インターミッション
ニヤニヤしてほしいタイム。
「……よっし。これで行くか。ポイントはこのくらい余ってれば次の次までは持つだろ。
スキル取得ポイントにズレがなくて助かった」
ゲーム世界が現実化したことのズレは、どんな些細なことも見逃せない。念には念を入れておいて損はないはずだ。思わず、集中してしまった。
……と、言いつつもロックリーチのことだったりギルドの情報だったり、結構な漏れがあるんだよな。せめて、前もって俺が分かる範囲に関しては抜けをなくしたい。
気がつけば、夜の帳も降りてランプの明かりが異常に眩しく感じる時間帯だ。今後のスキル取得で使うポイントと、レベルアップの予定、諸々を計算していたら随分と遅くなってしまった。
チャットウィンドウで、公式の用意しているマクロだけでも使えたのは僥倖だった。基本的な計算やら、忘れていたアビリティの名前を思い出すのやら、非常に重宝できた。
作業も終わって、漸く俺のアビリティ構成の更新も一区切り。
「んん~……ぅっ……――いて」
大きく伸びをすれば、左の肩甲骨がゴキリと音を立てた。痺れるような痛みに思わず声が漏れる。
「……さて、どうするかな」
現実逃避はここまで。後ろ――ベッドを見れば、そこにはやはりダブルベッドの中心に大の字に腕を広げて寝ている、俺のパートナーの姿。、とっくに装備を外してベッドに座って待っていたはずだったのが、気づけば早くも意識を失っていた。
宿を取った時は緊急事態だったから、泣く泣くダブルベッドの部屋を取ったけど、今日も帰りが遅くなって部屋が変えられなかったのが災いした。
……今日はどうしたもんかな。なんとか、今日は密着して寝ることは避けたいんだけど。
ふと、耳鳴りに窓の外に目をやれば、物音一つしない、シンとした夜闇が広がっている。あまりに静かで、耳鳴りがしたのだ。一節によると、この耳鳴りは心臓の音――血管を通る血流の音が出しているらしいが、そんな音がなるような事してたか、俺。
窓の外に微かに見える地上には、ぽつぽつと両手で数えることができる程度の灯り。街壁の上に立てられた松明の、心もとない灯りが、ほのかな街の建物の形に影の線を作っていた。
空には、現実世界では見ることのできない満天に広がる無数の星――とはならない。
残念ながら、この世界にはこの大地以外に星がないのか、夜空に輝くのは3つの月だけだ。
何か神話に関わるものだった記憶があるが、その辺りに関係したサブクエストでは詳細が語られていないので、俺の記憶でもあの月が何なのかはわからない。
ただ、大中小とあからさまなサイズの違いがあり、中サイズの月が最も明るく光を放っている。
空の色は、月から放たれる明かりと、空に浮かぶ雲が生む影で、群青と黒のマーブル模様だ。どこか、大地は変わらぬ姿をして、空だけが異空間として広がっているような、そんな奇妙な世界が窓の外に広がっていた。
それが、まさしくこの世界が地球とは別の世界である証であり、ふと「本当に帰れるのか」という不安が胸の中にこみ上げてくる。
胃の中に、黒い鉄球が生まれ、じわじわとそのサイズを広げていくような不安。
「ぅ……」
思わず視線を下げて、嫌な考えが浮かぶ。でもそれは、明日のことはおろか、これからのことではない。
昔のこと。
思い出の中に色濃く残る、苦い思い出だ。
昔の恥ずかしい思い出。遠足で一人はぐれては、泣きながら山の中を歩いていたこと。その実、はぐれていたのは山道一本分で、声を抑えられなくなったところで、俺が少し列から離れていたことに気づいた引率の先生から、困ったような顔で手を引かれたというオチだ。あの後は、同級生からからかわれた。嫌な思い出だった。
