龍が眠る処
妖精たちが洞穴の入口で見送る中、アリスとグローリアと共に奥に進む。妖精たちの話によると、この先には緑の龍がいる。その龍は恐らく、アリスの言っていた翡翠の龍レイカである可能性が大いにあった。
「ねぇ、聞こえる?」
明かりが一切届かない岩石のドームの中でグローリアが言う。足音しか聞こえて来ず、彼女が聞いたものを聞こうと立ち止まって耳を澄ます。足音にかき消されていたからか、奥から獣が唸るような声が、苛立ちに吠える声が、岩壁に反射して聞こえてきた。
「レイカ君の声だ…!」
アリスは吠える声だけで判断し、暗闇の中を走り抜けていく。グローリアの呼び止める声すら聞かず、縛られるように走って行ってしまった。
一本道を進んで行くと、空気が冷え始め、水の流れる音が聞こえてきた。唸る声も徐々に大きくなり、光が差し込む開けた場所に出ると、全長二十メートル程の、傷だらけの翡翠色の龍が、痛みに抗えずに苛立ちを見せていた。
空からは太陽の光が差し込み、穴の中で草が育ち、水のせせらぎが、龍の咆哮の中でも聞こえてくる。
そんな中、アリスはと言うと、傷だらけの龍を前にして動くことが出来ず、怒るそれと対峙するだけだった。
「誰が…こんなこと…」
アリスは龍から目を離すことなく、焦りを見せた。
「あんた未来から来たんでしょ!?何か知らないの!?」
グローリアが問いただすも、彼女は首を横に振り、涙を浮かべた。
「ううん…知らない…私が生まれた時にはもう居たから…」
「なら…こっちの私でも何かできるはずだ…」
龍の感情を逆撫でしないよう、背負っていた大剣、現身鏡を二人に預け、丸腰のまま龍に近づく。アリスを凝視していたそれは、ようやく私へと意識をそらし、無害だと思わせるために両手を広げるも、警戒を解くことはなかった。
「ほら、何もしないから…どうか安心してくれないか」
人間の言葉が通じるかどうかは分からないが、恐怖を前に微笑みを向け、意思表示をする。それでも龍は、痛みに悶えているからか、人間に恨みを抱いているからか、炎を吐くように大口を開けて咆哮した。
「どうしたらいいんだこれ」
傷を治そうと思っても近づくことが出来ず、本能が前に進ませてくれない。グローリアが翼を広げ、空を飛び回って撹乱させようとするも、妖精と見間違えて襲ってしまわないかと心配になり、アリスと共に力ずくで抑える。その時思いついたことが一つ。龍が追いかける意識よりも早く動くということだった。
有効手段が見いだせない中、思い立ったらすぐ行動。自分を対象に物質速度変化の能力を使用し、自分の移動速度を上昇させる。そして龍の周囲を走り、両翼や全身が酷く傷ついていることが確認できた。中には鱗ごと胴体を切りつけられているような場所も見られた。
龍の視界から逃れ、背後に回って尻尾から背中へと飛び乗る。その衝撃で全身に痛みが走ったからか、激しく咆哮し、胴体を大きく暴れさせ、私を振り落とそうとする。それでも何とか比較的傷の少ない首へとしがみつき、以前グローリアにやったように、この龍の細胞の成長速度を上げ、傷を無理やり直した。傷口は完全に塞がり、鱗も元に戻り、艶を取り戻す。光に照らされ、綺麗な翡翠色に輝いていた。
広い空間で痛みに暴れる龍にしがみつき、数分ほど振り回された頃だろう。勢いが衰え始め、やがて疲れたからか、体を丸めるようにして眠りに着いた。この龍の体が非常に頑丈だからか、岩壁に打ち付けた体に傷がつくことはなく、壁に大きな穴や打痕が出来上がっていた。
「パパ!」
「ラクイラ!」
静まり返った空間の中でアリスとグローリアが私の名を呼びながら駆けつける。振り落とされないようしがみついていたおかげでこちらの体力も無くなり、ただただ草地の上で座り込むだけだった。
この場に神様が居れば良かったのになぁなんて後悔に浸りながら翡翠色の龍から目線を外し、天を仰ぐ。森の中からは見えなかった晴天が、雲の流れが、何故か懐かしかった。
「そういえば…あの妖精達、ここが聖域とか何とか言ってたわね」
グローリアがそう言いながら龍が眠っているこの聖域とやらを飛び回る。特に珍しいものがなかったからか、なんとも言えない渋い表情をしながら戻ってきた。
「ただの草地ね、特に目立ったものも見当たらないわ」
お手上げとでも言うかのように両手を上に向け、肩を上げて落とす。そんな中、アリスはあの龍を見ながら何かを考えているようだった。
「アリス、なにか気になったことでもあるのか?」
直後は反応しなかったものの、数秒経って考えが纏まったからか、応えが返ってきた。
「うん…レイカ君…戻らないなって」
