刃毀れもせず、鮮やかな切り口を残すのみ
鬼の首を切り落とすための刀、という刃を鍛えた刀鍛冶がいた。
その大太刀は悪鬼火天童子の首を切り落とし、飛んだ首は胴体に戻ることなく闇に消えていったという伝承を残し、千成神社に奉納されている。
切れ味のよい刀、見目美しい刀。求めを満たす刀を打ち続けた戦国期末期の刀鍛冶の名は、そして生みだされる刀の名は、国友と呼ばれた。
戦国の時代の終わり、天下を掌握し将軍としての名乗りを上げた男が、国友に天下平安を祈願した太刀を一つ打って欲しいと依頼したことがあった。
望めば、誰にでも望む刀を与える国友は魔性の者ではないか? 打たれた刀で死傷した者の数から、あれは妖刀ではないか? と怖れる者もいたが、時の権力者は現実主義者であり、
「国友はただ技量卓越しており、刀ではなく遣う者が人を死傷させるのだ」と断言するだけの度量があった。
その言葉を伝え聞いた国友は、己の小屋に籠りきり、天下平安の太刀を打ちこんだ。
二カ月後。
将軍にお目見えした刀鍛冶が差し出したのは、一振りの包丁であった。
曰く。
「国友、渾身の出来にございます」
これからの世には、台所を護る刃こそが相応しいということであろうか。
国友の名は刃物問屋として残っている。