司書
あれからどれくらいの時が経っただろうか、日数を数えてきたはずがいつの間にか忘れてしまっていた。それでもあの方と過ごしてきた短い時間は一瞬たりとも忘れたことは無い。
退屈で無意味で、無限にも感じる時間を何とかして過ごそうと口を開き、何かを謳おうとするも、何も思い浮かばずに口を閉じる。今までこれを何度繰り返してきたのだろうか、もう忘れてしまっていた。
退屈に耐えられず、「未来」を見ようと目を開く。瞬きをしてはチャンネルを切り替え、また切り替える。どうしてもみたい未来が、見れなかった。
「…いつになったら貴方を救う『未来』が見れるのでしょうか…一体いつになったら…貴方と『今』を見れるのでしょうか…」
静かにページをめくる音だけが聞こえるこの図書館の中で私の声が木霊する。
「私は幸せでしたよ…ご主人様…」
「ご主人様」…この単語を口に出すだけで今となってはあらゆることを思い出す。出会いから別れまで、全て…
(貴方は必ず私が救い出してみせます。罪を償います…だから…その時まで…)
膝上で眠っていたはずの猫の耳がピクリと動き、私の肩の上に飛び乗っては頬を舐め始めた。
「んっ…そうですね…泣いてはいけませんね…まだ…諦めるのは早い…」
先程見た未来に出てきた、こちらに向かっている一組の客人達…その中には神が一柱…今はその神が何か知っていないかと賭けるだけだった。
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私は元々この図書館にいた訳ではなく、ここよりも高い場所、神に最も近い場所と呼ばれた天使の国に住んでいた。
天使の国…それは思い描くようなユートピア。そこは誰もが不自由なく暮らし、なりたいものになることができ、やりたいことがやれるようになる。幸せなのが当たり前な国だった。
住人には皆、輪っかと翼がどこからか授けられる。しかし、なかった。私だけには。
同年代の同族が皆次々に与えられる中、私だけはどれほど待っても、どれほど望んでも、与えられることは無かった。そしていつだったか、「未来」を見れない日があった。それももう何年も前の話だった。
私は周りと比べてしまい、劣等感を抱いた。それが大罪であると知らずに。
不幸罪、処罰は死刑のみ…これが私の罪状だった。天使長から死刑を言い渡された時、心の底から救われるような気がした。不幸な私が居なくなれば、私も皆も幸せになれる。そんな気持ちになりながら鎖に繋がれ、薄暗い牢獄の中で過ごしていた。
閉じていた目を開き、未来を見る。いくら瞬きをしても一面に星空が映るだけだった。本当に死んでしまうと思うだけで鎖など気にならずに解放された気分になった。
(やっと…死ねるんだ…早く…死にたい)
投獄されて早一週間。牢屋の食事にも慣れ、そろそろ体を動かしたいと思い始めたところで鍵が開けられた。
(来た…!)
暗がりの中から聞こえるのは二人分の足音。どんどん私の元へ近づき、胸を躍らせる中、そんな事を他所に両足を拘束していた鎖の鍵を解かれる。
ようやく自由になれる。そう思いながら警備兵に連れられ…地上に降り立った。
「…殺してくれるんじゃ…?」
左右で私を警護していた奴らに聞くも、何も答えずに、これ見よがしに翼を羽ばたかせて去って行った。
目の前には雲を突き抜けるほどの塔のような建物があり、他に行き先はなく、仕方なくそこに入った。両開きの扉を押し開け、その景観に心底驚嘆する。晴天の元、一面の草原に異風を漂わせるこの塔の中は、異世界に迷い込んだかのような灰色の世界。そして壁を全て覆い尽くしている本棚…ここが図書館であることはすぐにわかった。
「おや…お客さんとは珍しい」
並べられた本棚に次々と視線を配る中、足音に気づいたからか、本棚の壁の最奥からそんな声が聞こえてきた。迷路を進みながら声のした方へ向かうと、一人の男がデスクの上で本を広げては静かにページをめくっていた。
ここに降り立って、初めての生物がこの人間だった。警備兵共がここに連れてきたということは、なにか意味があるのだろうと歩き出した。
「私は…」
「いや待って、君は…そうかそうだ。いやすまない」
自己紹介をしようとしたところで目の前の男は一人で納得し、初めて私に顔を見せ、読みふけっていた本を閉じて私の方へ歩いて来た。血が通っているのかと疑問を抱かせるほどの白い肌に体を強ばらせた。
「君がここへ来るのを待っていたんだった…今日だったのか…」
私の前で立ち止まるなり、申し訳なさそうに目線を外していた。
「はじめまして、僕はここで司書をしている。名前は…ヴィオリと呼ばれている」
「待っていた…?呼ばれている…?話が掴めませんが…」
「そうだね…どれから話そうか……僕に名前はない…いや、忘れたの方が正しいのかな?ずっとここで誰とも会っていなかったから忘れたんだよ」
名前を忘れた…それなのにこの男、ヴィオリがこんなにも平然と居られるのが不思議でしかなかった。
「それで君を待っていたというのは…僕は君を買った。君がいた国から」
そのことについては何も聞かされていなかった。死刑となるはずの私が今ここにいるのは、ヴィオリのせいということだろう。そう思うだけでこの男に対する憎悪が芽生えた。
「貴方は…何者なんですか」
この男に対する怒りを押さえ込み、正体を聞く。一人でここに居ながら私を買うなど、只者ではないからだ。
「僕はね…ここの司書だよ」
「私が聞きたいのはそうじゃなくて…!」
「本当に僕は…ここの司書なんだ。それ以外の何者でもない…」
その後ヴィオリは何かを思い出したかのように言葉を繋げた。
「君を買った時に言われたんだ。元死刑囚だから隷属のように扱ってもいいと、その方が君も幸せだろうとも」
全身から血の気が引く。突然ここへ連れてこられ、突然奴隷にされる…何も聞かされていない私に、生きる意味を問いただしたくなった。
「…何をする気なんですか」
今はもう自殺することしか考えていない。酷い扱いをされるくらいだったら、体が綺麗なまま死んだ方がマシだった。
「いや何も?」
ヴィオリは間を開けずに即答した。
「ただ、君を買った以上大切に面倒を見るだけだよ。あっでも一個だけ…」
「…なんでしょう」
「僕のこと…『ご主人様』って呼んでくれないかな…ちょっと憧れてて」
ふざけた願望に呆れながらも、それくらいなら許容できると頷いた。
「分かりました…ご主人様」
「そうだ、君の名前、教えてくれるかな?知っているんだけど、君の口から聞きたくて」
知っているのであればわざわざ口にする必要はないだろうと思いつつも、感情の読めないこの男の気を立てないようにと観念して名乗ることにした。
「エドヴェール・ナリア・テレスメーナ・ラネサ・エンテール=アラリカと言います。エナエラやアラリカと呼ばれていました」
彼は私が名乗っている途中から頭を抱えていた。なぜ抱えるのか、私には分からなかった。
「よ、よろしく…アラリカ…」
ヴィオリがそう言いながら私の前に手を差し出したが、私にはその意図が汲み取れなかった。
「…握手だよ、知らない?」
「あく…しゅ…」
天使の国ではそんなことをする機会がなかったため、訳も分からずに同じく手を差し出すと、彼は私の手を引き寄せ、にこやかに笑いながら手を上下に振った。
その日から私とご主人様の全てが始まった。この時の私はまだ、ヴィオリのことはどうでもいい存在でしか無かった。