第三話 記憶を失った少年
「あれ……?僕は誰だ?」
混乱して一人でぶつぶつとつぶやいている少年を横に、啓は奏に耳打ちした。
「ねぇ、兄ちゃんがぶっ飛ばしたせいで記憶喪失になったんじゃ」
「違う、とは言い切れないよな……とりあえず俺がやったことは内緒で頼む」
「この子は多分、吸血鬼、なんだよね。警察に連れていくわけにもいかないし、うちにいてもらった方が……」
「それはそれでよくない気がするけどな……はかせもいないし……」
(こいつまた啓の血吸うかもしれないんだよなぁ)
二人が相談していると悩んでいた少年が話しかけてきた。
「そのー、僕はこれからどうすれば……」
少年は記憶が無くしたことによる不安から暗い表情をしていた。
「えーっと、しばらくうちにいなよ。記憶を取り戻す手伝いもするし」
「いいの?」
少年の顔はぱあっと明るくなった。
「ちょ、勝手に決め……」
「大丈夫だって。はかせには僕が連絡しとくから」
「そういう問題じゃない」
反対気味の奏に少年の顔はまた暗くなってしまった。
「やっぱりだめですよね……」
「……ま、まぁ記憶が戻るまでなら、いいんじゃないか」
すっかり萎縮してしまった少年を見て奏も不憫に思ったのか、少年が滞在することを了承してしまった。
「ほんと⁉ありがとうございます!」
少年は勢いよく頭を下げた。
「僕は啓、よろしくね」
「奏だ」
ぐーっ
挨拶をしたのもつかの間、少年のお腹が大きな音を立てて鳴った。外は日も落ちてすっかり暗くなってしまっていた。
「暗くなっちゃったしご飯にしよっか」
そう言って啓は台所へ夜ご飯を作りに行った。
~~~~~
啓がご飯を作っている間、奏と少年はちゃぶ台を挟んで座っていた。少年は行儀よくしているが奏は
「そのちっちゃいの何ですか?」
「これか?スマホ……スマートフォンだよ。見たことないのか?」
少年は奏が使っているスマホを初めて見るようだった。
「スマホ?だけじゃなくて他にも見たことないのがいっぱいある……って覚えてないだけかなぁ」
「そんなに落ち込むことねぇんじゃねぇの、そのうち思い出すだろ」
「そうだといいんだけど……」
「にーちゃーん、机拭いて箸とか出しといてー」
二人が話していると台所から啓の声がした。
「ま、とりあえず今は飯食って寝ようぜ。明日は色々連れてくからよ」
そう言って立ち上がった奏は台所へ行ってしまった。一人残された少年はため息をついてちゃぶ台に突っ伏す。
(なんでこんなに優しくしてくれるんだろ……それにもう一人誰か住んでいるみたいだけど……)
少年がそんなことを考えていると奏が戻ってきた。
「起きろよ、机拭けないだろ」
「あ、ごめんね」
奏がちゃぶ台を拭き始める。少年は思い切ってさっき考えていたことを聞いてみることにした。
「どうして会ったばっかりで何も覚えてない僕なんかに優しくしてくれるの?」
「あ?別に俺はそこまで優しくしてるつもりはないぞ。啓は、まぁお人好しなのもあるけど……ほっとけないんだよ、お前みたいなひとりぼっちになっちゃうやつをさ」
「そっか……二人はお父さんとお母さんいないの?」
その質問に奏は苦々しい顔をしてこっそりと耳打ちした。
「その辺は……色々と事情があってな。それにそのこと啓の前で触れないでくれよ。あいつ明るくしてるけど結構そのこと無理してるみたいだからさ」
「わ、わかった、言わないよ」
(ちょっとぶっきらぼうに見えるけど弟のこと大事なんだなぁ)
そうしているとエプロンをつけた啓がお盆を持ってやってきた。
「おまたせー。二人とも何の話してるの?」
「あー、いや別に、大した話はしてないぞ。スマホのこととか教えてた」
啓に聞かれた奏は慌てて取り繕う。奏に続いて少年はコクコクとうなづいた。
「えーほんとー?ならいいけど。それより兄ちゃんまだ箸持ってきてないの」
「すまんすまん。すぐ取ってくるよ」
