閑話. もう一つのその裏
そこは、一見ただの空きビルにしか見えなかった。看板からはすべての広告が外され、しばらく清掃がされているようには見えない壁も床も、埃にまみれている。
しかしこのビルは首都圏の高層ビル街の隙間に存在して解体されていない。しかも不思議なことに、人の出入りがそれなりにあるのが見て取れた。
今日もまた、一人のスーツを着た男が手ぶらで入っていった。
「認証を」
人気のない入り口を抜けると、エレベータの前では何故か屋内にもかかわらずサングラスをかけた警備員が、4人体制で立っている。しかも法治国家として有名なこの日本で、彼らはアサルトライフルで武装していた。
スーツの男は怯えることもなく、その掌を警備員に向ける。そこには、5cmほどの正方形――QRバーコードが存在していた。
警備員がバーコードに視線を向けると、サングラスが反応する。
< -- Access granted. Lv3 T・Kataribe>
サングラスに映った文字を確認し、警備員は道を開けた。同時に、エレベータの扉も開く。
男のバーコードが警備員のサングラス――ARグラス経由で認証され、ロックが解除されたのだ。
「ご苦労」
スーツの男は警備員に一言ねぎらいの言葉をかけると、開いた扉の中に歩を進めていく。
エレベータの扉脇にある階層のボタンに触れることなく扉は閉まり、男は少し押さえつけられる重力を感じた。
『5階です』
エレベータは、何をされることもなく勝手に動いた。このエレベータは、もはや決まった階層以外に乗り手を運ばないように設定されているのだ。
男が下りた階層は、ぼろビルの外見にそぐわぬ賑わいをしていた。
スーツの男が入ってきたことに気付いたか、間近に居た白衣の男の一人が、会釈の後ばたばたとどこかに去っていった。スーツの男はその白衣の男を見送ると、手持ち無沙汰に周囲の様子に視線を巡らせた。
中央に存在するサーバーラック。そこから伸びる大小のケーブルは、周囲を囲む謎の機械にすべて接続されている。
さらに、機材の周辺では3~4人1チームくらいの白衣で統一された衣装の団体が、あちこちで端末を操作していた。時折視線が彷徨うのは、ARウィンドウに出た結果を確認しているのだ。
「お待たせしました」
声をかけられ、彷徨わせていた視線を声の方に向ける。やはり白衣を着た、初老の男がそこにいた。
「お疲れさまです。進捗いかがですか」
スーツの男が返礼で頭を下げながら、そう尋ねた。初老の男は、ため息とともに首を横に振り、辺りの様子に顔を巡らせる。
「だめですな。まだとっかかりすら。総当たりのようなものですからな。
つくづく、仕様書も設計書もなく、これだけのシステムを作ったという話は信憑性の欠片もないと実感する日々です」
わかっていたこととはいえ、落胆のため息を隠せない。スーツの男は「はぁ」と息を突くと、左手首の時計のボタンを押した。
「こちらで採取したデータです。お納めください」
「了解しました」
初老の男の手が空を彷徨い、ARウィンドウにデータが表示される。
数字と、グラフ。
「これは?」
「被害者の、脳波データです。この、一週間分の。中からデータを取れないのであれば、関係各所から何かしらの手がかりを見つけていくしかないですからね」
「確かに」
初老の男性は、いくつかのデータに目を通し、首を捻った。
「ううむ……申し訳ない。思い当たるデータがないですな。引っ掛かりもしない。
一応、お受け取りしました。すぐに解析チームに回します」
「よろしくお願いします。……電力のほうは、大丈夫ですか」
「そうですな。一度も途切れておりません。通信の瞬断も無しです」
初老の男の報告に、ほっ、と安堵の息を突くスーツの男。視線は、自然と部屋の中央のサーバーラックの方へ向いた。
「一体、何をやらかしてるんだか。『Open Eyes』のやつは」
サーバラックを睨みつけて、スーツの男はそう言った。
そう、このサーバーラックの中の機材は、コンピュータウィルス【Open Eyes】に感染した、RBDのメインサーバなのである。そしてこのビルは、RBDの運営が持っていたデータセンターの成れの果てなのだ。
スーツの男たちは、極力サーバに影響を与えないように、ウィルスの解析と、サーバの解析を行っていたのである。
時に何故、電力の心配をしたのか。それは、国外の罹患サーバの末路という前例のせいである。
