いつだって扉を開けるのは
俺は――照裕に並び立っても、遜色ない存在になりたかったんだ。
ARグラスの有無で、性別が変わるような体じゃなくて。体の中身が、何ともわからない、得体の知れない存在じゃなくて。
そのために、こんな体になったOE事件に、解決策がないかを探していた。
でも、手がかりも何もなくて。手詰まりで。
そんな中で照裕の声を聴いて、どこか、張り詰めたものが切れてしまった。我慢してきた弱音が漏れそうで、一度漏れたら、泣き出して、喚きたくなりそうで。
それでも、一抹のプライドで、聞こえないように距離を取って、ただ一言だけ。
"漏れて"しまった。
そんな微かな、音になっているかもわからない俺の口から洩れた、ただの音なのに。
俺の部屋の外から、照裕が扉を開けた。
「……まーた、こわしやがって」
「弁償するよ」
平然を装っていた――つもりだ。声は、震えていただろうか。――わからない。
わからないけど、俺の軽口に、照裕は苦笑しながら答えた。
照裕は、ゆっくりと俺に近づいて、わざわざ目線を合わせるようにしゃがんでから、ポン、と頭に手を置いた。
「寝れてるか?クマ、すげえぞ」
「……そうか?じゃあ……ちょっと寝る」
……いや、でも。そりゃそうだ。誰にも会ってないし、この部屋には鏡はない。画面の照り返しじゃ画面に隈は映らない。どうでもいいけど、照裕のアクセントがどう聞いても動物の方だったのに、少し笑えてしまった。
ああ、なんだろうか。
頭の上が、なんだか温かい。
目をつぶっても、焦燥感で寝ることもできなかったのに。
いまは。
とても。
ねむい。
「てるひろ……て……」
「手?」
照裕の差し出された手を、反射的に握った。
あたたかい。
*--
「マジですまん」
「いいって」
目が覚めて、ベッドの傍に照裕がいた。寝ているわけでもなく、胡坐をかいて座っていた。
何をしているのかと思ったら、俺が手を放さなかったことで、ベッドから離れられなかったらしい。起きて、自分の手の状態を自覚して、すぐに謝った。
そりゃもう土下座だ。
それでも笑いながら、俺の手を引いてくれる照裕には、感謝しかない。大感謝だ。
ようやく部屋から出てきた俺を見て、両親をまた泣かせてしまったことも、申し訳なかった。それを、泣きながらも笑って許してくれる両親にも、感謝だ。
ああ、何やってるんだ恥ずかしい。情けない。
「ほら、ちょうどお昼だから、照裕君も食べていって」
「ありがとうございます。ごちそうになります」
母親は、嬉しそうに台所へと向かった。父親がテレビをつけると、ちょうど緊急生放送が放送されていた。
『現場の先取です。ご覧ください。これから、OE事件で未だ昏睡状態の被害者たちを救出する作戦が始まります』
そう。
かつて、RBDで上位ランカーだった面々を集め、十全な面談の上で問題ない面子を集めた、OE事件被害者の救出隊が、今日RBDサーバーにアクセスするのだ。
ちなみに、ここには照裕はもちろん、俺を初めとした『たまねぎらっきょう』などの帰還者はほとんど含まれていない。例外的に、道案内として救出部隊に太郎さんがいるくらいだ。
というのも、そのほかの面々は、こちらの世界のフォトゥム王国に出向しているのだ。
前田さんからの情報によると、帰還者は全員が、この世界が変質していることを自覚しているというのだ。
そこで、変質の根幹である、この世界のフォトゥム王国へ向かい、なぜこの世界にRBDの世界が融合しているのかを、調査に向かっているのだ。
「これで、OE事件も解決するといいな」
ニュースを見ながら、照裕がつぶやいた。……本当にな。
画面の中で、さびれた建物――元、RBD運営のデータセンターだったらしい――をバックに、ニュースキャスターがレポートを続けている。
『これより、【フレーバーズ】による救出作業が開始されるということです。この作業は、おおよそ半年の期間続くということで、既に一部の被害者の救出に成功しているということです』
これは……俺たちのことだろうか?帰還が国の手柄にされてしまっているが、まぁ、とやかく言うのはよそう。面倒なだけだ。
それに、ここで口を噤むことでスムーズに救出が行えるだろうからな。
ここでレポーターの画面はスタジオに切り替わる。スタジオのコメンテーターたちが思い思いに今回のプロジェクトの所感を述べる。
その中には、この救出計画を、場当たり的なものと罵る人間もいた。照裕や両親は呆れた顔を浮かべたり、怒りを露わにしていたが――まぁ、言いたい奴には言わせておけばいい。
彼が実際にそう思っているのかはともかく、こういう、ただ批判したい奴が実際いるのは間違いないので、代弁者を立たせることで、ストレスを発散させる役目でもあるのだろうし。
「おまたせー!暑いし、冷やし中華にしてみたわよ」
「おおー」
「ごちそうになります!」
そうこうしている内に、母親が昼食を作ってリビングに持ってきた。おそらく【冷却】を使用しているのだろう。ひんやりとした巨大な器に、山盛りの冷やし中華がこんもりと山になっている。
その手にある巨大な皿は、到底母親一人では持ち歩けないサイズではあるが、そこはそれ。【運搬】か何かの【フレーバーズ】を使用しているのだろう。
「いただきます」
俺たちは、小皿に思い思い取り分けて、食事を始めた。
「うまいよ、母さん」
「ありがとう」
「ほんと、おいしいです」
――ふと。目の前の光景に目を奪われた。
……そうだ。俺は、このために。
このために、全てを捨てる覚悟で、あの世界に飛び込んだんだ。
「紫苑」
手が止まっていた、俺を気にしたのか。照裕が俺の名を呼んだ。
俺が視線を向けると、照裕は不安そうな表情こそしたものの、すぐに笑みを浮かべた。
ああ、そうだな。今、俺がするべきなのは悩む事じゃない。
俺は、手元に取った冷やし中華を、ちゅるちゅるとすすった。舌に、ひりつくようなくどい酸味がする。このわざとらしい甘酸っぱさが、たまらない。
「うまい」
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先取さんはナレーターの名前です。これでハッピーエンドですね(棒




