あの瞬間
忘れているかもしれない本名。
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テルヒロ = 照弘
シオ = 紫苑
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あの瞬間、何が起こったのか。何があって、どうなったのか。
俺は、それを後から又聞きでしか知らない。
ただ、あの瞬間だけは今でも夢に見る。
――赤。
黒と緑の混じった、マーブル模様が世界を支配している。
――寒い。
俺の視界は熱気すら感じる赤なのに、俺の体は吹雪の中にあるような寒さに全身が犯されている。
――痛い。
針が全身を突き刺しているような、鈍くも体の芯に響くような痛みが続いている。
――苦しい。
感覚は痛みに支配されて、自分の体勢がどうなっているかも理解できない。体はびくとも動かず、呼吸すらできない。
そうして苦しんで、自分に何が起こったのか、思い出すことすら忘れて、ただもがいて苦しんで。
――ああ……誰か、助けて。
そうして、視界が、一瞬で黒に染まった。
「……ぐぁ……?」
瞬間、痛みも、苦しさも消えた。違和感に、思わず喉の奥から声が漏れた。
ふと、暗闇に一筋の光が走った。上下に分かれて、白い空間が見えてきた。――ああ、そうか、目を閉じていたのか。
「……紫苑?」
声がした。
……照弘?
「紫苑!目が覚めたのか!?
あ、ちょっと待ってろ!看護婦さん!看護婦さ~ん!!」
照弘はそう言って、ドタドタと騒がしく去っていった。
声のした方を向こうとして、体が動かないことに気づいた。誰も居なくなった空間で、自分の惨状を把握していく。
今、俺はベッドに横たわっている。体は動かず、ただ目だけが動かせるようだ。口は閉じられない――管が通っている?何か、口を閉じようとしても歯が何かに当たっている。
俺は……入院している、ようだ。……え、何で?
思い当たるフシがない。昨日、何があったんだっけ。いや、この状態って昨日のトラブルか?
「紫苑!」
改めて声がした。いや、声だけじゃなくて視界の半分以上を人の顔が占めた。いきなり出てこられて焦点があってない。誰……母さん?
「大丈夫?わかる?」
「おばさん、落ち着いて。今、お医者様が来るから」
「でも!ああ、よかった!紫苑……!」
にわかに、周りが騒がしくなってきた。
自分の状況もわからず、周りも騒いでいるのに。俺は、不思議と気持ちが落ち着いていた。見える範囲でしか周囲の状況はわからないものの、俺は、あの地獄のような空間なから抜け出せたことを、素直に安心していたのだ。
そして、騒がしいほどに聞こえる周りの声を子守唄代わりに、俺は意識を手放した。
――その後も、頻繁に意識を失って、ようやく普通に起きて居られるようになるのに、実にそれから一ヶ月の月日が経過した頃だった。まぁ、体感だと一週間も経っていなかったような感覚なのだけど。なお、俺が事故にあってからでいうと、既に俺が意識を失って半年が経っていたらしい。
ちなみに、ようやく半日以上起きていられるようになった時は、途中で痛み止めが切れたのか、足が痺れたときのような鈍い電撃が全身に走ったことを覚えている。クッソきつかった。
それはともかく入院が半年を超えたことで、俺が入学したばかりの大学生活は、当然だが留年確定。同じタイミングで入学したはずの照弘とも一年の差がつくことになった。一緒に勉強するのが難しい気がするが、あいつ、勉強大丈夫なんだろうか。
……と、思ったら留年していた。病院に来すぎていたとか言っていたが、本当は勉強についていけなかったとかじゃないだろうか。入学一年目の授業だったろうに、大丈夫かあいつ。
そして窓に写ったミイラ男にも見飽きた、更に一ヶ月後。俺は、ようやく包帯を取ることができたのだった。
「……うわ」
包帯を取った後に鏡を見せられた俺は、自分の変わり果てた姿に思わず言葉を漏らした。
俺は、まぁ自分の姿は平々凡々なものだった。はずだ。
眠っていたこともそうだが、半年以上入院していたにもかかわらず、俺の髪は単発より少し長め程度に整えられていた。だが、それくらいしか面影はなかった。
右耳から鼻の付け根までが緑色に濁っており、ひび割れているようなシワが深く刻まれていた。髪の色は付け根から頭頂部まで色が抜け、赤み……というより茶色に変色している。
