第八話 追跡
「……テ!大……夫⁉」
啓の声が遠くで聞こえる、ソルテはそう思った瞬間、一気に現実へと引き戻された。呼吸を整えるように一度大きく深呼吸をしてからソルテは答えた。
「……うん、大丈夫……」
「よかったぁ、この写真見た途端、頭痛そうにしてたから……何か思い出した?」
「この写真を撮った時のことと、それから」
そこでソルテは言葉に詰まってしまった。
「それから?」
「それから……あれ、どうしたんだっけ……」
ソルテの目からポロポロと涙がこぼれ落ちていく。止めようと思えば思うほど涙はとめどなく落ちていく。そんなソルテを見た啓は慌ててソルテを止める。
「そんなに無理して思い出さなくていいよ!」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
何かに怯えるように謝り続けるソルテの背中を啓はそっと撫でた。
「大丈夫、大丈夫……」
しばらく撫でているとソルテの呼吸は落ち着いて平静を取り戻してきた。
「僕が泣いてるとお母さんがよくやってくれたんだ。安心した?ほらこれ飲んで」
啓は鞄からペットボトルのお茶を取り出してソルテに手渡した。
「あり、がと……」
コク、コク
啓はお茶を飲んでいるソルテを見てようやく元の落ち着いた雰囲気に戻った気がした。そしてペットボトルを啓に返したソルテは自分の記憶の欠片について話し始めた。
「お母さん、前はあんな怖い人じゃなかった。でも、今は……違う」
「そうだよね、だってこの写真とさっき会ったのが同じ人だなんて思えないよ……」
啓は落ちていた写真を手に取って言った。
「いいなぁ家族写真」
啓がポツリと呟いた。
「……啓は無いの?」
ソルテが聞くと啓はゆっくりと話し始めた。
「うちはさ、お父さんは僕が物心ついたときにはいなかったし、お母さんは病気がちでこんな写真撮る機会なかったから」
少し寂しそうに話す啓を見て、ソルテは奏に啓と母親についてはあまり触れないで欲しいと言われたことを思い出した。
「その、あんまり聞かない方がよかったかな」
「そ、そんなことないよ、気にしないで」
コンコン
啓とソルテが話しているとドアを叩く音がした。すぐにドアが開いてルナメルが入ってきた。ソルテは驚いてビクッと体を震えさせると啓の後ろに隠れてしまった。
「さて、坊ちゃまはこれからお話することがありますので来ていただけますか?啓様、でしたかあなたはこちらでお待ちください」
「ぼ、僕一人で行くの?」
ソルテは震える声で聞き返した。
「ええ、ご主人様の命令です、拒否権はありません」
「僕はついていっちゃダメなの?」
「家庭の事情とでも言っておきましょうか。紅茶を用意致しましたので、このお部屋でお待ちください」
ソルテを心配する啓に事務的に言い放つとルナメルはティーセットを机の上に置くと嫌がるソルテを連れて出ていってしまった。
「大丈夫かな……」
ソルテだけが連れていかれたことに不安を覚えた啓はしばらく待ってから部屋を抜け出すことにした。
そっと扉を開けて廊下に出る。あたりを見渡して誰もいないことを確認するとソルテの母親の居た部屋の方へと向かった。
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「あの野郎啓がおまけだと?ふざけやがって」
奏は一人で連れ去られた啓を追いかけてようと屋上へとやってきていた。キレる方向が若干ずれている奏に突っ込んでくれる人などいるはずもなく苛立ちが募っていく。しかし、奏は頭に血がのぼっていても闇雲に探し回ることはせず、啓の持っているスマホの位置情報を確認する冷静さも残っていた。
自分の位置と啓のいる方角を確認した奏は大きく息を吸い込むと啓たちの向かった方向へと思いっきり飛んだ。ショッピングモールの屋上駐車場にはその衝撃で円形にひびが生じてしまっていたが奏は気にすることなく川を飛び越え、民家やマンションの屋上の上を次々に飛び移っていく。
(ちっ、刺されたとこまだ痛えな……いつもならもう治っていてもいいはずなのに……)
スマホで啓の位置情報を追いかけていた奏だったが啓が移動しなくなったのを機にどんどん距離を詰めていく。追いつけると奏が思ったのもつかの間、啓の場所を表すアイコンは忽然と消えてしまった。
「な⁉追っかけてるのがバレたのか?」
