世界機関
草原になびく風を感じながら目を閉じ、神様に身を委ねる。自然の匂いは一転して街中の賑わいが聞こえてきた。神様の服から手を離し、目を開くと、そこはナズナの屋敷の門前があり、敷地内に見知らぬ少女が辺りを見渡していた。
そんな少女に不審感を抱きつつ、門をくぐって近づく。家主であるナズナが彼女に近づき、声をかけた。
「あの…どうしました?迷子の方ですか?それとも私になにか御用でも…」
少女はこちらに振り向き、満面の笑みを向けた。
「おかえりなさい!ナズナお姉さん!」
眩しいとすら思えるほどにキラキラとした笑顔に気押され、さらには赤面してしまうナズナを横目に少女は歩き、私とグローリアの前に立つ。背後に居る神様は何かを察したようで、他人事のようにクスクスと笑っていた。そして少女は私とグローリアを同時に抱きしめるように飛びつき、そのまま押し倒した。
「な…何よあんた!ナズナの知り合い?」
グローリアが無理やり引き剥がそうとするも、少女は頑なに腕の力を弱めず、首を横に振った。
「ううん、違うよ…私はね、パパとママの娘だよ!」
「「はいぃ!?」」
グローリアと全く同じ反応を少女に向ける。彼女と出会って二週間経っただろうか、そんな期間にも関わらず、娘がいる、しかも、その体つきは少し大人に近づいている。年齢的には十代後半だろう。
白髪ロングのグローリア、黒髪ショートのラクイラ…そして金髪ロングの少女…染髪を抜きにして考えた時、遺伝的にも、時間的にも、明らかに説明がつかない。それでも少女は、確かに、私たちのことをパパ、ママと呼んだ。
「くくっ…くふふ…そうか…やっぱりそうだったんだね…」
「神様!一人で納得しないで下さいよ!」
少女が離してくれない中、神様は一人でこの光景を見て笑っている。優越感に浸ってるであろう神様にじわじわと腹が立ってきた。きっとそれは、少女に頬ずりされているグローリアも同じだろう。
「これはボクの憶測なんだけど、その子はきっと未来から来たんだよ」
少女が作られた生物や機械でないということに限定されるものの、彼女の言動や体躯的にはそれが一番自然だった。
未来から来たというあまりに不信な憶測にどこか納得してしまい、グローリアと顔を見合わせてから少女の顔を見る。少女は私たちの視線に気づいたからか、頬ずりを止め、私たちと目線を合わせ、可愛げな笑顔を見せた。
「神様の言う通り、私は未来から…今から十八年後の未来から来たの」
「十八年後…?」
十五年でもなければ二十年でもない十八年後…概算せずに言う彼女に、気がつけば不審感が薄らぎ、娘であることを受け入れ始めていた。
彼女はようやく満足したからか、私とグローリアから身を離し、赤面してうずくまっているナズナを引き連れ、そのまま屋敷の中へと入っていく。なんの気負いもなく入っていく彼女に、未来の私達に呆れながらついて行く。隣で歩いているグローリアからも大きなため息が聞こえてきた。
「まずは自己紹介からしないとだね!」
リビングに入り、いつの間にか五人分の椅子が用意されているテーブルに着く。ここの使用人は優秀…と思ってもいいのだろうか、少女の存在に疑問符をうかべず、淡々とティーポットと人数分のカップ、そして洋菓子をテーブルの上に用意していた。
少女は使用人にも眩しい笑顔を向け、カップに注がれた紅茶を一口飲み、一息ついてから話し始めた。
「私の名前はアリス。ベル・アリス…十七歳だよ」
「少年と同い年…!?」
今から十八年後…妊娠から出産が一年と仮定した時…アリスが産まれてくる世界線の私達は一体どれだけ盛っているのだろうと失望してしまう。
「そう…そしてこの私がいた今から十八年後の今日…パパとママは殺されちゃうの…」
今までの太陽のような笑顔から一転、重い空気を一人で作り出すかのように思い詰めた表情に変わった。
「パパは戦いに負けて殺され…ママはパパが居なくなったことで自殺…神様は消滅し…ナズナお姉さんは突然姿を消したの」
たとえ、ある程度心身が育っている彼女と言えど、両親や家族同然と思える周囲の人間が立て続けに姿を消してしまっては精神が保てないだろう。アリスの目的は恐らく、今から十八年後の未来を変えに来た。ということだろう。しかし、何故それが直近の一年前ではなく、彼女自身が生まれてくる一年前になるのか、これが分からなかった。
