幻想の棲む処
龍、妖精…どちらも所謂幻想種と呼ばれるもの…普通に生きていれば決して相容れることのない存在。そんな存在を、アリスは特徴も指し、名前まで言う。レイカ、リオン…彼女の話によれば、この二体も重要な役割があるようだった。
「…お願いがあるの」
アリスのその願いというのは言わずとすぐにわかった。
「レイカ君とリオンちゃんと出会って欲しいの」
「嫌よ」
グローリアが即答すると、アリスは絶望に打ちひしがれるように背もたれに体重をかけ、項垂れた。
「どう…して…?」
「だって、龍とか妖精とか、どこにいるかわかんないわよ?それに、まだ私はあんたが私とラクイラとの娘だなんて信じてないの。信じて欲しかったら、それなりのことを言ってみなさい!」
未来からきた娘…そんなことは容易く信じることができないようで、彼女の語気が力強くなる。アリスはゆっくりと椅子から立ち上がり、ナズナの前にある本を指した。
「…ナズナお姉さんのその本…人間と魔族との戦争の歴史書だよね」
題名が書かれている表紙を伏せ、背表紙が見えず、題名が全く分からない状態で置かれている本の種別を言う。ナズナは題名を確認し、私達に見せた。そこに捻った題名はなく、アリスが言った通り、「人間と魔族との戦争」と書かれていた。
「…まだ…まだ信じきれないわ」
「…ママはどんなに悲しい映画を見たって泣かない。ママが泣く時は、パパが死んだ時だけ…」
グローリアはどうしても認めたくないらしく、汗をかきながら下唇を噛んでいた。
「あと一つだけ…それで判断してあげるわ」
「…ママが私を娘だと認めたくないのは、これから出会う人達にパパが盗られないか心配だから、怖いから…そうだよね」
握られる拳に力が限界まで込められ、痙攣するように震える。そしてそれは一気に収まり、彼女は微笑んだ。
「確かに怖い…ラクイラに飽きられるのも、誰かに盗られるのも…私の胸の内をそこまで言われちゃったら…信じるしかないじゃない…」
グローリアは、ようやく表情が明るくなってきたアリスに向かって歩き出し、自分より少しだけ育ちの良い彼女を抱き寄せた。
「ママ…ありがとう…」
ようやく緊張が解けたからか、アリスはようやく元の笑顔に戻り、涙していた。神様は慈しみに満ちた笑みを向け、ナズナはハンカチで溢れるものを拭っていた。
「私の娘ならそんなすぐに泣くんじゃないの…全く…今のラクイラと同い年のくせに…あんたの方がよっぽど子供みたいね」
グローリアは慈愛を込めて彼女を抱きしめながら頭を撫でる。いつぶりかの母の温もりを感じているからか、アリスの涙腺が崩壊していた。
「だって…だって…!ママとパパに会いたかったから…!」
そこには、子をあやす親の姿が、グローリアは静かに微笑みながらアリスを包み込み、優しく撫でていた。
「…もう大丈夫…」
彼女が落ち着く頃にはグローリアの服がぐちゃぐちゃに濡れていた。
「ごめんね、レイカ君とリオンちゃんの所に行って欲しいってお願いしたのに…私が案内しなきゃ、ダメだよね」
アリスは自虐を織り交ぜながら涙を拭う。若い頃の親に会い、さぞ幸福な涙を流せたことだろう。
「パパ、ママ、改めてお願いがあるの」
「ええ、言ってみなさい」
気づけば神様はナズナと共に席を外し、この場には私とグローリア、そしてアリスの三人だけがいた。
「レイカ君とリオンちゃんに…出会いに行って欲しいの」
「もちろんよ!あんたは私たちの娘だもの!それくらい叶えてあげるわ!」
グローリアは私の腕に絡みつき、共にアリスに微笑みを向ける。そして彼女は、初めて会った時のように、眩しい笑顔を返した。
「それじゃ神様!ナズナお姉さん!行ってくるね!」
私とグローリアを引き連れて外に出ると、アリスは見送りに玄関にいた神様とナズナに向かって大きく手を振る。ナズナは情に厚いからか、未だに泣き声を上げていた。
「ラクイラ様とグローリア様の娘様が…こんなに愛おしく思えてしまうなんて…!」
「あはは…これは泣き止むのにしばらく時間がかかりそうだ…三人とも、気をつけて行くんだよー」
神様は泣き続けるナズナを介抱し、苦笑いを向けながら手を振り返した。門をくぐって外に出たところで、際限無しに泣き声を上げる彼女の声が聞こえてきた。
「それじゃ、行こっか、あの二人の所に!」
門を過ぎ、張り切るアリスがそこに入るものの、私とグローリアは、どのようにしてそこに行けばいいのか全く分からなかった。そのような疑問を投げかけようとした時、アリスがペンを取り出し、門に向かって何かを描き始めた。そこにキャンバスはないものの、模様やなにかの文字が空中に浮かび上がってきた。
