「蝋燭に火を」【ショートショート】
人の生涯は一本の蝋燭のようだ。
ユラユラと弱々しく揺らめく淡い炎のように。この世界の表面を舐めるように流れていく白濁色をした蝋のように。今、現在も存在している。
僕が暮らしているこのアパートにも夏が来たようだ。それは、緑黄色の愛のように。それは、期限の切れた遊園地の券のように。
儚く揺らめく炎を消そうとするように、僕らの部屋に夏が届いた。速達で届いた夏の贈り物は、随分質素なものであった。
一本の蓮の花が僕たちを覗きこんでいた。いや、僕らが覗きこんでいる。といった方が正しいのだろうか。
決して派手な見た目とは言いにくい小さな蓮の花が僕たちの夏の前を歩いている。その躍動に、僕たちは誘われるように付いていった。
「蓮の花って、水辺以外で見るのは初めてかも」
夏色の背景に溶け込んだワンピースを纏う君が、僕の耳元で囁いた。
その小さくて見えないか細い声は、とてもくすぐったかった。
夏が前を歩いている。君が上を向いて歩いている。それは、とても儚くて、決して艶やかとはいえないが、それでも僕の理想郷のようなものであった。
君をさらった陽炎がこちらを見ている。あの人たちも僕より前を歩いているような気がした。
やけに心臓が痛くなった。これは、君のせいだろうか。
誰のせいでもないのかもしれない。
もう、君の蝋燭に炎は灯っていないのだが。
(終)
※ここから先はエピローグです。
おまけーエピローグー
人生は、蝋燭のようなものだ。
消えそうになっては息を吹き返し。少し手を加えただけで簡単
にへし折れてしまう。
夏色のワンピースを着た私は君に囁いた。
それは、聞こえるか聞こえないかの狭間のような音量だった。
「蓮の花の花言葉って、『離れゆく愛』なんだね」
窓から入り込んだ夏の疾風は、まだ止む気配はなさそうだ。