右半分は無事か、というとそういうわけでもなく。斑点のように赤みを帯びたヒビのような引き攣れが、首元から目立って散りばめられていた。
「……なにがどうしたらこんなことに」
付添の母親も、俺の姿を見るや両手を口に当てて絶句している。もちろん、俺も言葉もなく。なんとか絞り出してそんな言葉だけしか言えなかった。
医者は、カルテを画面に出しながら、目の前の医者は困ったように眉を伏せて話した。
「できることはしたんですが……どうしても、まずは命を救うことを優先したため、薬液の色を筋繊維から抜くことができなかったのです。肌から透けて、くっきり写ってしまいました。
退院後に経過を見て、整形手術をすれば多少はマシな形まで修正はできると思いますが」
「薬液……?」
話――事件が起きた日のこと――によると、俺は大学の帰りに、突如爆発した車の事故に巻き込まれたのだという。原因の究明こそできてはいないが、おそらく車自体の不良によるものなのらしい。
俺が入学したのは技術系の大学ということもあり、おりしもその時は学校の周辺に、運悪く危険な薬物が運び込まれていたタイミングだった。爆発事故により燃え残った炎上中のガソリンやら、爆発の被害で飛び散った特殊な薬物やらを浴びてしまったのだった。
後々のことを考える間もなく、救助を優先せざるを得ない状況だったのだとか。
現在は、肉体的には問題なく回復の兆しが見えるものの、退院してなお1年は、経過を見ないといけないらしい。
「正直、ここまで順調に回復するとは思いませんでした。見た目はともかく、体の機能に何一つ障害が残らなかったのは奇跡ですよ」
実際、そうなんだろう。そうなんだろうが、そんな事言われても、いざ動けるようになった俺としては見た目の変貌もそれなりにショックだった。
ついでに、顔面へのダメージで、ARグラスが視線入力を受け付けなくなっていることに気づいたのは、既に治療を行うには、取り返しのつかなくなった時期になることを、このときの誰もが知らなかった。
既にリハビリは開始しており、退院の見込みは翌々月に近づいていた。
*--
約一年の治療期間を超え、俺は犬神家のスケキヨのようなゴムマスクをつけて、照弘と一緒に大学へと向かっていた。退院後に更に一ヶ月の経過観察を経て、ようやく復学が許可されたのである。
ちなみにこのゴムマスク。表面がスクリーンになっており、見た目には怪我一つ無い俺の"以前の顔"が表示されている。頭頂部は髪が素通りできるような細い穴が後頭部に無数に空いていて、フルフェイスにもかかわらずストレスなく地毛をなびかせることができる。
ちなみに、医療用のレンタル品だ。
「あー、でも勉強できるかな。丸一年ブランクあるぞ」
「大丈夫だよ。俺は二年目だぜ」
「わぁー。すっげー説得力だわ」
道すがら、そんな照弘との軽口を叩きながら、すっかり見覚えのない道を歩く。
ふと、大学に近づいていくにつれて、照弘の口数が少なくなっていくことに気づいた。
「……ん?どうした、照弘」
様子がおかしくなった照弘に尋ねてみると、照弘はしきりに周囲を気にして、不意に顔をしかめると、俺の覚えている通学路から外れた路地へと足を進めた。
「お、おい。どうした?」
「紫苑、こっちだ」
「……お、おう」
急に声を潜め、路地へと呼ぶので、俺もなんだか声を潜めないといけない気がして、こそこそと呼ばれるままに路地に入る。
何事か、と照弘を見ると、照弘は壁から少し顔をのぞかせて、俺を手招きしてきた。言われるままに照弘のそばに来て、指差す先を見る。
……なんだあれ?
大学へ続く道、大通りと交差するところで、道行く人にインタビューを仕掛ける集団が居た。――集団だ。各々違う色の腕章をつけ、マイクをあちこちに向けていた。
向けられた人も、半分以上はそのインタビューに答えているようだ。
「……紫苑が巻き込まれた事故、まだほとぼり覚めてなくて、ああやってマスコミが張ってるんだ。
紫苑は当事者だからな。今見つかったら騒がしくなる。トラブルになるだろ?」
確かに。
なんでも、俺は数少ない、事故で直接的な被害を受けて生き残っている人間らしいからな。俺は、照弘の先導で大学に裏口から入ることにしたのだった。
ふぅ、流石だ。頼りになるぜ。
ご拝読・ブックマーク・評価・誤字報告にご感想、いつもありがとうございます。
ついに、二人のトラウマへと足を踏み入れます。
少々胸糞の悪い話になると思いますが、お付き合いいただければ幸いです。