ひとまず奏は啓の位置情報が消えた場所まで向かうことにした。近づいていくと民家も少なくなり、道は曲がりくねった上り坂になっていく。
「この辺のはずなんだが……」
奏がスマホで地図を見ながら山道を登っていくと突然目の前の景色が切り替わった。アスファルトで舗装された道からむき出しの地面と生い茂る木々、赤い霧に覆われた場所に瞬間移動したような感覚だった。そして通信もできなくなり圏外になってしまう。
(なるほどね、どんな魔法か知らないがここは外から隔絶されてるわけか。つーことはこん中に啓がいるってわけだな)
ここに啓がいると確信した奏はそのまま森の中を突き進んでいった。奥へ進むほど木々はより一層生い茂り、木の枝にぶら下がっている蝙蝠が近づくと飛んで逃げていく。
「趣味わりーな吸血鬼って。こんなとこ住んでるのかよ」
奏がつぶやきながら少し身をかがめる、すると風切り音と共にナイフが一本、奏の目の前の木に突き刺さった。
「ナイフは人に投げるもんじゃねぇよ!っと」
そのまま真後ろにダッシュして一本の木を殴りつけた。その衝撃に驚いた蝙蝠がバサバサと飛びたっていくと木の上から一人の吸血鬼が降りてきた。
「……」
奏の前に立つ吸血鬼は無言で睨みつけると両手にナイフを構えて襲いかかってきた。
残像が見えるほどの速度で襲い掛かる吸血鬼の斬撃、奏はその全てを最小限の動きで躱していく。
「なぁ、お前男の子二人連れたメイド知らねぇ?この辺にいると思うんだけど」
躱しながら奏が問いかけるがそれに答えることはなく斬撃はさらに速く、鋭くなっていく。
「怪我人増やすと怒られるからやりたくないんだけど、そっちがその気なら力ずくだ」
奏は手を払って片方のナイフをはたき落とす。さらに斬りつけてきたもう片方は手首を掴んで体ごと宙に持ち上げる。奏の握力に吸血鬼は握っていた手を開いてしまった。
「で、お前なんか知ってんだろ?」
「……貴様、何者だ」
「質問してるのはこっちだぞ……?」
奏は握る力を更に強めていく。奏の怒気に観念した吸血鬼は白状した。
「お前が言っているのはメイド長のルナメル様だろう、この先の屋敷にいる」
吸血鬼は掴まれていない手で屋敷の方向を指差した。
「そか、んじゃな」
あっさりと手を離すと奏は言われた方向へ歩き出した。
(こっちって言ってたけどホントなのかね)
どんどん奥へと進んでいくが一向に屋敷は見えてこず、同じ景色が続いていた。すると奏は突然振り向くと声を張り上げた。
「なぁほんとにこっちであってんのか?そこにいるだろ?」
(さっきの不意打ちといい何だこいつは。ルナメル様にお任せしよう……時間稼ぎできればそれでいい)
どうやら奏は吸血鬼につけられていることに気が付いているようだ。少し待ってみるが返答はない。
「逃げやがった……」
まぁいいかとつぶやくと奏はもう一度歩き出す。しばらく歩くと見覚えのあるナイフの刺さった木のある場所へと出てきた。
「やっべ迷った、やっぱりさっきのやつに道案内させればよかったな」
逃げられたことを後悔するが時すでに遅し、もう気配は感じられなかった。もう一度先へと進んでみるがまた元の場所へと戻ってきてしまう。それならばとナイフを抜き取り木に印をつけながら進んでみるが印をつけた場所に戻ってきてしまう。苛立った奏は木を蹴りつける。
「ああ!んなとこで時間食ってる場合じゃねぇんだよ!」
蹴りつけた木が地響きを鳴らしながら倒れていく。すると近くの枝がまるで意思を持っているかのように倒れる木を避けていくのが見えた。
「ちっ、誘導されてたってわけか」
こんなことにも気が付かなかった自分が情けなく思えてくる。奏は一度大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
そして奏はひたすら真っすぐに、障害となる木を全てなぎ倒しながら進み続けてようやく屋敷の門にたどり着いたのだった。
「最初っからこうすればよかったな」
奏が肩に乗った葉を払い落しながら門へと進むと門番らしき吸血鬼が二人立っていた。荒っぽい登場をした奏に対して二人は剣を構えて戦闘態勢に入っていた。
「ここへ何をしにきた、人間」
「話通じるタイプか?ならよかった。そっちのメイドにうちの弟連れてかれちまったもんで返してもらいにきただけだ」
「ふむ、そうか」
門番は呟くと一斉に襲い掛かってきた。
結局こうなるのかと内心呆れながら奏は迎撃の構えをとった。