黒と白
現れたのは十数体の異形の怪物。骨が無いかのようになめらかに動かす手足に、黒く塗りつぶされたかのような顔の見えない立方体の頭。時計が体内にあると錯覚させる秒針の音が遠くからでも聞こえてくる。
「耳障りね……」
私を抱えて空を飛ぶグローリアが怪異を探しながら言う。怪異を見た街人が阿鼻叫喚としながら逃げ惑っていた。
刻印をつけられた生物を殺し、肉体ごとどこかへ連れていくそれは、死神のようだった。
「あっ!ラクイラ!あそこ!」
グローリアの視線の先には、怪異に追いかけられている人が見えた。当然逃げ切れるはずもなく、確実に仕留めるためか、骨のないであろう四肢を動かし、その場に倒れさせてから馬乗りになり、急所を何度も鎌で突き刺す。一撃死だったからか、痛みに声を荒らげることはなかった。
「グローリア!今すぐ投下してくれ!」
彼女は深く聞かず、その瞬間に手を離した。
真下にあった屋根に着地し、その一息つく間もなく走り出した。背中に携えた大剣を抜き、グローリアからの目印になるように炎を纏わせた。その炎は、街灯すらも消えた暗闇を照らす灯火となった。
住宅街を屋根から屋根へ飛び移り、別の目標へ向かったであろう先程の怪異を探す。遠くから血臭がするものの、声が聞こえないからか、方角の検討がつかなかった。
「ラクイラ!後ろ!」
空からのグローリアの声に反射的に反応し、剣を横に振る勢いを利用して後ろに体を向ける。数回の金属音の後に、人間ではない姿のそれが姿を現した。
「怪異は奇襲もできるなんてな…」
知性があることに驚きを見せる。この暗闇の中での炎は、こちらの位置をバラしているようなものだった。
「…お前は対象外…でもコロス」
「喋った…!?」
時計の針の音しか聞こえてこなかった怪異が、人間の姿をしていないそれが言葉を話しているというのはあまりに奇妙で、恐怖を煽ってくるものだった。
隙を見せてしまっては命取り、一瞬のうちに私の目の前に怪異が真っ黒の箱の頭を覗かせていた。夜空より黒く、光を全くの無意味にさせる闇が、そこにあった。
恐怖心が自制心を上回り、炎を纏わせた大剣を怪異の体を斬るように振り回す。易々と避けられたものの、距離を取ることはできた。
「恐怖、狂乱、自棄、嘆き、絶望、それを姫は求めている。我々は人間を陥れる。そして献上する。お前は今恐れている。だからコロス」
「そう簡単に死んでたまるか…!」
怪異は頭にある闇の中から長い鉄製の爪を取り出し、両手に填める。私は最も人間に近い動きをしている目の前のそれに剣を向け、屋根の上を走り出した。
グローリアは空にいる。そう信じながら大ぶりの大剣を振り下ろし、火柱を立てる。隙を突くように動く怪異の爪先が腕に沿うように撫でられ、血の熱で焼かれるような痛みが走った。
「勇猛、不屈、覚悟、熱血、どれも人間の悪い部分。言い換えるならば、蛮勇だからだ」
皮膚を裂くように振り下ろされる爪を大剣で防ぎ、炎の勢いを強めた。
「…その炎、生命の灯火、姫には不要。人間は闇に恐怖する。光に安堵する。しかし、光が強くなれば闇も強くなる」
怪異がそう言った途端、宣言通りに押され始めた。力を込めて押し返そうとするも、さらにそれを上回るような力が掛かってくる。一時的に弱めても、闇は弱まらず、押される一方だった。
「どうやら諦めたようだな」
怪異はそう言い、わざとらしく力を弱める。その中で過剰に掛けられた私の力が大剣を振り上げ、隙を晒してしまった。それを見逃すはずがなく、私の心臓部に爪を突き立てようと向けた。
「存在反転!領域展開!!」
空からこちらに急降下してくるグローリアの声が聞こえ、視界が逆さまになる。物質の前後上下左右の感覚が反転する状態にさせる彼女の能力が発動した。
彼女の領域から押し出された怪異は驚きこそしなかったものの、何が起きたのか分からないようだった。それを見た彼女はどこか誇らしげに鼻息を吹かせていた。
「…これは面倒だ」
怪異はそう言い、反転する視界の中でどこかへ退いていった。
「ふぅ…間に合ったわ!」
その言葉を合図に能力が解除され、視界が元に戻った。二度も彼女に救われ、ご褒美と言わんばかりに綺麗にセットされた髪をゆっくりと撫でた。
「ふふん♪やっぱりあんたは私が居ないとダメなんだから♪」
照れながら腰に両手を当ててふんぞり返る彼女に動物的な愛らしさを感じつつ、周囲の状況を確認し始めた。屋根の上を走り、奇襲を仕掛ける怪異もいれば、地面を走って逃げ惑う人間を追いかける怪異も見られた。
「…次に行こうか」
私が言うと、ご満悦な表情の彼女に抱えられ、空高く飛び上がる。
その瞬間だった。背後から刺す白い光が視界を占有し、グローリアと共に地面に墜落した。
「もう、やめてくれませんか」
数歩の足音が聞こえ、体を起こしたところで、甘い声で耳元で囁かれるような感覚が体を襲った。
私とグローリアは目を疑った。本祭が始まってから一度も姿を見せなかったナズナが、私たちに銃口を向けていた。白を基調としたドレスには黒いフリルと赤黒い飛沫で装飾されていた。
「ナズナ…?」
「へぇ…この体はそう呼ばれているのですね…ふふっ…なるほど…黒百合ナズナ…」
今私たちの目の前にいるのが、ナズナの別人格であることが間違いないだろう。
狂気に満ちた笑みを見せる彼女に背筋が凍る。先程対峙した怪異とは違う。見るだけで恐怖に溺れてしまいそうになるほどに、あまりに、綺麗な姿だった。
「なら…私はこう名乗りましょう…白百合ナズナと」
黒百合ナズナの別人格、白百合ナズナは口元から垂れる血液を啜り、グローリアに照準を合わせた。
「貴女のせいで足りなくなったではありませんか…恐れが、狂いが、諦めが、後悔が…!」
表情は笑いつつも、目の奥には確かな怒りがあった。白百合ナズナは、怪異の姫は、人食を待ち望んでいた。
「あぁ…美味しそう…いらないものをくり抜いて…今すぐ食べてしまいたい…!」
震える体を無理に動かし、グローリアを背に、ナズナに剣を向けた。
「堪らない…!グチャグチャにしたい…!バラバラにしたい…!早く…食べたい…」
グローリアはようやく現状を理解したようで、私の服を強く掴み、布越しからでもわかるほどに震えていた。
「本当に…ナズナ…なの…?嘘よ…ね…?」
「ふふふ…どうでしょうね…♪貴女の知ってるナズナはこんなことしないでしょうね…でも私はこんなことを平気でしてしまうんです…なぜなら…私が悪魔の子だから…♪」
グローリアは既に恐怖に溺れ、理解はしつつも受け入れてはいなかった。これは悪い夢、幻覚だと、自分にそういい聞かせていた。それを見ている白百合ナズナは、真っ白い歯を見せながら、笑っていた。