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照弘と、その結末へ


「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"」


 左腕に食い込む刃、という光景。さすがにここまでショッキングな光景は、喧嘩に明け暮れていた時期でもそうそう見ることはなかった。

 痛いというよりも、熱いような。逆に、体の全ての熱が左腕に集まったかのように、背筋に氷が入っているかのように体は冷え込み、力が抜けていくような気がする。

 しかし、それでも腕に力を込めることで筋肉を引き締めて、簡単には刃物が抜けないようにする。目の前の女を自由にするわけにはいかない!

 それでも、意識を奮い立たせて震える足を抑え込む。俺が今、膝を折るわけにはいかない。俺は、目の前で刃物を俺に突き立てている女をにらみつけた。

 この女は何だ?どう考えても、狙いは紫苑だろう。でも、紫苑は追い掛け回されてはいるものの、亡き者にされるいわれはない。どちらかというと、確保したい団体が多いくらいだろう。

 じゃあ、この女は?人間とは思えない形相で、女の力とは思えない力で、俺を刺し殺そうとしてる。それも、左腕から貫通した部分で、俺の顔を刺そうとして、だ。

 行動はもちろん、手段としても明らかに正気を失っている。彼女と紫苑にどういうつながりがあってこんなことになってるんだ。

 

「お前のせいだ、お前のせいだ」

 

 うわごとのように、だが明らかに敵意を込めて、恨みつらみに意味のつながらないことをつぶやいている。

 俺のせい?紫苑のせい?それで何があったというんだ?

 そこで、彼女のしているネックレスの模様が目に入った。


 ――この人、あの自動車会社の人間か?


 ……だとしても。あの会社が倒産したことで不都合が発生したとしても、この人に何があったとしても、被害者の紫苑を恨むなんて、それは八つ当たり以外の何もでもない。

 俺は、彼女の向ける理不尽な恨み言に、逆にふつふつと怒りが込み上げてきた。

 

「――お前のせいだ、お前の――」

「そんなわけ、あるか!」

 

 俺は、怒りのまま押し返し、腕を振るった。刃物は俺の腕に深く刺さっていて、そうそう抜けそうじゃない。そのまま彼女を振り払うことができれば、彼女は武器を失う。


 そう思っていた。

 想定外だったのは、紫苑の存在だっだ。

 

「――っざけんな、クソアマぁ!」

 

 そんな咆哮が後ろから聞こえて、彼女は無防備な腹に紫苑のタックルが決まった。彼女は"く"の字に折れ曲がるような体制になり、その首は俺に突き出すような形で刃物からその手を離してしまった。

 そして俺は、彼女を振り払うように左腕を払った。

 腕の内側に突き出した刃物は、鋭利な刃を彼女に向けていた。

 

「かひゅっ」

 

 紫苑に押し倒されるように視界から消えていく彼女は、赤い何かを俺の目の前に、大量に残していた。

 俺はもう、痛みも感じていなかった。ただ、足の力が抜けていき、へたりこむようにしりもちをついた。

 紫苑で隠れて、彼女の顔は見えないが、見る見るうちに紫苑の足元が赤に染まっていく。そんな中にいる紫苑に、俺は声をかけられなかった。

 だって、俺は、今、人を……。

 体は、氷に包まれているように、冷たく感じた。

 俺は――俺たち二人は、動けなかった。

 

 *--

 

 その後、さすがにテレビで映ってた騒ぎだったこともあってか、俺と紫苑は急行して到着した警察に回収され、マスコミや活動家の団体とは関わることなく、その場を離れることができた。

 後から聞いた話だ。

 彼女は、病院に運び込まれるまでもなく死んだらしい。

 俺は、状況から正当防衛であると証明され、罪に問われることはなかった。

 彼女の正体は、やはり件の自動車会社の社長令嬢だったそうだ。例の事件からの一連の流れで没落した彼女は、生活レベルの急降下や、周囲の手のひら返しを初めとする様々な中傷に耐えかねて、精神を病んでいたのだという。

 すべてのきっかけは、やはり活動家の団体の計画だったようだ。

 まず、おじさんへのアクション。これでおじさんが(まかり間違って同調して)メンバーになれば御の字、よしんば対抗策に打って出ても、団体メンバーに所属する弁護士をあてがうことで、最終的には紫苑を取り込むつもりだったそうだ。

