絶望に刃を向ける
しばらくはテルヒロくんのターン。
街に飛び込んで、最初に思ったのはさっきよりも強く押し寄せてくる熱気。むわり、とした粘濃い火照りではなく、肌に刺すような痛みを伴うレベルの熱量。明らかに、火の強さが増している。
俺は、炎で視界が途切れる大通りの中を、目を凝らしつつ、爆音のする――ドラゴンが居ると思われる場所へと向かった。
「熱っつ……」
みんなは、まだ生きていてくれているのか……?俺は思わず不安に呟き、口を開いたことで喉の痛みに顔を顰めてしまう。覚えの有る、懐かしい痛みを感じたそこで、ふと思い出した。
そうだ、【渇水】。俺は懐の紫苑鞄――ラカーマの街で紫苑からもらった、「最低限この中にあるものは必ず補充しとけ」と厳命されて渡されたものだ。名前は自分でつけたが、紫苑はそれを知らない。多分怒るだろう――からシリンダーを一つ取り出して中身を飲み干した。
中身はドロリとした粘度のある、それでも舌の上ではサラリと流れていくような触感の、爽やかなレモン味。『潤渇水』という【渇水】状態を解除し、更に一時間ほど【渇水】にならない、【耐性:渇水】の状態が付くアイテムだ。
この熱気の中、おそらく今は、この街全体の空間に【渇水】状態が付与する状態になっているんだろう。……【渇水】は、HPもそうだけどスタミナも削る。もしニュウが『潤渇水』を持っていなかったら、非常に危ない。紫苑を護るために耐久型に成長させた俺と違って、彼女は素早い動きを主軸にしたタイプだ。瞬間的な移動距離が違うので、同じ時間を与えられれば俺よりも遠くまで行けても、時間耐久で勝負するのであれば、先にエンストするのは彼女の方だ。
この炎の中でスタミナ切れが起こるのは、絶対にまずい。ひょっとしたら、意外に手前側で倒れている可能性もある。崩れる瓦礫に気をつけつつも、淡い期待を持って炎の隙間に人影が見えないか視線を彷徨わせる。
「ぐっ……」
不快感のこみ上げる、焦げ臭い臭い。炎の中にちらつく黒い人の腕の影に、思わず吐き気を催すが、それをこらえてひたすらに足を動かす。
「ニュウー!何処だ!?」
「テルヒロさん!?」
しかし、俺の声に反応したのは、ニュウではなくてドラゴンと戦っているはずのネモだった。炎の中から飛び出てきた彼女の姿は、満身創痍のそれだった。
ボサボサの髪は煤けて更に荒れ、装備も傷と破損が目立つ。擦り傷が全身に絶えず、幾つも血の帯を垂らしているが、それでも無事のようだ。良かった。
「どうしてここに……!?それに、お姉ちゃんがどうしたの?」
「それが……ヤッチィさんにネモちゃんがドラゴンと戦っているって聞いて、こっちに飛び出してきてしまって。まだ、合流していないのかい?」
「っ……!?ああ、もう!こんな時に!」
ネモは、俺から一部始終を聞くと苛立ちげに視線を逸らした。視線をせわしなく動かして、何かを探しているようだった。
「……この先、まっすぐ!」
不意に、俺がやってきた道とは少しずらした明後日の方向に指を指した。
「え、なんで分かるんだ?」
「え?そりゃ、パーティーメンバーはマップに出る……ああ、そうか。そうだった!テルヒロさんはそういう人だったぁ!」
急に何かに気づいたように声を上げて両手で頭をかきむしるネモ。随分苛立たせてしまったようだ。……あ、ひょっとしてゲームシステム的なやつか。今のネモが、悩んでいる時の紫苑にそっくりで、俺はピンと来てしまった。主に、俺の失態に。
しかし、ネモは頬をぴしゃりと叩いて気持ちをリセットでもしたのか、すぐにおとなしくなった。
「街のマップは出せる?」
「あ、うん。紫苑に聞いてる」
「よし。マップに出てる青い点が、クランメンバーの現在位置。今、街のマップを開くと、4つ青い点が出るの。中心にあるのが自分、テルヒロさんね。そのごく近く、重なっているのがアタイ。
あっちは教会の方、多分シオちゃんだと思う。だから、残ったのがお姉ちゃん」
「えっと……そうか、これか。ありがとう」
「うん、なんとか連れ帰って!今、そっちに手が回らない――危ない!」
俺がマップを見ながら、ニュウのいる方向を見ていると、突然ネモから突き飛ばされた。何事か、と振り向く前に、ジュッ、と何かが蒸発する音と閃光が背中を灼くのがわかった。
これは……。
「くそ、もうタゲ取られたのか……!?」
ネモが悔しそうな声を上げる。俺も、聞くまでもなく分かる。モンスターから"視られた"ことで感じる圧迫感。今まで感じた中でも抜群の威圧感が俺の身に降り掛かっている。
顔を上げれば、"それ"はまだ彼方にいる。体感で1km以上は離れている場所にいるはずなのに、手を向ければ片手で包めれるほどのサイズにしか見えないのに。まるで鼻先で既に顎を開いているかのような驚異を感じる。
俺は、ゾクリと背筋を走った感覚に従って、反射的に武器を構えた。手が上がり、巨大な鉄鋼を盾のように体の前に持ち上げ、刀身に半身に隠すように剣を抜き放つ。
それは、正しかった。
「グオォォオオオオオオオオーーーーーーーーーッッッ!!」
吠えた。
ただそれだけなのに、その音は物理的な圧力になって俺達に襲いかかってきたのだ。俺は前もって防御の構えを取っていたので、剣を地面に突き刺してアンカーにすることで吹き飛ばされずに済んだ。
