いなかったはずの幼馴染
百怪夜行、白百合ナズナの件から翌日、台風一過のようなのどかな昼下がりに、一柱の神様は私を自分の神社に連れ出そうとしていた。
白百合ナズナの一件から翌日の昼下がり、ナズナが住まう屋敷でグローリアとナズナと共に優雅に茶を飲んでいた。
「おーい少年ー!」
私の背後から走ってくる神様の声に反応し、席を立つと、力ずくで座らせるかのように肩の上に飛び乗った。
「…この方は…?」
神様のしっぽや狐耳交互に見ながらナズナが言う。
「あっ、そういえばナズナは知らなかったわね。こいつはラクイラの体の中に棲んでいる神様よ」
「ボクの名前は伊倉だよー」
神様は私の頭の横から手を振った。ナズナはどこか納得したような表情で微笑んだ。
「なるほど…貴女がラクイラ様の…私は黒百合ナズナと申します。よろしくお願い致します」
ナズナが立ち上がり、深々と頭を下げる。神様は自身の大きなしっぽで私の体を包み込んだ。
「悪いんだけど…少年借りてもいい?ちょっと野暮用があるんだ」
「どこ行くの?」
「神様の神社に」
グローリアは「ふぅん」と興味なさげに言うも、「気をつけて行ってきなさい」とその後に優しく微笑みながら付け加えた。
「あぁ、行ってくるよ」
グローリアとナズナの二人に見送られながら神様を肩の上に乗せて屋敷を出た。途中、人とすれ違うことはあったものの、神様のことが見えていないからか、異質なものと視線を集めることは無かった。
「いやぁ、あんな狭い家から大きな屋敷に移り住むとは人生何が起こるか分からないねー」
のどかな青空の元、神様が足を前後に揺らしながら言った。
「狭いとか言わないで下さいよ…一応あれもナズナが用意してくれた家だったんですし…一人暮らしだったんですし…」
私には家族がいるなんて覚えもなければ家に上げるほどの友人もいなかった。一人であの家に住むには十分だった。
「そういえば少年、君の年齢だと、今の時間学校にいるはずだよね」
「……そうですね」
「友達とか……いや、なんでもない。忘れて欲しいな」
神様は思い出したかのように静かに言った。学生時代の記憶なんて、グローリアと出会う前から消し去っていた。
「あれ…?伊黎君…?」
気まずい空気の中、神社へ一直線に歩いていると、私の本名を呼ぶ女の声が背後から聞こえてくる。本名を知っているのは、神様と、ナズナと、同級生の人間だけだった。
「ねぇ、伊黎君だよね!?」
「…少年、呼ばれてるよ」
平日昼下がりの住宅街、近所付き合いの少ないこの街では人通りが少なく、私の視界には他に誰も映っていなかった。
「無視…しないでよ…!」
その声から逃げるように走るも、彼女の足の方が速く、すぐに袖が捕まえられた。
「やっぱ伊黎君、足遅いね…すぐに捕まえちゃった♪」
私の過去の名を呼ぶ声に若干苛立ちながら、マフラーで顔の半分を隠し、首を動かし、横目にその姿を見た。
「あっ…やっぱ伊黎君だ!」
整った顔立ちにうなじが隠れるほどに伸びた黒髪、一本だけ跳ねて見えるアホ毛、黒地のどこかの学校の校章が付けられた制服を着ている女子生徒が、満面の笑みで私の袖を掴んでいた。
「ねぇ!数ヶ月前から行方不明って聞いてたけど、どこ行ってたの?」
どこへも行っていない。強いて言うなれば、執行者に命を奪われ、神様から新しい命を貰ったあと、ナズナの会社から一方的に送り付けられていたもので誰とも関わらずに生活していただけだった。
(…少年)
気づけば、肩の上に乗っていた神様は私の体内に入り、語りかけてきた。
(その子…本当に君のこと…)
(知らない…)
(でも少年の名前を…)
「知らない!!」
(…ごめんよ…)
思わず声を荒らげてしまい。住宅街に私の声が響いてしまう。私の後ろにいる女も驚いてしまったのか、袖から手を離した。