「はい、おしまい!」
十分ほど彼女の創作を眺めていたところでペンを仕舞い、浮かび上がった線が実体化する。公道と私有地を隔てる鉄門が、不気味でありながらもワクワクさせるような、別世界へ繋がっていそうなゲートへと変貌した。その先には異空間が広がり、本来見えるはずの屋敷の玄関口が見えなくなっていた。
「パパ!ママ!行くよ!」
グローリアと共にアリスに手を引かれ、心の準備が出来ぬまま飛び込む。一瞬だけ肉体と意識が乖離したような感覚に蝕まれるも、気づけば草原の上で仰向けで横たわっている。グローリアとアリスは私の真横にそれぞれ同じように寝転がっていた。
体を起こし、目の前にある森から優しく吹く風に当たり、体が脳へ伝達する。ここは同じ世界だと。
「何よここ…なんだか不思議な感じがするわね…」
不快感ではなく、好奇心に満ち満ちた感情が言葉に乗せられる。周囲を見渡すと、街と呼べるものは愚か、人工物すら見当たらず、前方には森、背後には雪山といった、自然しかない場所に私達は立っていた。
「この森が、パパがレイカ君とリオンちゃんと出会った場所だよ」
アリスがそういい、先導するよう進んでいく。呼び止める理由もなく、私とグローリアは何も言わずについて行った。
森へと足を踏み入れると、晴天だったら空が一転。木々によって光が遮られているのか、常夜のように暗くなり、まだ昼間のはずなのに、夜だと錯覚してしまいそうだった。
「ねぇアリス」
虫の鳴く声や草葉を踏む音だけが聞こえる中、沈黙に耐えかねたグローリアが訊く。アリスは反応するものの、その足を止めなかった。
「なぁに?」
「この森に…その…龍とか妖精とかがいるのよね?」
「うん、居るよ」
「まだ虫しかいないんだけど…」
「せっかちなのは昔からだったんだね」
アリスが笑って応える。まだこの森の規模が分からないものの、グローリアの言う通り、まだ虫しか見かけず、妖精や龍どころか、大きな羽を持つ生き物すら見かけなかった。
それからしばらく歩いていると、宙に浮かぶ二つの小さな光の玉がこちらに近づき、私たち三人の周りをぐるぐると回りながら飛んでいた。
「ニンゲンサマ!ニンゲンサマ!ニンゲンサマガヤッテキタ!」
「ニンゲンサマガモドッテキタ!リュウゴロシノニンゲンサマ!」
カタコトながらも人間がわかる言葉を話すそれに驚くも、アリスは何も反応せず、それが当たり前かのように小さな光の玉を手の上に乗せた。
「アレ?デモナンカ、カオチガウ?」
「カズモチガウ!ナンカオオイ!」
「ハジメマシテナニンゲンサマ!」
「ヨウセイノモリ二ヨウコソ!ニンゲンサマ!」
妖精の森…アリスの手の上に乗っている光の玉は、その姿をはっきりと見せないものの、それから聞こえる声がはっきりとそう言った。そして、その声は何か気になることを言っていた。
「戻ってきた…?龍殺しの人間…?」
「リュウゴロシ!ヨウセイヲマモッテクレルニンゲンサマ!」
「ワルイリュウヲコロシテクレルニンゲンサマ!」
「リュウゴロシノニンゲンサマ!ヨウセイノモリカラキエチャッタ!」
「デモカエッテクルッテイッテタ!」
元気に返答する光の玉に高さを合わせるようアリスがゆっくりと手のひらを上げる。気づけば最初の二体よりも数が増えていた。
「その龍って何処にいるかわかる?」
彼女がそう訊くと、光の玉は飛び上がり、森の奥へと向かって進み始めた。
「コッチ!」
「えらく友好的な妖精ね」
どうやら友好的なのはあの二体だけではないようで、どこからかやってくる他の妖精も、私たちの肩の上に座ったり、周囲を飛び回ったりして楽しんでいるようだった。試しに光の玉をつついたり、撫でてみたりするも、嫌がる様子はなく、嬉しげに受け入れていた。
「ニンゲンサマ!ツイタ!」
最初の二つの小さな光の玉が大きな洞穴の前で止まる。その奥は何も見えず、真っ暗闇だった。
「ニンゲンサマ!キヲツケテ!ミドリノリュウ!アブナイ!」
「コノサキ、ヨウセイノセイイキ!ミドリノリュウ、ソラカラフッテキタ!」
降ってきた…ということは、この洞穴のどこかの天井に穴が空いていると見て良いだろう。そしてその緑の龍は、今現在力を失っている可能性が大いに考えられた。
「きっと…この先にいるんだよ」
アリスは小さくそう呟き、洞穴の中へと怖気ずに入って行った。