退屈な自由、幸せな束縛
目的のものを探し終え、あとは本を借りて帰るだけとなったところで司書を探しに歩く。迷路を進んでデスクがある場所にたどり着くも、彼女の姿はない。そこからグローリアは翼を広げ飛び上がり、高所から探し、ナズナは幾多とある本に目移りしながら迷路を歩く。そして私は、神様の勘を頼りに宛もなく歩かされていた。
再び迷路を彷徨い、どこかにいるであろう司書を探す。この時にはグローリアのように空を飛べたらと強く望んでしまっていた。
十分後、ナズナから着信が届き、電話を繋げると、不自然な隙間ができているとの話だった。電話を切らずに、空を飛んでいるグローリアを呼び寄せ、彼女の元へと向かう。
ナズナの元へと着くと、確かに二つの本棚の間に隙間があった。その奥から冷たい風が吹いている。本棚に手をかけて前後左右に動かすと、見た目に反して軽々と動き、下へと向かう階段が続いていた。
「ね…ねぇ…誰か懐中電灯持ってない…?」
この先に司書がいると見て間違いないだろう。しかし、明かりがないというのはあまりに危険だった。
「……ラクイラ、もしかしてあんた…怖いの?」
グローリアに心の内を覗かれたかのように核心を突かれる。図星だと悟られないよう苦し紛れに微笑んだ。
「怖くなんかないよ…ただ、暗いから足を踏み外したら怪我しそうだなぁって」
「それにしては両足が震えているように見えますが…」
ナズナにも痛いところを突かれ、グサグサとなにかが胸に刺さる。
「しょうがないわねー!」
グローリアはそう言って広げていた翼を閉じ、腕を絡めて密着してきた。多少歩きにくくはなるものの、これほど安心するものは他になかった。
「そっかー、少年は暗いのが怖いのかー…君はいつまで経っても子供だなー」
決して私は暗いのが怖いわけではない、神様から見たら人間など皆子供だろう。なんて思いながら神様に小突かれる。そんな光景を見ているナズナは楽しそうに微笑んでいた。
薄れつつある恐怖と恥ずかしさに挟まれながら階段をゆっくりと降りると、小さな縦長の光が見えてきた。恐らく同じ高さにあるだろうと思いつつも、気を抜かずに足元に注意して歩く。近づいていくうちに、二人分の人影が見えてきた。そのうちの一つは司書のものであるとすぐに分かった。
気づけばその光に導かれるように体が勝手に前に進み、光を発しているカプセルを前にする。その中には、一人の男が眠った状態で入っていた。
「…見つかってしまいましたか…と言うのは野暮でしょうか」
私達の足音に気づいたからか、司書はこちらに振り向かずにそう言った。周囲にある機械が発している光で多少は明るくなっているこの部屋の中で、気づけばグローリアは私から離れ、ナズナと共にカプセルの中の青年を見上げていた。
「わざわざ隙間を開けていたくらいなんだ。きっと探しに来るだろうと思ったんだよね」
彼女の策略とまでは行かないものの、ここへと誘い込むには賭けに出たということだろう。
「このカプセルは一体なんでしょうか…中に入っているこの方は…」
ナズナが胸の内を包み隠さずに言葉に乗せる。司書以外の全員がこの部屋にある機械が気になっていたことだろう。
「どこから話しましょうか…」
司書はここでようやく私たちに体を向ける。振り向きざまに見えた顔には、どこか困窮したような表情をしていると思ったが、彼女の背後から発される逆光にその表情を隠されてしまった。
「その前に…まだ名乗っていませんでしたね…申し遅れました。私はアラリカと申します」
アラリカは名乗った後、自分は本来はここの者ではないこと、このカプセルに入っているのは主人であること、この主人を生き返らせる術を探していることを順に話した。
「皆さんのうちの誰かが神であることはもう知っています」
「はーい、ボクでーす」
神である伊倉は隠さずに手を上げる。そして私の体から降りて彼女の前へと歩き出した。