「「戻らない?」」
グローリアと同じ反応をする。龍が一体何に戻ると言うのか、この龍はアリスの言うレイカという人物の正体ではないのか…幻想種というのはつくづく不思議に思う。
日が傾き始め、この穴底に光が届かなくなってくる。すると、眠っている龍に変化が起き始めた。鱗の輝きが落ち始め、二十メートルもあった体躯が小さくなり始め、尻尾も、翼も、大きな牙を持った口も、全てがなくなり、やがて人間のような姿へと変わった。翡翠色のセミショートの髪をした、上着を一枚羽織り、チノパンを履いているだけの少年だった。
龍が人間へと変わる。私とグローリアは呆気に取られ、アリスが彼に近づくことを止められなかった。
「レイカ君!」
草地の中心で倒れ込んで眠っている彼を抱き上げ、端で座り込む私たちの元へと連れてくる。少年はぐったりとしていて、動かすだけでは目覚めそうになかった。
少年の目覚めを待つまま数十分が経っていた。気づけばとうに暗くなり、月明かりが届きそうになっていた。そして、空から、星屑のような光り輝くものが降り注ぎ、草地の中心部から、背の高い白い花が咲き誇った。
「リュウイナクナッタ!ニンゲンサマイキテル!」
「アレ?マタフエテル!!」
花が咲いた頃に賑やかな妖精たちの声が聞こえてくる。あの二人以外は私達に寄らず、花の周りを飛び回る。
「ニンゲンサマ!ニンゲンサマガ、リュウオイハラッタ?」
「リュウドコイッタ?ソノネムッテルニンゲンサマハ?」
二人は翡翠色の髪の少年に興味を示し、体の上で静止して眺めている。その間にも時間は進み、白い花から眩いほどの光が放たれ始めた。草地から光の粒子が浮かび上がり、花へと収束し、新たに光の玉を作り出す。神秘的と思えるそれに、私達は釘付けだった。
「アタラシイヨウセイノタンジョウ…」
「ニンゲンサマノオカゲデヨウセイガウマレル!」
星空の元、聖域と呼ばれている場所で命が芽吹くのを目の当たりにする。これほどまでに他所に感動したことはなく、これからもきっとないだろう。
光の玉が人型を成し始め、シャボン玉が弾けるように光が散らばり、その姿を見せる。手のひらサイズのそれには羽が四枚、パタパタと羽ばたき、初めからそうするべきだとわかっていたかのように天井に空いている穴へと向かって飛び上がり、星の光を浴びた。
「妖精ってこうやって生まれるんだ…」
アリスはそう言い、妖精の生誕の余韻に浸る。この光景を見逃した少年が気の毒に思えてきた。
「ア!ニンゲンサマオキタ!」
アリス同様感動に浸っている時に妖精の一人が声を上げ、現実に戻される。アリスの膝を枕にして眠っている少年へ目を落とすと、唸りながら目を擦り、体を起こした。
「ニンゲンサマ!オハヨウ!」
「うっ…妖精種…」
少年は二人の妖精を目の当たりにして苦い顔を向ける。龍種と妖精種とでは相性が悪いようで、逃げるようにアリスの背中へと隠れた。
「コノニンゲンサマ、ヨウセイニガテ?」
「メズラシイニンゲンサマ!」
どうやらこの少年がほんの数分前まで龍であったことはバレていないようで、楽しげな笑い声を上げながらどこかへと飛び去って行った。
「バイバイニンゲンサマ!」
「アトデムラ二アンナイスルネ!」
二人の妖精は最後に言い残し、花の周りを飛んでいた他の妖精たちを呼んで引き連れ、洞穴の外へと出ていった。
「ええっと……」
妖精が居なくなった聖域で、少年が居づらそうに、何を話そうかと視線を逸らす。
「…キミ達が僕の怪我を…治してくれたのかな」
「治したのはこいつだけよ」
三人の視線が集まり、居心地が悪そうに目を見ない少年の呟きにグローリアが私の背中を叩いて応える。すると、少年は小さくため息をついた。
「あー…えっと…ありがとう…それじゃ」
少年は愛想が悪いまま逃げるように走り出す。
「待ってレイカ君!」
アリスが彼の名前を呼ぶと、体が反応し、その場で止まってこちらに振り向く。
「どうして…僕の名前を…」
「アリスは未来から来たのよ」
グローリアが言う、レイカは半信半疑になりながらも、興味を持ったからか、少しずつ警戒しながらも近づいてくる。
「アリスさん…でいいのかな…」
「うん、なぁに?」
レイカは未来人である彼女に何を聞こうかと考えを巡らせ、数十秒たった後に一つの質問をぶつけた。
「未来の僕って…誰と過ごしてるのか…分かる…わけないよね」
レイカは自身の発言に嘲笑し、なんでも無いと言うかのように首を横に振った。
「私達と一緒に色んなところを飛んでるよ」
「え…」
レイカは呆気に取られた表情を向けて固まる。そしてまた私達から視線を逸らした。