そう言って啓はお盆に乗ったご飯と味噌汁を並べ始め、奏は箸をとりに行った。少年は啓のことをじっと見つめていた。
(この子も大変なんだなぁ)
啓は少年に見つめられていることに気が付いて手を止める。
「なぁに?僕の顔になんかついてる?」
「ううん、何でもないよ。色々できてすごいなぁと思って」
褒められた啓は少し照れた様子で笑った。
「そんなことないよ、僕なんかより兄ちゃんの方がよっぽどすごいよ」
「そ、そうなんだ……」
(こっちもこっちでお兄ちゃん大好きなんだなぁ)
~~~~~
奏が戻ってきたところで三人はご飯を食べ始めた。奏が三人分の箸を渡すと啓と奏は手をあわせて「「いただきまーす」」と言う。
少年も二人に続いて「い、いただきます」と真似をして箸を持つ。
「今日はハンバーグだよ、いっぱい食べてね!おかわりもあるから遠慮しなくていいよ」
早速食べ始めた奏と啓に対して、少年は使ったことのない箸に悪戦苦闘していた。見様見真似で使おうとするもののうまく掴むことができずにいた。
「大丈夫?もしかして箸使ったことなかったかな、スプーンとフォーク持ってくるね」
「う、うん、そっちの方がありがたいかも。二人とも簡単そうに使ってるけどこれ結構難しいよ」
啓はスプーンとフォークを取りに行った。奏がハンバーグとご飯を口に入れたまま少年を慰める。
「慣れだよ慣れ、最初はそんなもんだ、気にすんな」
啓が戻ってきて少年にスプーンとフォークを手渡す。
「はいこれ使ってね」
「うん」
少年はフォークを使ってハンバーグを食べ始めた。しゅんとしていた顔もそのおいしさに笑顔になった。
「これ、すっごくおいしい!」
「そう言ってもらえると嬉しいよー、口に合ってよかった」
「むぐ、当たり前だろ、まずいなんて言ったら俺が許さん。おかわり」
奏は茶碗とハンバーグの皿を啓に差し出した。啓は若干呆れた顔で皿を受け取る。
「兄ちゃんもう食べちゃったの?」
「そりゃうまいからな」
胸を張って答える奏に啓は「仕方ないなぁ」と言っておかわりを取りに行った。そんな二人を横目に少年は夢中で食べ続けていた。
~~~~~
「啓ー風呂空いたぞー」
夕食後、啓は台所で後片付けをしていた。そこに風呂上りの奏がジャージ姿で現れた。
「あ、兄ちゃん僕の前にあの子にお風呂入るか聞いてきてよ」
「あいつの着替えないけど。そもそも吸血鬼って風呂入るのか?」
めんどくさそうに答えながら冷蔵庫から麦茶のボトルを取り出して直接飲み始める奏。
「それも含めて聞いてきてよ。服は僕の貸すつもりだし。それとコップに入れて飲んでっていつも言ってるでしょ」
「はいはい、わかりましたよーっと」
啓に怒られた奏はボトルを冷蔵庫に戻すと台所を出て少年のいる居間へと向かった。
「おーいお前風呂入るかー?」
奏の問いの意味がわからなかった少年は首をかしげて聞き返した。
「えっと、風呂ってなんですか?」
「げ、そこからかよ……お湯をためてそれであったまったり、体を石鹸で洗って綺麗にすることだ。んで、入るか?」
「二人が入ってるなら、僕も入ろうかな」
そこに啓が二人分の着替えを持ってやってきた。
「お風呂入ったことないの?じゃあ一緒に入ろ」
「ちょ、それはダメ!!」
突然の啓の発言を奏は大声で遮った。奏の叫びに驚いた啓はぽかんとしている。
「え?なんで?」
奏は啓の近くまで行くと耳元で囁いた。
「吸血鬼と二人っきりの風呂なんて何があるわからんだろが」
「お風呂知らなかった子をいきなり一人で入らせるのかわいそうじゃん。ね、君も兄ちゃんのことは気にしないで一緒に入ろう」
「あ、はい……」
啓は奏の言葉を意に介さず少年の手を取って風呂場へと行ってしまった。
「あいつほんとこういうとこ頑固なんだよなぁ……」
奏は居間の畳に寝転がってスマホをいじりながら二人が風呂から出てくるのを待つことにした。