痛い思い出。運動会でマラソンをしていた時に、なにもないグラウンドの中盤で転んでは、一人だけ大回転した事があった。膝から、肘から、目立つ出血をしているにも関わらず、周りは応援だけで助けてもくれず、ボドボドの風体で一人ゴールした。捻挫と打撲もあって、しばらくは痛い思いをしていた。
そんな誰にも言えない、墓の中まで持っていきたいことから、友達と笑って話せるようなこと。そんな恥と不快感が伴う痛みだ。
記憶は深く、暗く澱んで。
――あの事故。
「……っっ!」
思わず顔をひきつらせ、歯を食いしばる。目に力が入り、冷や汗が流れる。
血が頭からスゥ、と降りてきて、体が凍りついたような感覚。
耳鳴りが、人の声に聞こえる。ザワザワと、沢山の人が話しているように聞こえる。
『なんで』
目が、見える。
『どうして』
周りが。
『お前が』
俺を。
「――んごっ」
間抜けなイビキが、俺の金縛りを解いた。
振り向いてみればテルヒロが、大の字に体を伸ばしてベッドに倒れ込んでいる姿。ぷぅ、と音を立てて鼻提灯まで出している。
うわ、初めて見たぞ。リアル鼻提灯。
「ん~……むにゃむにゃ」
「――……はは」
フザけた寝言を言ってはゴロリ、と横向けに寝返りをうつ。そんなテルヒロの姿を見て、俺は苦笑した。
今は、そんなことを考えるときじゃないし、そもそも、考える必要がない。思い出すこともない。
ふと、記憶の指先が掠る度に、ゾクリと不快感が背筋を走るけれど。
テルヒロのおかげで、俺は胃に残った鉄球も、残したままでも大丈夫だ。
「……って、おい」
俺も寝るか、とベッドに近づいて、気づいた。
……テルヒロさん。貴方の抱き枕、俺の枕じゃね?片面だけクッソ涎ついてるんですけど。ここ木のベッドだから、枕ないと首痛いんですけど。
「ああ、もう。こいつはー――」
しょうがないので、代わりにテルヒロの枕を取ってやろうと思ったけれど、寝返り打ったくせに、奴の頭は自分の枕のセンターから全く動いていなかった。これ、頭どかした時に起きないかな。
「……うぁっ!?」
そっ、とテルヒロの頭の下に手を伸ばすと、急に逆寝返ったテルヒロの体に巻き込まれた。
気がつくと、テルヒロの顔の側に俺の枕があって、その下、腕枕の位置に俺の体が収まってしまっているようだ。
……腕枕!?
「あわわ、あわわわ」
その時の俺は、明らかに冷静ではなかった。そう、未来の俺は供述するだろう。
っていうか、大丈夫。まだ、大丈夫。まだあわわわ、あわわ、じゃない。
「うにゅう」
「ひぃ」
ガタイのいい男にあるまじき可愛い寝言とともに、テルヒロの腕に力が籠った。それはつまり、俺の体を抱きしめるような形になるわけで。
反射的に、テルヒロの体を押し戻すような形で手を突き出すも、残念、筋力ステータスが圧倒的に貧弱な俺のアバターでは、テルヒロを離すことができない。
そんなサイレント押し問答をしていたが、やがてテルヒロが寝言もなく寝息だけを立てだしたことで、俺の頭も段々とクールになってきた。
「ったく」
仕方ない。ああ、仕方ない。
俺は、テルヒロの腕の中から抜け出すことを諦めて、ゴソゴソとテルヒロの握った枕の端に頭を乗せるように、テルヒロに背を向けて横になった。
全く、なんで寝るだけで体勢に気を使わにゃならんのだ。
「はぁ、おやすみ」
俺は、そうとだけ呟いて、まぶたを閉じた。
背中に当たる、テルヒロの体が、やけに熱く感じた。
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シオくん、口元緩んでますよ?(気づいていない)
ちなみに、私も静かだと眠れないタイプです。
換気扇とか、空気清浄機とか、とにかく何かの音がほしいですね。一番落ち着くのはファン音なので、PCつけっぱなしで、タイミングよくなにかしらの処理が走った時が一番眠れます。
おかげで、一番眠気を感じるのは電車の中かサーバー室です。不思議ですね。




