第十二話 死ぬわけない
「くそっ」
「ソルテ……なんで……」
突然のことに驚いた啓はぺたんと尻もちをついてしまう。
我を失い襲いかかってきたソルテから啓をかばった奏の胸には大きな傷ができていた。
ソルテは再び啓に向かって爪の伸びた手を伸ばす。
「こんにゃろ……!」
奏はソルテの手を掴んで床に引き倒す。
「ぐアァ!」
奏は抑えこもうとするがソルテはお構いなしに暴れ続ける。
「て、めぇ、いいから!落ち着け!」
「ソルテ!僕だよ!落ち着いてよ!」
啓もソルテを落ち着かせようとするが全く耳に入っておらず手足をばたつかせる。
しかし奏との力の差は圧倒的で長く伸びた爪が小さな傷をつけるばかりだった。しばらくするとソルテの抵抗はだんだんと弱々しくなっていく。
「血ガ……足りナイ……もっト……」
ソルテは憑りつかれたように啓に手を伸ばしたが力尽きたのか呻くように声を発して気を失った。
奏はソルテを抱えるとベッドに寝かせた。啓はソルテにそっと布団をかけながら呟いた。
「血って、僕の……かな」
「まぁ、そうだろうな。ったく世話のかかる」
奏が悪態を吐いたその時だった。
「いなくなったと思ったら戻ってきたのですか」
扉が開いてルナメルが入ってきた。
突然の来訪者は奏は即座に立ち上がって身構える。
「おい……てめぇ気配消すのうますぎんだろ、これでも警戒してたんだが……」
奏は引きつった顔で言う。
「プロのメイドですからこれくらいできて当然です。まぁ他の使用人はこんなこともできないのが困りものなのですが……」
「へっ、んな暗殺者みてぇなのお前一人で十分だよ」
「そうそう、あなたたちのせいでほとんど使い物にならなくなってしまいました。責任は……そちらの弟さんの身一つでいかがでしょう?」
ルナメルは啓の方を見て笑っていない目でほほ笑んだ。その視線を受けて啓は身震いした。
「二度も渡すわけねぇだろ、いい加減にしろ」
「ね、ねぇ、なんでソルテにあんなに冷たくするの?さっきもずっと怯えてるのに僕の血を吸えって強要して」
啓は勇気を振り絞ってルナメルに聞く。
「あら、でもさっき自分から吸いにきたでしょう?」
「さてはなんかしたな?」
「坊ちゃまが奥手すぎるので少し背中を押してあげただけですよ」
ルナメルはにっこりと笑う。奏が気が付くとルナメルはベッドの横に移動していた。
「この子は吸血鬼のくせに血の味が嫌いらしいの、吸わないと生きていけないのに。苦労したけど、それも今日で終わり。逃げ出したと思えばこんな上質な血を見つけてくるなんてね」
「お前!」
ルナメルが何をしようとしているか察した奏は振り返ると啓の手を取って引き寄せる。
「そんな必死な顔してどうしたのかしら」
「なんでか知らんがお前もこいつもうちの弟がお気に入りらしいな」
啓は奏の後ろに隠れる。
「ええ、その子一人で今まで溜めさせた以上の魔力があるもの、もっと早く見つけていたら地道に集める必要もなかったわ」
ルナメルは啓を指差した。奏はいつ手を出されても対応できるようにルナメルから目を離さない。
「でも……あなたはいらないわ」
「……っ!!!」
ルナメルは奏に向かってナイフを投げつける。
奏は啓を守るように覆いかぶさりナイフを躱す。
「逃げるぞ!」
「う、うん!」
啓を連れて奏は部屋を飛び出した。
ヒュン!ズドン!
いくつものナイフが風を切る音と壁に突き刺さる音が廊下に響く。奏は啓を抱きあげて走り出す。
「ちょ、兄ちゃん……⁉」
「ぐ……」
奏の肩に激痛が走った。力が抜けて啓を抱えることができなくなってしまう。
「兄ちゃん!大丈夫⁉」
「あ、あぁ行くぞ……」
再び足を踏み出そうとするが足に力が入らない、それどころか体中から力が抜けていく。奏は床に倒れこむ。
「なん……だよ……これ……」
「やっと毒が効いたのね」
ルナメルは二人に見せつけるようにナイフを取り出す。
「ナイフに塗ってあるのよ、常人なら一本で致死量のはず。最初に会ったときのナイフにも塗ってあったのだけど、それを合わせて二本分受けても動けなくなるだけなんて流石ね」
奏の背中にはナイフが深々と刺さっていた。
「に、兄ちゃん……」
啓の目に涙が溜まる。
「だい、じょうぶ、これくらい、すぐになおる……」
奏は強がっているが声は震えて、呼吸は荒くなっていた。拳を握りしめて立ち上がろうとする。
「その様子だともってあと数分ってところだと思うのだけれど」
ルナメルの冷たい言葉が突き刺さる。しかし奏の言葉を聞いた啓は奏の拳を強く握り返した。
「そうだ、そうだよ……兄ちゃんはこんなので死ぬわけない……」
啓は立ち上がって奏とルナメルの間に割って入る。
「兄ちゃんは過保護だし、僕をかばって傷つくし、たまに死にかけるし、それでも、いつも守ってくれる。だから、こんなので死ぬわけないんだ」
「それ、全く理由になってないわよ。まぁいいわ、あなたにはついてきてもらうけど」
啓が大きく深呼吸をすると周囲の魔力の流れが可視化されるほど濃くなり啓に集まっていく。
(これが今、僕にできる最大の魔法……!)
