神&能力者vs能力者&能力者
「ねぇ、こんな朝からどこ行くのかな?」
やっとのことで逃げ出した灯織の家から数百メートル走ったところで後ろから彼女の声が聞こえてくる。
(少年!止まるんじゃない!走り続けるんだ!!)
寝ていたと思っていた灯織の声に反応してその場で立ち止まろうとした瞬間、神様が私の中で声を荒らげる。ようやく得られた逃げる機会、逃す訳には行かなかった。
「あーわかった…ナズナって人のところに行くんだね…?ダメだよ…そんなろくに君のこと知らない人より、私達と一生一緒に暮らそうよ!」
遠くからコンクリートを砕く音が聞こえ、数百メートル離れていたはずの灯織の気配が、暴風のように迫ってきた。
「やっぱり伊黎君は遅いね!もう追いついちゃうよ!」
巨人がすぐ後ろで歩いているかのように道路が割れる音が近づいてくる。
(少年!そろそろ来る!)
彼女の言う通り、私は走るのが遅い。だからもう逃げず、迎え撃とうと、右足のつま先を軸に体を後ろに向けた。
「君は弱いからすぐにボロボロになっちゃうんだよ!だから私が、最期まで面倒見てあげるね!!」
残り数十メートル。振り向いた瞬間に見えた彼女は、狂っているように笑っていた。そして握り拳を作り、私に殴りかかろうとしていた。
「もう君が傷つかなくていいように、私が再起不能にしてあげる!」
どこか矛盾していることを感じつつも何らおかしくない言葉と共に彼女の拳が、頭を守るように出した腕に直撃した。一体その力はどこから出てくるものなのか、ごくごく普通の体型からは信じられないほどの威力があり、腕の骨は砕け、勢いも相まって後ろに殴り飛ばされた。
三日月が照らす中で道路に倒れ込み、両腕が砕かれた痛みに汗を流しながら叫び声を上げる。もしも今の拳をそのまま受けていたら、確実に頭と胴体が離れていた事だろう。
(待ってて少年…!今ボクの力で…!)
脳内で響く神様の声が私の声にかき消される中、両腕についた打撲痕や飛ばされて地面に引きずった体の傷が癒えていく。折れた骨も腕も治り、痛みも引いた。そして彼女へ対する恐れが増した。
「ねぇ戻ってきてよ…!」
再び彼女に殴られようとした時、また視界が暗転し、視界が晴れた直後に後ろから爆発音が鳴り響き、正面には凪咲が立っていた。
(ワープした…?)
(いや違う…空間の時間が戻ったんだ…!)
これまでに一度だけ起きた視界の反転…あの時は私が手にかけた二人がピンピンした状態で、家から飛び出したはずの私が家の中で挟まれていた。これが凪咲によって起こされたものだとしたら…納得しない訳に行かなかった。
「悲しいよ伊黎…こんなことするくらいなら…潔く死んでいれば良かった」
あの時と同様に眼前にノイズが走り、目の前にいた凪咲の手にはナイフがあった。そして、それを何も特別なことはせず、そのまま私に向けて投げる。
やはり油断は命取りのようで、何の変哲もないナイフが空中で止まり、倍々に増殖を初め、道幅を覆い尽くすほどに、壁を作り出すように増えた。
「…私たちが、ちゃんと面倒見てあげるからね」
凪咲はそう言い、指を鳴らすと、止まっていたナイフが一斉に勢いを取り戻し、私に向かってくる。逃げようとするも、後ろには灯織がいる。逃げ場など、彼女に捕まった時点から無くなっていたようだった。
(…少年、ボクは君の治療に徹するから、何とか逃げてくれ…!)
ナイフの壁を前身に受け、灯織の骨を砕く一撃が背中に当たる。死んだ方が楽になれる痛みが全身を襲うも、その痛みはほんの一瞬だけ、生命の神である神様が怪我を治してくれていた。
「殺す気か…!」
ナイフを一本一本引き抜き、一瞬の痛みに我慢しながら言う。
「殺す…?まさか、私達は君を連れ戻したいだけだよ」
灯織がそう言い、再び地面を蹴って私の元へ迫り来る。凪咲が何も動きを見せないことを確認した後に背を向け、先程と同様に腕で彼女の拳を受けた。威力は落ちてない…それどころか上がっているような気がしつつ、激しい痛みと共に殴り飛ばされる。そして、視界が暗転した。
晴れた直後、灯織が何処を狙っているのかの記憶が引き継がれ、避けようとする。しかし、判断が間に合わず、同じ場所に同じ体勢で、さらに強い威力で食らった。そしてまた、視界が暗転する。
今度は殴られる直前だった。避けようとする思考すらできず、体だけが殴られる前の状態になる。腕と拳がぶつかり、またさらに強い威力が全身を襲った。そしてまたまた暗転する。
「もうやめてくれ…!」
十回近く繰り返されたところで、体は無傷のままでありながらも、その分の痛みの記憶が残り続ける。前回よりも今回はまた強くなってしまう。繰り返される痛みに骨を砕かれ続けることが、耐えられなかった。
灯織は拳がぶつかる寸前で耳に入ったからか、急ブレーキをかける。そしてさらに、暗転がしなくなった。
「頼むから…分かったから……やめてくれ…!」
膝から崩れ落ち、その場でうずくまる。二人分の足音が私に近づき、何度も殴られた腕で耳と頭を守った。
(立てぇ!!)