「その声…やっぱり伊黎君だよ!覚えてない?君の隣の席にいた、幼馴染の!」
彼女に苛立ちながら逃げるように走り出そうとするも、すぐに捕まってしまうことが目に見え、一歩を踏み出すことが出来なかった。
「…人違いだよ」
「君がこの街に越してきた時から一緒に過ごしてきたんだよ!?間違えるわけないよ!」
その頃の記憶はもう消し去った。否、消し去ったと思い込んでる。しかし、彼女のことは記憶の片隅にすら残っていない。声も、姿も、仕草も、見るのはこれが初めてだった。
「…私は…伊黎なんて人は知らない…」
「そんなはずないよ…!だって、顔も声も、体型だって!」
「だから人違いだ!」
再び誰も出歩いていない街道で声を荒らげてしまう。今度は彼女は怯むことなく、私の視界にはっきりと映り込んできた。
「じゃぁ…君の名前、教えてよ」
「…ラクイラ」
不本意だったものの、答えなければ解放されそうになかったため、渋々告げるしかなかった。
「ラクイラ…ラクイラ…よし、覚えた!私の名前は和泉灯織!これから君と私が幼馴染だって証拠を見せるから、うちにおいでよ!」
力強く右手を握られ、潰されそうな痛みが走る。灯織と名乗った女は私の反応を待たずしてグイグイと引っ張り、歩き始めた。彼女は私が伊黎のドッペルゲンガーだと一切思っていないようだった。私がいくら今の名乗ろうと、彼女にとって私は伊黎のままのようだった。
(君の幼馴染か…可愛い子だね)
灯織に腕がちぎれそうになるほどに引っ張られる中、神様が他人事かのように言い出した。否定は出来ないが、私にはグローリアが居た。
(なんだか青春って感じがするね!)
(どこがですか…)
知らない人に腕を力づくで引っ張られ、家に連れ込まれようとしているところのとこが青春なのだろうか。私にとっては災難の他なかった。
「着いたよ!ここが私の家!って…来たことあるはずなんだけどね」
いつの間にか立ち止まり、二階建ての大きな一軒家を指さし、灯織が苦笑いを零しながら言った。ここまで来てしまったら逃げることはもうほぼ不可能だろう。
家のドア横には表札がかけられてあり、和泉ともう一つ。
「和泉と…舞原…」
「覚えて…ないか…舞原凪咲…あの子も君のこと、気にかけてたんだよ」
灯織と同様、凪咲という人物にも覚えは一切ない。二つの苗字が掘られた表札を横目に、灯織の後に玄関に上がった。
玄関の正面奥には二階へと続く階段が鎮座し、手前右手側にリビングとキッチンが見える。視界の端でテレビが映像を映し出しているのが見えた。彼女は靴を脱いでリビングへと向かった。
「ただいまー」
「おかえり」
私も家の中へと上がり、リビングに入る。灯織が部屋の中でそういうと、ソファの方から応える声が聞こえてきた。他に彼女の帰宅報告に応える声は聞こえてこなかった。
「もう凪咲ちゃん…相変わらずソファで横になって…お客さんがいるんだよ?」
「え、聞いてないけど…」
灯織が凪咲と呼んだ人物がテレビの電源を消し、ソファから起き上がって部屋の入口を見るように頭を動かした。私の顔を見るなり目を見開き、私の目の前にと慌てて走り寄っては飛び込んできた。
「やっと…やっと会えた…」
女声ながらも低めの声が脳をしびれさせる。私は引き剥がそうと彼女の肩を押すも、離れようとはしなかった。
「ずっと…灯織と一緒に探してたんだ。私たちの学校では落ちこぼれで、余所者で皆の嫌われ者だったけど…私と灯織だけは…伊黎のこと…諦めることできなかったんだ」
確かに私は余所者だった。嫌われ者だった。だから学生時代の記憶なんて消し去ろうとしていた。忘れたと思い込んでいた。それでも、彼女達のことは何一つ知らなかった。
「これでまたあの頃の生活に戻れるね♪」
あの頃が一体いつの話なのかは分からない。それでも二人は心底嬉しそうに微笑んでいた。
そんな二人の表情に、どこか狂気すら感じていた。