そして体感で軽く10秒は耐えた後、圧が収まったところで飛び退いて路地へと駆け込み、真正面の対面を避ける。
「熱っつ!熱っ!?」
周囲を確認しないで突っ込んだせいで、思いっきり燃え盛る柱に手をついてしまった。焼け付く痛みが、手のひらから突き刺さったような感覚に声を上げてしまう。
「テルヒロさん!?大丈夫!?」
火に遮られて向かいの通路どころかさっきまで居た場所すら見えないが、火の向こうから心配そうなネモの声が届いた。
「大丈夫だ!少し、火傷しただけ!」
「……、無事なら良かった!でも、アタイ達でタゲ取っちゃった。このままじゃ、アイネトに狙われてお姉ちゃんを探しに行けない!」
「狙われるって……ラルドさんたちは!?」
「ローテーション組んでる!今は回復中で、次はボングのクランメンバーがタゲ取ってるはずだったんだけど……多分、事故って外れたんだ」
「事故った?」
「脱落したか、ターゲットを取れなかったかだよ。アタイ、さっきまで攻撃役だったからダメージ取りすぎたかもしれない」
ネモが途中言い淀むところはあれど、まだラルドさんは生きているようだ。その他はなんだかよくわからないが、とりあえず俺も含めてあのドラゴンがこっちを狙ってきているようだ、ということは理解した。
となると、今背を向けて逃げるのはまずい。無防備なところに攻撃を喰らえば、たとえあの咆哮だけでも吹き飛ばされ、場合によっては致命傷を受けかねない。
それに……確か、広場にいるあいつを30分足止めしていないといけないんだ。つまり、俺を追って奴が広場を出ていってしまえば、今までのネモ達の努力が水の泡だ。
つまり、今は俺とネモであいつを足止めしておかないといけないわけか……?でも……いや、迷うような話じゃない。
ニュウには悪いが、彼女を探す余裕がないということは理解した。
「ネモちゃん、後どれくらいの時間残ってるんだ?」
「あと、多分5分くらい……!」
「5分……ちなみに、ラルドさんの番でどれだけ持つんだ?」
「最短1分、最長3分!ブレスが来たら往なして交代!」
「俺でも、交代一回分くらい行けるか!?」
「……やってやれないことはない!けど、無理しないで!」
俺の提案に、一瞬息を呑むのがわかったが、すぐに切り替えて予測を話してくれた。せめて1分……よし。やってやる!
俺は路地から出て直角に曲がり、つまりはドラゴンに向かって駆け出した。アクティブアビリティ【スライドダッシュ】を使って、人間離れした加速でドラゴンに向かう。
ドラゴンは、じっと俺を視て、身動き一つ取らない。
……やべえ。俺は近づくにつれて、ただ間合いを詰めているだけなのにその威圧に冷や汗が流れるのを感じた。そのサイズだけでも、明らかな脅威を持っているのを自覚したのだ。
最初にその首が建物から伸びた姿を見た。それだけでも大きいサイズだというのはわかっていたが、こうやって身一つで立ち向かって近づけば、そのひと目見ただけのイメージと正面切って対峙するのとでは、全く印象が違うことを否が応でも理解させられる。
これ、怪獣だよ。戦車とかで軍隊が戦うレベルのやつだ。持っている武器が頼りなく思えて、とても通用するようには見えない。
恐怖が、俺の足から力を奪い、恐怖に足がすくむ。ところだった。
思い出すのは、さっきの家族。
――怯える男の子。
――泣き崩れる奥さん。
「お、おおオオォォォぉオっッッ!!」
怯えるな。怖気づくな。声を出せ。力を込めろ。思い出せ。俺は、一人で戦っているんじゃないんだ!
俺の役目は、囮だ!
ドラゴンが、手を振り上げた。そのまま、俺を凝視して、狙いを済ませているようだ。おそらく、爪か、足の振り下ろしだ。
構わない。俺は突っ込む。
俺の動きに合わせてか、振り上げた足を振り下ろした。ここだ。
俺は、一歩を踏み込んで、同時。
「【スラッシュ】ッッ!」
【スライドダッシュ】は高加速度の直線移動。ついでに、次の行動が攻撃ならその攻撃力にボーナスが入る、【傭兵】職の専用アビリティだ。
一つ、この街で練習していた時にネモから教えてくれたテクニックがある。【スライドダッシュ】の追加効果が発動する「次の行動が攻撃だったら」という条件は、普通の攻撃だけじゃなくてアビリティにも適用される、というものだ。
更に、武器を使う戦士系の職業が覚えられる【スラッシュ】を組み合わせることで、スラッシュの予備動作のダッシュ移動に【スライドダッシュ】の加速度が追加される。それが、威力に直結するのだ。
ドラゴンの目測を外れ、奴の腕をくぐり抜けた俺は、すれ違いざまにその後ろ足を切り裂いた。
――切り裂けた。
弾かれると思っていた俺は、思わず振り向いて、自分の手応えを視認する。その巨体からすればかすり傷だが、俺の一撃は確実にその巨体の後ろ足を切り裂き、一筋の紫の血の帯を作っていたのだった。
ドラゴンの首がゆっくりと捻られ、俺を憎々しげに睨みつけていた。しかし、俺に先程までの恐怖はなかった。
――通じる。俺の力は、こいつに通じるんだ。
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テルヒロくんも、成長しているのです。うっかりもするけれど、彼は体に覚えさせることができれば引き出しの出し入れに関しては有能です。
苦手なのは机上の話。