風の音すら聞こえてこないほどに塞いだ耳からではなく、頭の中から声が聞こえてくる。
(立て!立つんだよ少年!君は逃げなきゃ行けないんだよ!!勝たなくていい!負けてもいい!とにかく逃げるんだよ!!彼女達に殺される前に、逃げるんだよ!!)
勝たなくていい。その言葉に体が反応した。不思議と恐怖心も薄れ始め、まともな思考が戻ってきた。こんなところで死んでしまうと、グローリアが笑えなくなってしまうから、勝てなくていい。神様がいるから、無事で帰れれば、それでいい、
彼女達の足音が私の前後で止まり、それに呼応するように立ち上がる。全身に力が入り、ゆっくりと自分の胸に手を当てた。
勝たなくていい。負けていい。ただ逃げなければならない。これが、二人に挟まれた状態での私のやり方だった。
「存在消滅!!」
その場の空間ごと私の肉体を消し去る。血肉にまみれた別世界を経由し、その世界の自分を再び消滅させ、元の世界へと戻る。復元させた場所は、灯織の背後にある遠く離れた交差点だった。
「…中途半端だよ」
遠くから灯織の声が聞こえてくる。数十メートル以上離れた場所から振り返りざまに地面を蹴り、私に向かってくる。そこに先程のような笑顔はなく、どこか思い詰めているかのように、無表情だった。
「…今の君の力は初めて見た。でも、まだ使ってないよね…!炎と氷の力!」
炎と氷の力。その力を初めて使ったのはつい先日の怪異や白百合ナズナと対立した時だった。もしも見られていたのだとしたら…グローリアやナズナの顔が知られている可能性が出てきてしまった。
灯織を迎え撃つべく、その力を見せるべく、拳に炎を宿す。放出することはまだ叶わず、付与することが今の精々だった。
(あの大剣があれば…何かできたのかもしれないね)
私がラクイラという名を貰う前に神様が使っていた大剣、現身鏡。今は私の物となっているものの、こうなるとは思っていなかったがために持ってきていなかった。
「中途半端!!中途半端だよ!!私たちの首を締めた時もそう!その力だってそう!何もかも中途半端だよ!」
灯織の語気が強くなり、その怒りに乗せた一撃と、炎を纏わせた拳がぶつかる。当然私の力が及ぶはずもなく、右の手から肩までの骨が全て砕けてしまった。それでも体内に棲んでいる神様が瞬時に治してくれていた。
「君のその炎がどこから来るのかも知ってる!空気でしょ!?ならなんで風や電気を対象に取らないの!」
彼女から与えられたヒントに驚愕する。私は空気中の水分を使って水や氷を作り出し、熱を使って炎を作り出している。空気中に含まれるものを対象にとっておきながら、空気そのものを対象にとっていなかった。
試しに炎を消し去り、水分や熱などといった難しいことは考えず、目の前にある空気を操ろうと、物質速度変化の能力を空気に使用する。すると、今まで無風だったこの場に、私だけ髪がなびき始めた。さらに力を込めると、その風は勢いを増し、緑色がつき始め、可視化されるようになった。
試しに勢いがついている風を両手に纏わせ、再び私に向かってくる灯織を迎え撃つように両腕を前に突き出す。今まで力を溜めていたかのように、風が突き出した方向に吹き荒れ、灯織を押し出した。
(少年…!あの子の能力が使用される前に早く…!)
飛ばされた彼女を見て、凪咲の空間の時間を戻す能力を警戒する。風を全身に纏わせただけでは追いつかれる未来しか見えず、灯織が言っていたもう一つの物、電気を試すことにした。
空気中に電気と言ってもイメージしづらく、切れた電線からビリビリと走る稲妻を参考に今度は物質構成変化の能力を光を対象に使用した。
全身の毛が逆立ち、身体中に雷が走る。細胞レベルで強く振動している感覚に満ち溢れ、彼女らから逃げるよう背を向け、地面を蹴ると、物質速度変化を自身に使用する時の最大五倍速よりも早く移動することが出来た。さすがに灯織も追いかけることはなく、凪咲も空間の時間を戻して私を連れ戻すことも無く…二人の視界から姿を消した。
周囲を見渡し、二人が何もしてこないことを確認すると、真っ直ぐにナズナの屋敷へと帰っていく。閉ざされた門を雷の力で得た勢いで飛び越え、敷地内へ入った。
(…ごめんよ少年…ボクが誘いさえしなければ…)
あの二人から逃げている最中、何も喋らなかった神様がようやく口を開いた。その第一声は安心でもなければ歓喜でもない、謝罪だった。
「その神様が置いてきたものって…一体…」
(今は君の物となったボクの武器…現身鏡と似ているようで全く違う物…『神刀・現世鏡』…それは…ボクが生命の神として必要なものなんだよ)
「それじゃやっぱり取りに行かないと…!」
灯織や凪咲のことは何も考えず、神様の持ち物のことだけを考えて体を動かそうとするも、何故か動かなくなっていた。
(…大丈夫。まだ必要ないから)
「なんでですか!必要なものなんですよね!」
(…説明は苦手だから、君の体が休まったら行ってみようかな)
「…どこへ…?」
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