無能者吉隆
栗坂藩に、目立たぬ男がいた。
名は熊谷吉隆。初代より数えて三代に渡り仕える老臣である。
彼には取り柄がなかった、これと言って大きな功を為した話も残っていない。
誰よりも長く主家と共にあった。それだけである。
家中の若い者たちは侮り、古い者達は嘲っていた。
三代広宣公が四代藩主を選ぶ段になって、候補が数名いた。
病身の長子、放蕩者の二男。働き盛りの藩主の弟、聡明だが幼年の三男。
多くの者が自分の栄達のために、誰かに付き、それを推して、藩主に迫った。
困った広宣公は、熊谷吉隆に意見を求めた。
広宣公は、自分が産まれる前から城に務め、他人を悪く言ったことのない吉隆の言葉を求めた。
多くの者が自分の栄達のために、吉隆に取り入り、自分の推す候補を藩主に推挙するように頼んできた。屋敷は常に客が訪れ、贈り物が届くようになる。
吉隆の息子は、その有様を見て、言った。
「父上の一言で、藩の行く末が決まるわけですね。愉快なことで」
それを聞いて、吉隆は厳しい眼をして、応えた。
「息子、父はな。無能だ。忠義しか持たない無能なのだ。なんで、権力を弄ぶようなことができようか」
その言葉に、息子は己の不明を恥じたが、父はよいと嗤って、そして首を傾げた。
「しかし、どうしたものか。こんな大それた話、ワシにはよう決められん」
その後、吉隆がいかに答えたという話は残っていないが、栗坂藩四代藩主は、そこそこに藩を栄えさせて、平和に過ごしたと言う。