 マスコミを呼んで、わざと紫苑の家の前で待ち受けるのも仕込みだった。

 こちらはデモ活動の申請をすることで、警察が介入できない下地を作った後、団体メンバーでもあるマスコミのスタッフをあの場に引き入れて状況を作ったのだという。

 警察が介入しなかったのは、背後関係の確認に手間取っていたらしい。あれが、正しく申請が許可された状況なのか、そうでないのか。実際は、受理されてない申請を、さも通ったかのように押し通していただけだったようだが。

 そして、例の女性。彼女も、仕込みの一つだった。あの場で彼女と紫苑を引き合わせ、彼女が怒りのままに紫苑を罵倒するところを団体メンバーが抑えて、紫苑の味方であることを周囲にアピールするのが目的だったらしい。

 結果、罵倒どころか刃物を隠し持っており、あんな事態になったわけだが。

 ややこしいのは、弁護士を使った引き込みをしていた層と、マスコミを呼んだ層が同じ団体で別のグループを作っていたというところか。

 そのせいで、団体メンバーの中でも取り調べで意見が割れ、警察が疑問に思って調査した結果、すべて団体メンバーの仕込みだったことがばれたんだとか。

 明確におじさんの会社に妨害を仕掛けていた証拠もそろったことで、晴れて威力業務妨害が適用されて、件の団体は崩壊した。

 もっとも、当時の俺たちには、それでめでたし、めでたしとはならなかった。

 紫苑は再度入院。食事すらままならず、目は開いているものの覚醒状態とは言えず、日々寝て、起きて――覚醒状態になっては身動き一つ取らずに点滴で生き延びるような日々を過ごした。

 俺も彼女を殺す悪夢を――事実とは異なる、もっと明確な、首を絞めたり、俺が刃物を持つ側で、無抵抗の彼女の体を突き刺したりする――夢を見続け、うなされ、メンタルヘルスケアにかかることになった。

 ……でも、俺が一番堪えたのは、夢の内容じゃない。

 あの事件の後、俺がようやく紫苑に会った時の事。

 

「しおn」

「う……うあ、うわああぁぁぁぁっっ!」

 

 久々に見た彼は、以前――それこそ、事件で重症を負って入院していた時、ようやく目覚めたあの時よりも、さらにやせ細り、目の隈は紫苑が全く眠れていない証明だった。

 そんな彼に、なるべく自然に声をかけたつもりだった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさ、ごめん、ごめんなさい――」

 

 しかし、紫苑は俺と視線を合わせるなり、おびえ、わめいて、逃げ出した。部屋の隅で、その腕で顔を覆い、縮こまって。

 

「彼でもダメか。鎮静剤!」

「はい!」

 

 呆然と立ちすくむ俺を追い越して、病院の先生や看護師が紫苑の元へ駆けつける。俺は、紫苑に明確に拒絶され、ショックのあまり、ただ立っているしかできなかった。

 俺は、紫苑と同じだと思っていた。紫苑も、目の前で彼女の死に立ち会ってしまった。手をかけたような形で。

 だから、俺たちは理解できると思っていた。

 

「紫苑さんは、どうも死ぬ寸前の彼女に何か言われたようでね。にらまれ続けたこともあって、人の視線――というか、目だね。

 事件の後の周囲の対応でたまっていたフラストレーションなんかもあるとは思うけど、『誰かに見られている』ということが恐怖になっているようだ。

 勘違いしちゃいけないのは、彼が君のことを拒絶しているわけじゃないということだ。

 照弘さん。彼は、実際、あなたに会いたがっていましたよ。……まぁ、今の状況ではまだ合わせるわけにもいきませんが」

 

 紫苑の担当医は、俺が紫苑と会った後、そう言って慰めてくれた。

 しかし、俺は、ショックだった。自分は思い上がっていたのだ、と思ったんだ。

 紫苑は、俺よりも。深く傷ついていたんだ。俺はあの時、紫苑を助けてなどいなかった。ただ、より深い闇へ突き落しただけだったんだ。

 ご拝読・ブックマーク・評価・誤字報告にご感想、いつもありがとうございます。

 彼らのトラウマ話はこれにて終了になります。これで解決したことではなく、これからも彼らは悩まされる。

 それでも、これからも彼らの話におつきいただければ幸いです。

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