「へぇ面白そうじゃない。いいわ、やれるだけやってみなさい」
啓は開いた手をルナメルの方へと向けた。
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「あの子にも興味があったのだが……まぁ契約としては問題ないか……」
「人んちの子供傷つけといてそりゃねーだろあんた」
「それについては私がどうこうできる立場ではないのでな」
騎士は呟きながらはかせに向かって槍を突きさした。
ガキンッ!!
大きな音を立てて槍が弾かれる。はかせの前にはお札が展開されて攻撃を防いでいた。
「炎箋・反射衝壁」
はかせが唱えた瞬間騎士はお札から放たれた炎に包まれる。それでも騎士は動じることなく炎の中で立っていた。それを見たはかせはさらに複数のお札を展開する。
「風箋・風神鉄扇」
無数の風の刃が鎧をバラバラにしていく。しかし騎士は何事もなかったかのように元に戻ってしまった。
「これじゃダメか」
そう呟くはかせに元に戻った騎士の連続突きが襲い掛かるも、そのすべてを展開されたお札が自動的に炎を噴き出して反撃していた。
「まったくキリがない、全て破壊しようと思ったがそうもいかないらしい」
「そりゃこっちが言いたいね、こんだけ喰らって無傷とはやってられん」
互いに相手の出方を探り合い、その場を沈黙が支配する。
お互いに無傷でにらみ合う状況で先に動いたのは騎士の方だった。
「サファイア・アローレイン」
はかせの頭上に大きな魔法陣が現れ水の矢が降り注ぐ。
「ちっ、これじゃ無理かっ……」
炎による反撃では水の矢は処理できないと判断したはかせは駆け出す。そこへ騎士は槍を構えて突進してきた。
「風華雷箋・双嵐神舞!」
はかせが叫ぶと周囲を風の渦と共に雷を纏った札が飛び回る。騎士は進路上にある札を的確に払い落とす。
「マジかよ!」
避けきれずついに槍の先がはかせの脇腹を掠める。
「ってぇ……」
すれ違ったときはかせの目に騎士の背中に描かれた紋様が映った。
(今のは……?)
はかせは掠った部分を手で抑えながら騎士の背中を見つめる。
騎士は振り向いてさらに攻撃をしかけてくる。
(何か意味があるはず……)
「ダイヤモンド・グリッターアーム」
騎士が唱えると槍の先が輝き始める。魔力を纏ってさらに攻撃力が増した槍が一直線にはかせに向かって突き立てられる。
「多重展開っ、炎箋・反射衝壁!」
幾重にも重なったお札が槍を受け止め炎を吹き出す。しかしそれでも強化された槍は止まることなく突き破ってくる。
「くっ」
(あれをまともに食らうのはさすがにまずい……!)
はかせは苦悶の声をあげながらもさらにお札を追加する。
「これなら……!風箋・裂空砲」
ありったけの力を込めた風の刃で槍を押し返す。
はかせの渾身の魔法で押し返された騎士はそれでも飄々と立っている。
「はぁっはぁっ、あんた、なにもんだよ」
はかせは肩で息をしながら尋ねる。
「ん?そうだな……勇者と呼ばれたこともあるが昔の話だ。そんな称号をもらうほど立派な人間じゃない」
「まさか……名前は?」
「……アスト、だったか」
その名前を聞いたはかせの顔が引きつった。
「マジか、そりゃその強さも納得だ」
騎士ははかせに向かって槍を突き付ける。
「教えてやるよ。あんたの正体」
突き付けられた槍に動じることなくはかせは手を合わせて目を閉じた。
「虚空箋・無限回廊」
はかせが唱えると視界が一瞬にして切り替わった。
「これは……」
「ここは俺の作った俺だけの空間、今ここに在るのは俺とお前だけ」
騎士はあたりを見渡す。しかし、どこを向いても暗闇が続いているだけだった。
「こんなところに連れ込んでどうするんだね?」
その言葉には怒りがこもっていた。
「まぁそう怒るなよ。自分がなんなのか知りたいんだろ?」
鎧がカタカタと音を立てて震えている。そんな中はかせは一瞬にして騎士との距離を詰める。
「まっさか『勇者』が吸血鬼の手下やってたなんてな。あんた、結構……いや、めちゃめちゃ有名人なんだぞ?『勇者アストの冒険』なんてガキでも知ってる。世界を救った正真正銘の勇者だ」
「な、私にそんな風に語られる資格は……」
「あんた自身がどう思っているかは知らないが、少なくとも俺の知ってる『勇者アスト』は宝石の魔法を使う騎士で心優しい、民のために働くまさにお手本って感じの人だぞ。絵本だから多少の脚色はあるだろうが、子供なら一度は憧れる、そんな人だったはずだ」
まるで自分がそうだったというような口調で語るはかせ。その言葉を聞いて騎士は崩れ落ちてしまった。
「私が……勇者……?そうか……あの子は……私のことを……」
騎士の脳裏に自身の記憶がフラッシュバックする。
「でも、やっぱり私はそんな立派なものではない。」
「勇者サマ、俺でよければ話くらい聞くぞ」
はかせは騎士の隣に座り込んだ。
「そう、だな……」
アストは少しずつ、絞り出すように、自分の過去について語り始めた。