引かれているだけの紙をめくり続け、やっとのことで見つけ出した。左のページの上半分辺りに、私の名前とこの場所が黒字で書かれていた。
「そうやって記録してるんだ。旅の証としてね」
「旅人なのか?」
「うん、でも帰る場所はちゃんとあるよ」
私とアサネとでそんな話をしていると、ノートリアがこの手帳に興味を持ったようで、一枚ずつページを左から右へとめくっていた。
「人間様!なんでここだけ赤いの?」
そんなノートリアの声が聞こえ、視線を落とすと、赤文字で『シエラ』と書かれていた。他と比べてもこの字が一番綺麗に見えた。
「その人はね、私の師匠なんだよ!」
アサネは目を星空のように輝かせ、腰に携えていた刀を鞘に収めたまま私たちの前に見せてきた。
「この刀は師匠が譲ってくれたものでね!」
彼女は二本の刀をそれぞれ両手で持ち、興奮を抑え込まずに説明を始めた。
「こっちは悪しき者をその存在ごと抹消させることが出来る『斬魔』」
彼女から見て右手に持っている黒い柄の、刀身が七十センチ程の刀の紐をゆらゆらと揺らし、目立たせた。
「こっちは正しいことをその根底から覆したっていう逸話がある『聖絶』」
今度は左手に持っている白い柄の同じ長さのそれを揺らし、先程と同様に目立たせる。
『聖絶』の逸話というものが気になりつつ、「へぇー」と興味を向けるも、まだ説明は終わらないようだった。
「そして、この二本の刀を合わせるとね、私が龍を傷つけた『幻想殺し』っていう特別な大太刀になるんだ!」
彼女はそれぞれの手に持った刀の紐を自身の前で合わせ、二つの紐を片手で持つ。今のは抜刀している時の話のようで、鞘に収められている今の状態では、その『幻想殺し』へと変わることは無かった。
「この二本の刀は師匠が私にくれたものなんだ…っと危ない危ない…初対面の人に喋りすぎちゃうところだった…師匠以外の人間と話すのは久しぶりで…えへへ」
気づけば、私の興味は聖絶から幻想殺し、そして彼女の師匠へと向けられていた。しかし、あれこれ聞いてしまうと、踏み込みすぎて怪しい奴だと思われかねない。そこの加減の仕方が分からなかった。
「ねぇ、妖精さん」
アサネはノートリアと目線を合わせるように膝を曲げる。ノートリアは沢山の記録がされているメモ帳から目を離し、彼女の声に反応した。
「どうしたの?龍殺しの人間様」
「またあの家に案内してくれる?」
「うーん…でも今はこの人間様が使ってるよ?」
「大丈夫、私は気にしないから」
「なら…わかった!」
ノートリアは心地よい羽音を響かせてメモ帳から飛び上がる。それを見た後に開いていたそれを閉じ、スナップボタンの音を立ててからアサネに返した。
妖精の聖域は、この森の中で唯一太陽の光が届く場所。と言ってもまだ明かりが差し込まず、まだ少しここは暗いまま、日の出からまだそう時間は経っていなかった。
ノートリアに先導され、アサネとともに聖域を後にする。欠伸をしつつ、森の中を歩いていると、アサネが訊いてきた。
「ラクイラさんも一人でここに来たの?」
彼女の私に向けられる視線はどこか期待が見え隠れするものだった。それが何から来るものなのかは容易に想像出来た。
「いや、三人で。あとはここで出会ったもう一人かな」
「そっか…」
詳しい経緯や素性は明かさずに正直に言うとアサネは希望を打ち砕かれたように肩を落とした。ノートリアはこんな話に割込むことなく、鼻歌を歌いながらふわふわと飛んでいた。
「もしも一人だったらなぁ…一緒に旅をして…師匠に紹介して…幸せをゲット!…なんちゃって」
彼女は照れ隠しに笑みを見せるも、その目は笑っておらず、悲壮感が伝わってきた。
「旅か…」
私が頭にうかべたのは、龍の姿になっているレイカの背に乗り、グローリアやアリス達と空で風を感じている光景だった。もちろんそれに目的や意味はなく、ただ空を楽しんでいるだけのものだった。
「アサネはなんで旅をしてるんだ?」
「…仇を討つためだよ」
「…復讐か…」
「そうなるのかな…そんなこと思ってなかったからわかんない」
「あっ!人間様!着いたよ!」
私が作り出してしまった重苦しい空気の中、ノートリアの声でようやく村に足を踏み入れ、木製の家の前に立っていることに気づいた。その瞬間、今まで二人の間に流れていた暗く重い空気はなく、何事も無かったかのように、ごく普通な軽い空気へと変わった。
アサネも家に持ち込まないために瞬時に気持ちを切り替え、ドアノブに手をかけて押し開いた。
「あっ…おかえ…………り」
レイカが起きていたようで、ドアの開く音に反応してこちらに振り向くと、アサネの姿を見るなり顔色が悪くなってしまった。そして椅子から立ち上がり、玄関から遠ざかるようにアサネを凝視したまま後ろに歩き、壁に背をつけたところで震えながら部屋の隅で縮こまった。
「…あの子どうしたの?」
やはりまだレイカが龍だということは分からないようで、こちらに尋ねる。私とノートリアに説明できるはずもなく、その場でたちすくしていた。