「神であれば人間にはない知識をお持ちのはず…ならば、蘇生する方法をご存知ないでしょうか」
「あー…まぁそう言うだろうとは思ったよちょっと見せてくれるかい?」
アラリカは「どうぞ」と一言だけ言ってカプセルから距離を取った。そして神様はカプセルに歩を進め、中にいる男の状態を見た。
「刺傷が一つ…他に外傷は無しと…自殺ではないね…仮に自殺だとしても、心臓や手首を切るほうが簡単なはずなのに、この人は腹部を浅く刺されている…君がやったんだね」
「はい、私以外になる人はいません」
アラリカは言い逃れもせず、素直に認める。そして先程の話に続け、この人は体が弱っている中、自分が風邪を移して悪化させてしまったこと、そして最初で最期の願いとして殺してしまったこと、罪を償うために術を探していることを話した。
「アラリカ様は…殺したくて殺してしまったのでは無いと…」
傍にいたナズナが諭すと、彼女は小さく頷き、再び話し出した。
「ご主人様は私の手で逝かせて欲しいと仰っていました…刃物を押し付けられ、そのまま抱きつかれては腹部に刺さってしまい…」
「この方はアラリカ様の自由を願って自らを殺させた…アラリカ様はこの方との幸せを願って自信を犠牲に模索している……私としては生き返らせて差し上げたいのですが…」
「同感…同感なんだけど…それだとこの人の最期の願いが無駄になってしまう…難しいわね」
今まで何も話さなかったグローリアが初めて話す。彼女の言う通り、死人となったアラリカの主人の願いを叶えさせるべきか、生者であるアラリカの幸せを願うか…そのどちらも、どちらのためであることは目に見えており、どちらを取るかは明白であるものの、決まった答えを出すことが出来なかった。
「私は自由など要りません…退屈な自由より、ご主人様からの束縛が欲しいのです」
「…よし…」
アラリカが決心しているかのように話すと、神様はカプセルから一歩下がり、彼女の方を向いた。
「確認なんだけど、いくら腐敗してないと言えど、時間が経ちすぎている。もしかすると君のことを忘れている可能性が高い…それでもいいかい?」
神様からの問いに彼女は即答せず、下唇を噛み、強く拳を握り、苦悶の表情を浮かべる。両手と唇からは血が滲み出ていた。これは二度と引き返せない大博打。このまま何もせずにいれば彼女の主人の願いは叶うが、彼女は不幸な自由を過ごすこととなってしまう。生き返らせると、アラリカのことを忘れてしまっている可能性が付き纏う。零を取るか、一か百の博打を取るか…彼女はこの選択を迫られていた。
「神様、仮に生き返らせるとして、どうやって生き返らせるんですか?神様の心臓は私が持ってるじゃないですか」
「別に生き返らせるのに心臓が必要な訳じゃないさ、君が特例だけだっただけ…ボクがなんの神なのかもう忘れたのかい?」
神様は…伊倉は生命の神であり、私の命を救った張本人…忘れるはずがなかった。
「ねぇ、一つ気になったんだけど」
グローリアは腕を組んではカプセルの前に立ち、中で眠っている男を眺めながら訊く。
「生き返らせたらこの人は元死者ってことになるわけよね?記憶が残っていたとしてもよ?アラリカはそれでもいいの?」
一度失ったものを取り戻す…それは普通では無くなることと同義だった。彼女は真っ直ぐに神様を見つめている。決心が着いたようだった。
「それでも構いません…元死者であろうと、生き返るのであれば…それでも…!」
「後悔しないね?始めたらもう戻れないよ」
「構いません。ようやく得たこの機会を逃す方が後悔してしまいますので」
「…分かった。少し待ってて」
アラリカは揺るぎない覚悟を持っていることがヒシヒシと伝わってくる。彼女の覚悟に気圧されたからか、ゆっくりとカプセルに手を伸ばし、透明な壁を透過する。そして傷口をなぞって治し、今度は胸の辺りに手を伸ばし、体内をまさぐった。
「…あった」