海外では、RBD以外にも【Open Eyes】に罹患したゲームコンテンツが存在したのだ。当然、そのユーザーも昏睡状態になっていた。
そして一部の罹患ユーザーの親が、政府や関係各所の後手後手に回った対処の遅さに怒りを隠さなかった。腹に据えかねた結果、勝手に「昏睡の原因はサーバーにある」と保管されていたデータサーバーを襲撃。各所で電源の停止、あるいはサーバーの物理破壊を行ったのである。
いきなり暴力に訴える短絡的な行動であった。被害者をサポートする団体も、その計画には軟体していたが、被害者の親たちのネットワークはその妨害を無視して単独で事を起こしてしまったのだ。その事故で発生する起こる不利益が、子を思う親の怒りの前には障害ではなかったのだろう。
しかし、結果は悲惨な物であった。
まず、常軌を逸した事態が起こった。電源ケーブルを引っこ抜いたり、電源ボタンを押してもサーバーは停止しない、という謎の事態が引きおこされたのだ。この件に関しては、日本の彼らにも現場の映像が流され、物議をかもしている。
問題は次の行動だ。何をやっても停止しないサーバーに対し、一部の親たちは、ならば、と物理破損、つまり、鉄パイプなどで攻撃を繰り返して破壊したのである。結果、そのサーバーをプレイして昏睡状態になっていた罹患ユーザーは、サーバーが停止した瞬間、即死したのである。
この事例から、オカルトじみた内容ではあるが、サーバーの稼働と、昏睡状態のユーザーには何らかの因果関係がある可能性が示唆された。以後、【Open Eyes】に罹患した機材は停止させないことが周知されたのである。
全く持って科学的ではなく、物理的ではなく、論理的ではない。しかし、被害者を救うためにはあらゆる角度から検証する必要があった。国家間では、超常現象対策チームも組まれ、対処に当たっているらしい。
手がかりも何もない、不可思議な事態に「溺れる者は藁をもつかむ」とはよく言ったものだと、ひとりごちていたスーツの男だった。
「教授、これを」
スーツの男の傍に控えていた初老の男の元に、白衣の男の一人が声をかけて近づいてきた。
「何か、分かりましたか」
「どうですか……手掛かりにはなりそうですが」
進展があったのか。そんな期待を持つスーツの男のARグラスに、研究者たちからいくつかのグラフが表示された。波長が一つずつ描かれた画像。それらが重なり合わされる。その光景を見て、スーツの男は眉をひそめた。
二つのグラフは、所々にわずかな差異があるものの、ほとんど一致しているのだ。
「これは?」
「サーバーで採取していたパターンです。被害者の脳波パターンとほぼ一致するものがありました」
「それは?」
初老の男の解説に、スーツの男はもったいぶらせられているからか、少々苛立たし気に尋ねる。
いや、そこで気づく。初老の男も困惑の表情をしている事に。今、彼の中では様々な事象が複雑に考察されており――それでもなお、理解の範疇を超えているのだ。
「サーバーが定期的に出している、疎通通信の送信パターンです」
その内容に、スーツの男は眉をひそめた。初老の男は、眉をひそめて話を続ける。
「お気持ちはわかります。サーバー内ではオンラインゲームのアプリケーションが動作している手前、他のサーバーとの疎通は確かに行われています。
とはいえ、コンピュータウィルスの拡散を防ぐため、ネットワークからは有線・無線問わずに遮断しています。
だから、外部との接続はあり得ない」
「しかし、データ上は被害者の脳波パターンと同じリズムで疎通確認をしている……?つまり?」
スーツの男がオウム返しのように内容を反復し、理解をしようとする――が、意味が解らない。
何のために?何よりも、一体どうやって?
謎が謎を呼ぶ。手元――いや、眼前に広げられたデータを前に、男たちは気味が悪い、と言う感情を隠しもせずに、RBDサーバーを見るのだった。
ご拝読・ブックマーク・評価・誤字報告にご感想、いつもありがとうございます。
一方そのころ、現実世界では、という話でした。
pingに関しては「そちら、通信切れてませんか?」という合図を送るだけの短文メールのようなものだと思っていただければ。インターネットの通信をするうえで、大事な手順の一つです。
一応現実世界のほうでも働いてる人たちはいるんですよ、という話でした。
次回から、新章に入ります。
 




