信じたい未来
アリスと言う少女の発言は信じ難いものだった。僕が龍として受け入れられ、今目の前にいる人たちを乗せて空を飛ぶ…誰かと一緒に空を楽しむ。龍殺しに育ての親を殺され、龍の血を浴びた僕の夢だった。
頼んでないけど、ボロボロだった傷を治してくれたこの人たちにはお返しをしなければならない。今は手持ちもなければあげられる物もない。それなのに、信じてしまったら、厚かましくて仕方がない。それでも、信じたかった。
「疑いたくないんだ…」
龍の血を浴びた僕は人間と龍の両方の生き物として生きている。どちらかとして確立されていない僕は中途半端な生き物。人間である僕は、憂いと恐れ、そして憧憬を抱くこと以外を知らなかった。
気づけば、人間として確立されている人を前に、沈黙してはいけないと声を絞り出していた。
「疑いたくない…でも…信じたくないんだ…!」
「それは…どうして…」
アリスさんの隣にいる男の人が尋ねる。その目はどこか気が抜けているようで、今すぐ龍に変身して噛み付いても殺せてしまいそうだった。
「僕は…何もあげられないから…」
嘘偽りで着飾った答えが出せる訳もなく、本心を吐き出す。当然楽になれるはずもなく、痛みも傷跡も無い体が僕の心を蝕んでいた。
「だって僕は一度キミに助けられてるんだよ…?アリスさんの言葉を信じてキミ達に着いて行ったら…僕は一体何でお返しをすればいいの…」
悔しい、とても悔しい。両手を強くに握り、歯を食いしばって今にも逃げ出したい衝動を抑える。僕は、きっと、龍である時の方がずっと人間らしいのだろう。痛みに声を上げ、相手の善意すら知らずに暴れ回る。そういう意味では人間である時の僕は、いつまで経っても中途半端なんだろう。
辛い、とても辛い。行きたい、一緒に色んなところに行きたい。独りはもう十分に謳歌した。何も楽しくなかった。だから今度は誰かと一緒に謳歌したい。でも、今すぐここから逃げたい。これ以上恩はもう、受けたくない。
僕は、きっと、もっと、人間を知れば良かったのだろう。
「…レイカ」
男の人が僕の名前を重く、しっかりとした声で呼ぶ。恐る恐る視線を向けると、僕より少し背が大きいその人は、怒っているわけでも、呆れているわけでもなく、優しい目をしながら手を差し出していた。
「私たちのために、着いてきて欲しい」
この時、気づいたような気がする。多分、この人は、損益なんて考えてないのだろう。多分、この人達は、お返しなんて考えていないのだろう。
多分、これが、僕ができる唯一のお返しなんだろう。
「僕でいいの…?」
信じたい、だからそう訊く。心から目の前にいる三人を信じるために。
「レイカ君じゃなきゃダメなの」
「私達は何も知らないけど、未来から来たアリスが言うんだから、きっと本当にあんたじゃないとダメなのよ」
アリスさんとはまた別の女の人が言う。その絶対的信頼がどこから来るのかは分からない。それでも僕は、嬉しかった。
「れ、レイカ!?もしかして嫌だったか!?ご、ごめん!」
男の人は慌てながら両手を合わせ、頭を深々と下げた。気づけば、甲が濡れた両手で、その手を挟むように握っていた。
「僕を…連れて行って…!」
この際僕が悪用されたって構わない。何でもない僕が必要とされるなら、世界裁判にかけられるほどの犯罪者に加担するとしても、それでも僕は嬉しかった。
男の人は、僕が手を取った瞬間に顔を上げて喜びの表情を見せる。女の人は瞠目し、アリスさんと見合い、喜びを分かちあっていた。
「ありがとうレイカ!これからよろしく!」
男の人は僕の手から自身の右手だけ引き抜き、僕の左手を挟むように合わせる。僕より少しだけ大きくて、とても温かい手だった。
「そういえばまだ名前言ってなかったね…私はラクイラだ」
男の人がラクイラと名乗る。それに続くように女の人が僕の視界に入り込む。
「私はグローリアよ!こいつのお嫁さんで…アリスは私たちの娘なの」
ラクイラさんとグローリアさんは夫婦で…アリスさんは未来から来た娘さん…つまりこの三人は、家族でここまでやってきたということになる。
「家族」、そんな単語が頭の中で反響する。その度に段々と脳内を埋め尽くし、そして僕は、笑っていた。
「家族かぁ…いいなぁ…!」
「まさかあんた…家族が…」
「グローリア」
「あっ…ごめんなさい」
笑いながら言う僕に勘づいたようで、グローリアさんが聞こうとした所でラクイラさんに止められる。僕は上着の袖で滴る雫を拭い、首を横に振った。
「ううん…大丈夫。ちょっと…羨ましかっただけ」
「そう…」
グローリアさんは落ち着いた声でそう言い、僕の頭にそっと手を置いた。その温もりに心が温かくなり、目を向けると、優しい笑顔を向けていた。
「パパ!ママ!レイカ君にばかりずるい!私にもやってよ!」
二人はやれやれと言いたげな表情をしながら微笑し、不貞腐れるアリスさんを宥めようと僕にやったことを同じようにする。その時のアリスさんの表情は、ここは夜の穴底なのにも関わらず、とても眩しい笑顔だった。
「えへへぇ~だぁい好きー」
アリスさんが二人に抱きつくと、嫌がる様子もなく、ごくごく自然に受け入れている。やはり、羨ましかった。
「んっ、レイカ、どうしたんだ?」
ラクイラさんが振り向き、僕の名前を呼ぶ。気づけば、僕は僕より頭二つ分ほど大きいこの人の背中に密着していた。
「…何でもない」
「…そうか」
ラクイラさんは嬉しそうにそう言い、僕の頭を撫でる。これが…人の温もりというものかと感傷に浸った。
「それじゃそろそろ行こうよ!」
「そうね、待たせちゃってるものね」
アリスさんがそう言い、出口へと向かうところにグローリアさんが続く。ラクイラさんも着いていこうとしたが、数歩だけ歩いた後に立ちすくしている僕の方へ振り向いた。
「レイカ?来ないの?」
「…妖精の村に行くの?」
アリスさんとグローリアさんは、僕たちが着いてこないことに気づかず、そのまま穴の外へ出ていってしまった。ラクイラさんは思い出したようで、眉間を摘んでいた。
「そうなんだけど…龍と妖精って…仲悪いの?」
「…ちょっとね」
少し暗めに言っただけなのに、この人は悩みだし、唸り声をあげる。
「うーん…ごめんね、我慢…してくれるかな…?実は今すぐ帰ることも出来なくて…」
どうやら観光で来たのではないようで、僕と、妖精に用があることをここで初めて知った。
「なら…それくらい我慢するよ、僕が龍だってバレなければ安全なんだから」
この人は僕が龍であった時、痛みに暴れている中で傷を癒してくれた。この程度のこと、我慢して当然だった。
「そっか…本当、ごめんね」
「…謝らないでよ…ほら、置いていかれる前に、行こう」
僕はラクイラさんの手を取り、あの二人に追いつくよう走り出した。
これが、期待するということなのだろうか。この人と、あの人たちを、僕の背中に乗せる時が待ち遠しかった。