神様は緊張感に満ちている静寂の中で静かに呟き、胸の中から『明らかに害のある異物』と思わせる、手のひらサイズの物体を取り出した。それは生きた心臓のように脈打ち、棘を伸ばし、別の体内へと入り込もうとしていた。そしてその相手は…私だった。
瞬きすらする隙すら与えてくれず、茨のように伸びる棘が私の胴体に集中する。異物の棘が体に刺さろうとした瞬間、透明な壁がそこにあるかのように阻まれた。異物はどうしても寄生したいようで、壁を貫こうと何度も、何度も何度も茨を突き刺す。そして叶わず、時間が来てしまったのか、そのまま粉々になり、塵となって消えて行った。
「な…なに…いまの…」
グローリアが大きく目を見開きながら言う。一方ナズナは、異物が侵入しようと攻撃する光景を見て、一時的に精神が追い込まれたからか、白目を向いてその場で気絶していた。
「私もわからない」。そう答えようとした時にあの一文を思い出す。『所有者の魂は神聖なる加護によって護られる』…現身鏡の説明文の一文だった。あの異物が魂に干渉するものであったならば、それで説明がついた。
「少年の剣が…護ってくれたんだよ」
神様は詳しことは話さずに、カプセルの周囲にある機械で中にいる男の状態を見る中、グローリアはあの説明では何も理解出来ずにいた。
神様が疑問を表情に浮かべ、再び胸の辺りに手を伸ばしては中を、心臓部をまさぐった。
「動いた…!」
そんな神様の驚喜の声にナズナまでもが反応する。中にある男はまだ意識を取り戻す様子はないものの、周辺機器のメーターが動き出し、心電図にも動きが見られた。そしてアラリカは、カプセル内で溺れないようにと男を外に出し、清潔ではないものの、不潔でもない床に横たわらせた。
「ご主人様、ご主人様…!」
彼女は男の体を揺さぶり、起こそうとする。そこに、意識を取り戻していたナズナが手を取った。
「そう起こしてはこの方にも無理をさせてしまうでしょう…」
「ですが…ですが…!」
今度はグローリアが彼女のもう片方の手を取り、男の心臓部に当てた。
「ほら、動いてるでしょ?この人は無事よ、あんたの願いは、叶ったのよ」
アラリカは鼓動を、体温を手のひらに感じ、涙を流す。
「温かい…動いてる…良かった…ようやく…ご主人様と…!」
張り詰めた糸が一気に緩むように溢れる歓喜の涙が、男の肌に落ちた。
「さて…こんなところにいるとアラリカさんの顔が見えないだろうから…地上に出るか」
私が言うと、アラリカが男の体を背負い、一階のデスクへと向かった。
彼女はそのままデスクに男を再び横たわらせ、彼が目覚めるまでの間、アラリカが様子を見る。そして私達四人は周囲の本を読み漁っていた。
しばらくして、聞いたことの無い低い声が耳に入ってくる。気のせいでは無いと願いつつ、デスクの方へ戻ると、一人の男がアラリカと向き合っていた。
「これは…一体…」
彼は自身の体と私たちを見て狼狽えた。
「やぁ元気かい?」
神様が男の視界に映り込み、手を振りながら言う。まだ耳が聞こえていないからか、それとも、聞こえて驚愕しているからか、唖然としていた。
「元気…です…その…貴方たちは一体…」
「この方達が助けてくださったのですよ…!」
アラリカが言うと、いたたまれない表情をしながら私たちから目線を外した。
「まさか生き返るなんてね…しかも持病も治って…なんと言ったらいいのか…」
「生き返る…?ってことはあんた、アラリカのこと…!」
「もちろん…覚えているよ…死んでも忘れられないから」
男が再びアラリカと見つめ合う。彼女の足元にいた白猫は男に近づき、匂いを付けるように顔を足に擦り付けた。
「自己紹介がまだだったね…」
男はそう言いながらしゃがみ、地を歩いている猫を抱き上げた。白猫は嫌がる素振りを見せず、彼の腕の上でくつろいでいた。
「僕は…ここ、世界図書館の司書で…ヴィオリと呼ばれているよ。以後お見知りおきを」
ヴィオリはそう言い、猫を落とさないように頭を下げた。