「ここで服全部脱いでね。脱いだ服はその籠の中入れといて」
「あの、お兄さん僕とお風呂入るの反対してましたけどいいんですか?」
半ば強引に連れてこられた少年は啓に聞いた。啓は手をひらひら振りながら答える。
「いーのいーの気にしないで。兄ちゃん過保護すぎるんだ、今日会ったばっかりの君とお風呂に入られるのが嫌なだけだよ」
少年はその説明で納得できたわけではなかったがこれ以上聞いても意味が無さそうだったので素直にうなづいて服を脱ぎ始めた。その素肌は太陽とは無縁の生活を送ってきたことが一目でわかるほどに白かった。
~~~~~
初めてお風呂に入る少年はどうすればいいかわからず困惑していた。
「僕が洗ってあげるよ。ここ捻ったらお湯出てくるから覚えといてね」
そう言うと啓は少年の金髪をシャワーで濡らした。啓は濡らした髪を手にして言う。
「きれいな髪の毛してるねぇ」
「そうかな……?ありがと」
少年は照れたように笑った。啓はシャンプーをとって泡立てる。
「目つぶっててね」
「うん」
啓は少年の髪を洗い始めた。
「ねぇ、何か覚えてることある?」
「ごめんね、ほんとに何も思い出せないんだ……」
「そっか。明日一緒に出掛けたらなにかわかるかもしれないし気にしないで」
啓は泡をシャワーで洗い流すと今度はタオルを手に取って石鹸で泡立てた。
「これで体洗ってね」
啓は背中を洗うと少年にタオルを手渡して湯舟に入った。少年は奏にも聞いたことを啓にも聞いてみることにした。
「なんでこんなに優しくしてくれるの?」
そんなことを聞かれると思っていなかった啓はしばらく悩んでから答えた。
「うーん……なんでって言われても……何にも覚えてないのに一人でほっとくなんてできないし」
「それだけ?ほんとに優しいんだねぇ」
「あはは、お人好しとはよく言われるよ」
~~~~~
「こっちおいでよ、髪の毛乾かしてあげるよ」
自分の髪を乾かしていた啓は少年を手招きした。少年は「うん」とうなづくとおとなしく啓のもとへ行くと啓は少年の金色の髪を手櫛で梳かしながら乾かしていく。
「すっごいサラサラになったね。ほんとに綺麗だ」
「啓のおかげだよ、ありがとう」
少年は啓の手によって倒れていた時とは見違えるほどきれいになっていた。すっかりきれいになった少年は居間に戻った。
「兄ちゃんアイス食べる?」
少年のあとから出てきた啓が居間の扉から顔をのぞかせて聞いてきた。
「食べるー」
「君は?」
「えーっといただきます」
啓は三人分のアイスクリームを持って戻ってきた。
「はいっどーぞ」
「おーサンキュな」
「ありがとう」
二人にバニラとチョコレートのアイスとスプーンを渡すと啓はニコニコしながら抹茶味のアイスクリームを食べ始めた。笑顔で食べる啓を見て奏と少年も食べ始めた。
「冷たっ」
少年は初めて食べるアイスクリームに驚いていた。啓は幸せそうな顔をしてスプーンいっぱいに掬って頬張っている。
「おいしい?」
「冷たくておいしいね、これ」
「でしょー」
「啓はほんと抹茶アイス好きだな」
「これがアイスの中で一番おいしいもん」
啓は自信満々に胸を張って答えた。
「いやお前がそんな胸張るようなことじゃないだろ……」
アイスクリームを食べ終わった三人は寝室で寝ることにした。
啓が布団を敷きながら奏に話しかける。
「ねぇ兄ちゃん、はかせに夕方メッセージ送ったのにまだ返信ないんだけど何かあったのかなぁ」
「んー?そんな気にすることないんじゃないのか、どうせどっかほっつき歩いてるとかそんなんだろ」
「何もないならそれでいいんだけど返信くらいしてくれてもいいのに」
奏は気にも留めていないようだったが、啓の悪い予感は的中していた。
~~~~~
奏たちがはかせの話をしているまさにその時、はかせは一人呟いた。
「いやー参ったね、ミイラ取りがミイラになるってこういうことかぁ」
はかせは両手をロープで縛られて監禁されていた。