「この時代のパパが全盛期で…これから出会う人達がその後に関わってくるって話なの」
アリスは私の考えを見透かしたかのように話す。カップの中に入っている紅茶からは、もう湯気が消えてきた。
「話…ということは…誰かから聞いたということで良いのでしょうか?」
椅子に座ってしばらくしてからようやく正常に戻ったナズナが訊く。アリスは暗い表情をしつつ、小さく頷いた。
「世界機関の人達から聞いたんだ…パパは…パパがこれから出会う人達は、この先の世界にとって重要な役割があるって」
「それはいいんだけど…」
未だにアリスがこの時代に来た理由が話されずに、今思っていることをそのままぶつける。
「なんでこの年に…?それに世界機関って一体…」
「まず世界機関の方から話すね」
アリスはそういい、冷めた紅茶を一口飲んで話し始めた。
「世界機関っていうのは、選ばれた極々少数しか所属することが出来ないもので、種族の壁はなく、最高機関として絶対的な力を持っているの。その世界機関は、三つあって、裁判所、執行所、そして…図書館」
彼女は指折りで数え、最後はテーブルに置かれた真っ白い表紙の本を見て言った。
「もしかして…私達さっき行ってきた世界図書館って…世界機関の…?」
グローリアが驚きながら訊くと、アリスは強く頷く。そして、彼女の前に置いてある本を指さした。
「ママが借りたその本で、私が産まれてくる未来の可能性が高くなったの。だから今、こうして私がいるんだ」
初めのあの表情は一体どこへ行ってしまったのか、陽気な話し方は残りつつも、声に抑揚が無くなってきた。たとえアリスが私たちの本当の娘であろうとなかろうと、少し心配になってきた。
「それじゃ…この時代に来た理由は?」
「一つはさっきも言ったけど、この時代のパパが全盛期で、この先出会う人達が大事になって来るから。もう一つは、私がいる時代には戻れないから」
「そうなると…君がこの時代に来てしまったことで、君が生まれなくなってしまうんじゃないのかい?」
俗に言うタイムパラドックス。過去を改変してしまい、矛盾を作り出してしまうこと…アリスが未来からこの時代に来てしまい、私達と出会ってしまったことで、アリスを産む未来がなくなってしまう。となると、今目の前にいるアリスの存在そのものが矛盾していることとなる。それでも彼女は焦ることなく落ち着いていた。
「大丈夫だよ。世界線干渉って言ってね、図書館の人が、私がいた未来と、私がいない過去を切り離して独立させちゃったの。だから私が生まれてくる未来にはもう過去はなくて、この時代には確立した未来がないの」
「なら一体どうやってここに…?」
私がそう聞くと、アリスはメモ帳とペンをポケットから取り出し、サラサラと走らせる。
何かを書き終え、ペンをノックして芯を仕舞うと、どこからともなく立派な一ピースのショートケーキが現れた。
「これが私の能力…存在創作。バパの消滅の能力と、ママの破壊の力とは対の能力。これを使って、ヴィオリさんと協力して未来からこの時代に私を作ったの」
ヴィオリ…世界機関の一つである世界図書館の司書である彼がここまで干渉したとなると、余程深刻な…かつ大きな恩返しだろうと考えられた。
アリスがここへ来た経緯を話すと、グローリアが神妙な表情で腕を組み、唸りながら考える。
「この手の話しは難しすぎて分からないわ。とりあえず、この時代でのラクイラが一番強くて、この先出会う人が私たちの人生で重要人物になってくるってことでいいのよね?」
アリスは頷く。
「じゃ…その人って誰?」
彼女は言い淀み、何かを考え込み、そして話し出した。
「…誰がどの役割とまでは言いきれないんだけど…二人…いや…二体は確定しているの」
二人ではなく二体…あえて数え方を変えたのには意味があるだろう。そうしたということは、人間ではないと考えても良いだろう。
「それで…その二体…?は一体誰なのでしょうか」
ナズナが訊くと、アリスは暗い表情のまま答えた。
「翡翠の龍…レイカ、奇跡の妖精…リオン」